「覚悟は出来ているつもりでした」

そう言った自分の声が震えていることに苦笑する。
覚悟はしていた。
いつかこんな日が来ると分かっていた。
笑顔で送り出そうと、ずっとずっと思っていた。

ただ。

そんな日が来なければ良いと思ってしまう自分がいて。
そんな日はきっと来ないと願っていた自分がいて。

自分の矮小さに、やはり苦笑する。

「覚悟していたつもりですが、つもりはつもりですね。いざとなると手放し難くなります」
「師匠……」

消え入りそうなか細い声で、今にも泣き出しそうな瞳で最愛の弟子が私を見つめる。
その瞳は、ずっと私を見てくれるものだと思っていた。
その手は、ずっと私を掴んでいてくれると信じていた。
その心は、ずっと私に寄り添ってくれると願っていた。
でも現実は違った。
彼女は今日、旅立つ。
私という檻から解放されて、自ら選んだ自由のもとに、彼女の望む人の元へと降り立つ。

「最後に、抱きしめてもいいですか?」

返事は無い。
彼女の後ろに立つ、彼女が選んだただ一人は、回答しないことで肯定を示す。
そっぽを向いた横顔は非常に見慣れたシルエット。
それもそのはず。
彼は私ととてもよく似た顔をしている。
まるで鏡に映したかのようなその人を、彼女は選んだ。
私は彼女の背中にそっと手を回す。
小さいけれど、か細さはない。
私が手塩に掛けて育てた愛弟子だ。
暗殺者としての第一線からは退いたものの、幼い頃からの習慣で鍛錬は今でも続けている。
服の上からでも分かる、女性特有の柔らかさの中に存在するしなやかな筋肉。
この手も、この脚も、この体幹も。
全部全部、私が育てた。
抱き寄せた手に思わず力が入ってしまう。


どうして私を選んでくれなかったのですか。


思わず口を吐いてしまいそうになる言葉を必死に飲み込む。
彼女の想いを打ち明けられた時。
彼女の想い人を知らされた時。
何度も、何十回も、思わずにはいられなかった。

何故私ではないのか──と。
私では駄目なのか──と。
同じ顔なのに──と。

実際に聞いたことは一度も無い。
何故なら答えは分かり切っているから。
私が彼女と同じ立場だったとして、彼女と同じ容姿の娘がこの場に現れたとする。
その娘は、私が愛したこの子とは別人なのだ。
どれだけ似ていようとも、同じように愛情を注ぐことは出来ない。
きっと、彼女もそう答える。
確信を持ってそう思う。
彼女をすぐ側で見守ってきた私が言うのだから間違いない。
だから聞かない。
分かり切ったことを質問するのは愚者の行為だ。

「師匠、今まで、本当にありがとうございました」

おずおずと伸ばされた手が私の背中に回される。
触れるべきかどうか逡巡してた手は、初めは控えめに、でも一度触れてしまえば堪えきれずにギュッと、思いの丈を込めて力強く服を掴んだ。
掴まれた分だけ、私は泣きそうになる。
彼女と自分の感情の乖離を突きつけられて、どうしようもない気持ちが沸き上がる。

今更、彼女を彼から奪い返したいとは思わない。
そんなことをしても彼女の心は動かないし、搾取した感情に真実が宿っているとは思えない。
私が愛した彼女は、私を選ばなかった。
事実を事実として受け入れる以外に、私がするべき決断は無い。

けれど、これくらいは許して欲しい。
私が彼女を愛していた痕跡を、今この瞬間に刻むことを、どうか許して欲しい。

「私は酷い弟子を持ったものです」

背中に回していた手をゆっくりと解き、身体を解放する。
代わりに、彼女の長くに伸びた三つ編みを片方掬い上げる。

「師匠……?」

やや困惑した表情の彼女。
こんな表情にさせられるのも最後かと思うと少し寂しくなる。

「こんなに好きにさせておいて、私を置いていってしまうなんて」

毛先に唇を押し当てる。
いつでも貴女を恋しく思う。
そんな、ありったけの想いを込めて。

「……ふぇ? ……え、えっ!? え、す、好きって……師匠!?」

彼女の赤面する顔も、怒りを露わにする彼の顔も、私が彼女を愛した証明。
鮮やかに迎える私の恋路の終焉。
言ってしまえば実に晴れやかな心持ちだった。
スッと軽くなった胸の奥で、もう一つ悪戯心が沸き上がる。

「ふふふ。私を置いていく罰ですよ」

私は彼女に呪いを掛ける。
一生、解けることのない呪いを。

「幸せになりなさい、イーピン」

私の分まで。
どうか。
どうか。



君に幸あれ







きこなさんお誕生日おめでとうございますーーー!!

ヒバピン前提の風→イーピンなお話を勝手に投げつけます!

純粋な風ピンでないのが申し訳無いのですが……ちょっとでもお気に召していただければ幸いです。

煮るなり焼くなり取り扱いはご自由にどうぞ!

2017/5/22






※こちらの背景は November Queen/槇冬虫 様 よりお借りしています。




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