「………な、頼む。機嫌直してくれよ」
「………………」
「本当、あのひとさ………やたら暴れるわオレに喧嘩ふっかけてくるわ手当たり次第組織ぶっ潰して来るわ、とにかく、超、荒れてんだ」
頭を半ばテーブルに擦るようにして、綱吉が懸命に頭を下げる。唇をキュッと引き結んだイーピンは、そちらを見ようともせずに拒絶を呟いた。
「………ヤです」
「イーピン、」
「嫌ったら嫌なんです。沢田さんは男だからわからないんですよ」
殊更きつくなった語調に、それを言われちゃおしまいだよ、と、目の前の兄代わりのようなひとが嘆いて見せた。その様子にちょっとだけ、ちくり、と胸が痛む。一応ボンゴレに属している身としては、最近の雲の守護者がどれだけ無体を働いているかくらい耳に入っているし、これがただの八つ当たりだということがわからないほど子どもなわけじゃない。悪いのはどう考えてもこのひとじゃないのだ。というよりも本当は誰も悪くないのかも知れない。むしろ事の発端から言えば自分だろうか。
「(………………でも、でも、今回は譲らないんだから!)」
けれどもそんな罪悪感は頭を振るって追い払った。憤りが再度めらっと燃え上がる。ぎゅっと眉根を寄せると、それを見た綱吉がはあっと深い溜め息を吐いた。
「………イーピン。あのな。オレは、おまえに幸せになって欲しいって心から思ってるよ。血が繋がっていようといまいと、おまえはオレの家族だから。おまえが不幸になるってんなら何からでも守りたい」
「沢田さん………………」
綱吉の真摯な表情と"家族"という言葉に、思わず絆されてしまいそうになった。イーピンは、自分がこのひとの言葉にどうも弱いのを知っている。綱吉の口からこぼれ落ちる"家族"という単語はいつだって不思議に温かい。複雑な気分で居ると、彼の溜め息が再度届いた。
「………けど、さすがに痴話喧嘩には口出せないから、さ………」
「そんなのじゃありません!!」
腕を振りかぶってばんっと叩いたテーブルの上で、空のカップがかたかたっと揺れた。向こう側で綱吉が眉を寄せて乾いた風に笑う。そう、これは痴話喧嘩なんてものじゃない。だって原因からして抑もあり得ない。
ある日帰ったら自分の借りるアパートの部屋がすっかり引き払われていて、呆然としている間に連れ去られたと思ったらリムジンの行き先は彼の家。持って行かれていた荷物も一部屋に既に配置済み。主をとっつかまえて理由を聞けば平然と返されたその返事が、
『だって君、僕と結婚するだろう?』
あんまりだ。あんまりにも横暴だ。発端を思い返してみればやはりふつふつと怒りが煮えたぎる。そう、やっぱり。
「雲雀さんが謝るまで私、絶っっっっっっっっ対引き下がりませんからね!」
憤然としてそっぽを向く。すると不意に、綱吉が苦笑して呟いた。
「………………だ、そうですよ」
「、え、」
何のことだかわからずに顔を上げる。すると、
「ふうん、なるほどね」
綱吉の執務室に設えてある仮眠室の扉の奥から、漆黒の影が現れた。声と姿とを同時に認識した頭がフリーズする。いくら頭が熱くなっていたからといっても、気配に全く気付くことが出来なかった。というより、これはたぶん、完全にまずい空気だ。反復する思考の渦中で完全にぴしりと固まってしまったイーピンを放っておいて、音もなく登場した雲雀は何処吹く風で綱吉と会話を進めている。
「それじゃあこの部屋とこの娘、借り受けるよ」
「ドーゾ。部屋壊さなけりゃ何しても良いですよ」
がんばれ、と微笑みを湛えた綱吉が、ソファーから立ち上がって廊下へ出る扉の方へ足を向けた。そこでやっと我に返ったイーピンは、雲雀と彼の背中とを交互にばっばっと見比べ、沸点を超える感情を堪えながらわなわなと震える唇で漸く叫んだ。
「さ、沢田さんの裏切り者ぉっ!!」
ちょうど扉の向こうへと姿を消してしまった彼に、届いたのかどうかはわからない。
***
「………あれが痴話喧嘩じゃなかったら何を痴話喧嘩って言うんだか」
重い扉をごとんと閉じてしまえば、もう部屋の中の声は僅かにだって聞こえない。綱吉は一人廊下に佇んで息を吐いた。心の中では妹のように大切にしている少女に懺悔を唱えている。
まあ、とは言え。
「(何だかんだで、あれで二人とも幸せなんだよなぁ………)」
思わず苦笑が落ちる。超直感なんてそんなシロモノを使わずともすぐに知れる。
大体綱吉が心配しているのは彼女だけではなくて、あまりに不器用すぎる年上の彼に向けても、だ。うっかりでも口に出せば命が風前の灯火と化してしまうので秘密だけれど。そんな二人が互いを選んでいる。大人しく部屋を明け渡して娘を嫁に出した父親の気分にでも浸ってみるのは、綱吉に出来る数少ない後押しだった。
「―――――――――――さて。オレもこれでしばらくは仕事できないし、京子ちゃんのところにでも行っちゃおうかな!」
なんて独りごちながら、綱吉は長い廊下を軽い足取りで歩き出した。それくらいの役得はあってもバチは当たらないはずだ。内心では、口実を作ってくれた二人に感謝さえしていたりする。
***
気まずい。とっても、気まずい。
綱吉の背中を見送った後、部屋には異様な空気が流れている。横目で雲雀をちらりと見上げ、イーピンは恐る恐る声を発した。
「………………ひばり、さん、………?」
「………………何」
問いかけには絶対零度の返事が返された。彼の一息毎に部屋の空気が一キロ増すような錯覚を覚えて、身も心もすっかりと縮こまってしまう。けれどもイーピンは奥歯をぎゅっと噛んでそれらを振り払った。先に進まないことにはどうにもならない。そう、何も、永遠の決別を求めているわけではないのだ。こっそりと溜め息を吐いて腹を括った。
「………怒ってますか?」
するとその言葉を捕らえた彼が、切れ長の眦を上げて此方を見下ろした。
「………………それは君の台詞じゃないだろ?どうやら僕が謝るまで許しちゃくれないみたいだしね」
「う、いや、それ、は………………」
雲雀の答えがぐさりと突き刺さる。先ほど言った言葉を全部回収してしまいたい。イーピンは何となく胸を押さえて息を吐いた。目線を横に滑らせると雲雀の細身のスーツが視界に入る。そういえば、顔を合わせるのはあの日感情が赴くままに何も言わずあの場所を出てきたきりだ。本人を前にしてみるとやはり自分がムキになりすぎていたような気もする。きゅうっと心が痛んだ。一度そう思ってしまうと、急に恥ずかしさが込み上げてきた。この数週間の自分がどんなに意地を張っていたかよくわかる。しかし一度拒んでしまったものをどう補えばいいのかもわからない。
イーピンはぐるぐるする思考を振り払うように、頭を軽く振った。悩んでいてもいいことなんてたぶん無い。とにかく謝ろうと口を開いた、そのとき、
「………まあ、僕も。君がそこまで嫌がるとは思ってなかったからね」
「………………………は、?」
先に言葉を発したのは雲雀だった。言葉の意味が飲み込めず喉が反射的に尋ね返す。しかしふう、と息を吐いた彼は、それに答えることもなく、綱吉が出て行ったのと同じ扉に向かってすたすたと歩き始めた。突然の彼の行動に呆気にとられていたイーピンは椅子から慌ててがたりと立ち上がった。
「え、ちょっと、雲雀さん、」
「ああ、安心しなよ。荷物は元の住所に送り返しておくから」
「そうじゃなくて!」
思わず声を荒げるとぴたりと雲雀が足を止めた。彼は振り返らないまま言葉を発する。
「………悪かったね。急に結婚なんて言って」
そしてまた黒いスーツの背中が一歩ずつ遠ざかる。イーピンはぽかんとしたまま言うべき言葉も見つからなかった。「あの」雲雀が不遜ながらも謝っただとか、そんな事実は完全に抜け落ちていて、脳はとにかく彼の言葉の意図を掴もうと必死だった。呼び止めようと思わず前に伸ばした手は何を掴めるわけもなく、そろそろとそれを引っ込めた。
「(………嫌、とか、そういう話じゃないのに、)」
完全に置いてけぼりを喰らわされた気分だ。言葉さえ共有できていない。気付けば右手の拳をぐっと握りしめていた。
「(自分はあんな勝手なことして、何、それ、)」
心が静かに沸き上がっている。抑えようにも次から次へと発生する感情は留まるところを知らない。あまりに静かすぎてわかりにくかったけれど、四肢の先まで行き渡るこの衝動は、紛れもない、怒りだ。雲雀が部屋を出る扉の取っ手に手を掛ける。電源がショートしたようなバチッという音を頭の隅で聞くやいなや、右手がテーブルの上にあったティーカップを引っ掴んだ。
「―――――――――ひとを馬鹿にするのも、」
中身が空だったことに感謝するだけの理性はあった。イーピンはそれを遠慮無くヒュンと振りかぶる。
「いい加減にしてくだ、さい!!」
一直線に空を切ったカップは、弧を描く前に扉にぶつかった。ぱあんっ、という破裂音のような音が響いたのは一瞬で、部屋はすぐにしん、と静まりかえる。雲雀は数瞬前に振り返りもせずさっと避けていた(勿論その心算があったからこそ出来た行為だけれど)。無惨に床に落ちた破片を一瞥して、雲雀がゆっくりと首を巡らせた。漸く視線を合わせた顔が凄絶な笑みを湛えている。
「………ワオ、何のつもりだい?闘うならいくらでも相手になるよ」
雲雀からゆらりと立ち上る歓喜にも、イーピンは怯みはしなかった。感情のメーターが振り切れたせいか思考がいやにクリアになっている。
「嫌です。雲雀さんを喜ばせるだけってわかってて誰が闘うもんですか」
「へえ、じゃあどうするっていうの」
馬鹿にするような雲雀の口調に感情が余計後押しされる。心の中で僅かに残った理性が言葉を押しとどめようとするけれど、そんなもので止まるくらいなら、最初からこんなところまで持ち込んでいない。
「………………雲雀さん、私のこと何にもわかってない」
ぽつりと呟くと、視線の先の雲雀が僅かに眉を上げた。キッとその目を見据えたイーピンは、思いの丈をすべて言葉に変換した。
「――――――――誰が何を嫌がってるって言うんですか。私が、雲雀さんとの結婚を?そんなわけないじゃないですか。私がどれだけ嬉しかったか知らないくせに。したいですよ、したいに決まってるじゃないですか。怒ってるのは嫌だったからじゃないです。雲雀さんがあんまりにも横暴だったからですよ。もうちょっとくらい言葉があってもよかったんじゃないかな、なんて思っただけですよ。私だってさすがに結婚するかって聞かれてはいしますなんてすぐ即答できるほど達観してないんです。雲雀さんがそういうの苦手だとかそんなことは十分すぎるくらい知ってますけど、でも、一度くらい好きか嫌いかなんてはっきり言ってくれたっていいんじゃないんですか。私が言ってることそんなに高望みなことですか。だって、不安なんですよ、こんなんじゃ、私ばっかり雲雀さんが好きみたいじゃないですか!!」
何だか勢いでとんでもないことまで口走った気がするけれど、そんなことを気にする前に頬を涙が伝った。流れるというよりぼろぼろ落ちるという表現が正しいような大きな雫だった。悲しいわけでは決してない。涙腺を緩めたのは悔しさだった。本当に、馬鹿みたいだ。たった一言が欲しくて、それだけでこんなにも振り回されている。それなのに、こんな身勝手な真似をされておいて、未だどうしようもなく彼を好きで仕方のない自分が、悔しい。
喋っている間に嗚咽はだんだんと酷くなり、最後は殆ど絶叫みたいになった。幼い頃でさえこんなに泣くことは無かったかも知れない。言葉にならない声を上げながら床に落ちる粒を見送っていると、扉の間際にいた雲雀が静かに近寄ってきた。目の前に高い影がふっと被さる。絶対に呆れられた。泣いていることは隠しようもないのだけれど、顔を見られるのが嫌で俯いた。彼がわざとらしく溜め息を吐いたのがわかる。
「………………泣きべそかいた女の子を虐めるような趣味はないんだけど」
「、ぅ、じゃあ、放って、おいて、ください、」
絶え絶えに絞り出した言葉を掬うように、
「君が泣きやめばいい」
という声が聞こえた。背中にそっと腕を回されて、ぎゅうと抱き締められる。鋼の武器を容赦なく振るうこのひとが、自分に触れるときだけは戸惑うように優しいのを知っている。イーピンは弱々しくその肩を押した。
「離して、くださいよぅ………」
「嫌」
非難すると離すどころか余計に締め付けられた。イーピンはしぶとく身を固くしていたが、やがて抗うのを止めて雲雀の胸に身体を委ねた。心がどんなに拒絶していても、身体がもう、体温を甘受している。せめて悔し紛れに雲雀のダークスーツの胸元を涙でぐしゃぐしゃにしてみたが、なお腹の立つことに雲雀はそれを意に介する様子もなかった。
暫くえぐえぐとやっている内に、喉は未だひゅうひゅう言いながらも、涙がやっと乾いてきた。もう最後の方は自分でも理由がよく分からなくて、惰性で泣いていたようなものだったけれど。すうはあと呼吸を整えると雲雀が背をゆったりとさすってくれた。されるがままになっている間に、漸く気持ちが落ち着いてきた。
すると、少しだけ抱き締める腕を緩めた雲雀が呟いた。
「………あのね。僕が、こういうの得意でも好きでもないこと知ってるだろう」
「………はい………」
思わずしゅんと項垂れた。そんなことくらい、初めからわかっていた。具体的に言われなければ伝わらない年でもあるまいし、意固地になっていた自分が情けない。それも雲雀にそんなことを強要するなんて初めから負けは目に見えていた。その上こんな醜態まで晒してしまって、もう愛想を尽かされたかも知れない。その後に続く言葉を聞くのが怖くて、イーピンは俯いたまま固く目を瞑った。
けれどもそれだから、そっと囁かれた言葉は予想外だとしか言いようがなかった。
「………だから、今回は特別」
イーピンはえ、と顔を上げた。雲雀がスーツの内側を探る。すると彼が取り出したのは、紺色の小さな箱だった。箱がぱくりと開かれる。内にはサイズの違う二つの指輪が並んでいた。
「手」
簡潔な指示に反射的に両手をさっと差し出した。そのうち左手だけを掬い取られる。雲雀の手によって四番目の指に通されたのは、透明な石のついた銀の指輪だった。作り自体はシンプルなものだが、石が光を乱反射して美しく輝いている。一連の流れを注視していたイーピンは、訝しげに視線を上げて尋ねた。
「………………これ、炎出たりとか武器になったりとかするんですか」
「………大概失礼だよね、君も」
そう言って顔を顰めた雲雀が、紺のリングケースからもう一方を抜き取った。今度はそれを彼自身の左手に嵌め、イーピンの手の横に並べてみせる。イーピンの薬指に嵌ったものと比べてみても、それはもう少し無骨で石自体も小さなものだ。けれども、二つが対であることだけは一見してわかる。
「え、雲雀さん、これ、」
「文句ないだろ。ちゃんと収入の3ヶ月分だ」
眼をぱちくりとさせたイーピンは、一拍おいて雲雀のテンプレート通りのセリフに思わず吹き出しそうになった。尤も雲雀がそんな情報を個人的に知っているとは思えないので、恐らく綱吉あたりの入れ知恵だろう。イーピンは突然自分があまりにも幸せであることに気付いて、自分の頬が淡く染まるのがわかった。
「―――――――――――――僕は、」
石の輝きをぼうっと眺めていると、吐息に乗せるように微かな雲雀の声が聞こえた。見上げるといつもと変わらない、けれど心なしか歯切れの悪そうな彼の顔がある。
「結婚、なんてものは契約だから、僕と君とのスタンスにそう大した変化は要らないと思ってる」
「はい」
「だからただの紙切れにそんな大層な意味があるとは思えないし」
「はい」
「こんなものを渡したところで、君を縛るつもりも縛られるつもりも毛頭ない」
「まあ、そうでしょうね」
「………でも、君には、それが必要だったんだろう?」
「………雲雀さんが嫌ならいいですけど」
思わず皮肉っぽくなった言いぐさに、雲雀がじろっと此方を睨んだので慌てて首を竦めた。けれども雲雀の空気はすぐに和らいで、髪を結った後頭部を緩やかに撫でられた。
「………………………まさか僕の人生でこんな言葉を言う日が来るなんてね」
さも苦々しげに言う彼の様子にもう不安を感じたりはしない。相変わらずむすっとした風の表情が、実は照れたときのものだなんて疾うに知っている。心臓が期待に揺れて軽やかに鳴る。イーピンはそろりと目を上げた。雲雀の湖面のように深い瞳と視線が混じる。彼が観念したようにもう一度息を吐いた。肩口に端正な顔を寄せられる。
「君も、物好きだよね」
と囁かれたので、
「お互い様です」
と笑って返してやる。彼も微笑んでいるような気がして、そっと眼を閉じた。
「………………一度しか言わないからよくお聞きね」
そんな彼の言葉を聞くよりずっと前から、考え得る返事なんてただ一つだ。
うおおおおおおおおおおおっっっ!!!!
こ ん や く ! け っ こ ん !!
今すぐ式場に行きたいっ!!
会場はどこだ!!乱入させてくれ!!
相互記念に【天つ風】の架州綸さんより頂きました!
リクOKだったので自重せずにさせてもらったらこんなに神がかったものを貰っちゃったんだぜ!
感想はご本人にメールで送った段階でかなり気持ち悪かったので割愛します。
とりあえず『嫁にきませんか?』って送ったのが相当イタイな・・・・・って今更反省してる。
ほんとにほんとにありがとうございました!!
こんな自分ですが、これからもよろしくしてやってくださいね!
綸さんの素敵サイトはこちらからどうぞ! ⇒
※こちらの背景は
Sweety/Honey 様
よりお借りしています。