暗殺者と学生 F
久方ぶりに傘を持たずに家を出た。
学生鞄を持ち、片手が開いていることに少しだけもの寂しい何かを感じた。
玄関を開ける。
外は心内とは裏腹に綺麗に晴れ渡っていて、余計に気分を沈ませた。
待ち遠しく思っていた日の光が、今は疎ましい。
差し込む光に目を細めながら、少女はギシギシと悲鳴を上げる立て付けの悪い階段を降りていった。
いっそ何もかも壊れてくれればいいのに。
少女は物騒な思考を脳裏によぎらせた。
思い通りにならない現実も。
期待ばかりが先行する妄想も。
何もかも、跡形もなく壊れてしまえばいい。
少なくともこんな陰鬱な気持ちにならずに済む。
降り続く雨に湿気った制服に袖を通した時でさえ、こんなには気分は沈まなかった。
少女の心をこれほどまでに乱したのは、あの男だ。
名前すら知らぬ、黒衣の青年。
勝手に現れて、勝手にいなくなった、勝手な人。
そのくせ、痕跡だけははっきりと残していった卑怯な人。
「・・・・・・ばか・・・・・・」
水たまりに言葉を沈めた。
聞く人も、答える人も、誰もいない。
少女は一人だった。
ずっと、独りだった。
誰にも必要とされず、まして誰かを必要ともしない。
きっと自分は世界に対するイレギュラーなのだ。
いくらか前に少女はそんな答えを自分の中に見いだしていた。
人は、社会は、互いに何らかの相互性を持っている。
どんな些細なことであれ、そうやって関係というのは成り立っていく。
完璧な生物など居らず、不完全だからこそ、誰かを必要とする。
足りない部分の穴を埋めて、埋められて、ようやく本当の形というものが出来上がってくる。
だというのに、少女は誰かを必要としない。
埋めるべき穴など存在しない。
たった一人でも、立ててしまう。
たった独りでも、存在できてしまう。
そういう意味で、少女はイレギュラーだった。
しかし、少女も生まれながらに穴を埋めていたわけではない。
少女にも独りではない時があった。
他者を必要とした、そんな時があった。
だが、誰かを必要としたままで生きることをあの人は良し
としなかった。
欠損した穴を補完する訓練を徹底的にたたき込まれた。
おかげで少女は今独りでここに立っている。
そうなることを望んだのも、仕組んだのも、すべてあの人だ。
あの人を恨むつもりはない。
応えたのは、少女自身だったのだから。
少女は一通の手紙をポストに投げ込んだ。
何の変哲もない、ごくありふれた茶封筒だった。
思えば、これはあの人に対する小さな報復だったのかも知れない。
時間が経ちすぎて契機など当の昔に忘れてしまった。
今となってはどうでもいいことに代わりはなかった。
鬱々とした呼気を何度か漏らし、ようやっと踏ん切りをつけて少女は学校へと足を向けた。
回り道をしようかとも考えたが、ばからしいのでやめた。
学生靴の硬い靴底が何度も地面を蹴った。
そのたびに飛沫が日の光を受けてきらきらと光った。
こんなに綺麗なのに、少女は綺麗だと思えなかった。
心の奥底が淀んでいた。
目が光を宿していないだろうことが容易に想像できた。
ふいに、顔を上げた。
昨日あの男を見つけたあの路地の前だ。
期待など何もない。
ただ、胸騒ぎがした。
何かに引きつけられた感じがした。
『何か』に名前を付けるなら、臭いとか空気だろうか。
具体性など無い、ほとんど直感的なものだった。
おそるおそる、のぞき込む。
何もない。
もう少し、目を凝らす。
黒い影が、わずかに動いたように見えた。
たったそれだけで少女は学生鞄を投げ出して地面を蹴った。
「っ・・・・・・どうしたんですかっ!?」
ぐったりとして動かない黒衣を揺さぶった。
うっ・・・・・・と小さな声が漏れた。
生きてはいる。
生きてはいた。
「こんなところで・・・・・・なにしてるんです・・・・・・」
ほとんど涙声になっていたことに少女は驚いた。
こんな感情の欠落がまだ自分にあったなんて知らなかった。
私は、独りでも立てるはずなのに。
弱さなんて、亡くしたはずなのに。
まだこんなにも揺さぶられるだけの心があった。
言い換えれば、影響力がそれだけ大きいということだ。
「なんで・・・・・・私を独りにしたんですか・・・・・・」
独りはイヤだ。
独りは寂しい。
私は独りでも立てるけど、それでも誰かに側にいてほしかった。
誰かが必要では無いけれど、誰かを必要としたかった。
そんな当たり前を生きたかった。
「側に・・・・・・いてください・・・・・・」
私を嫌いになってもいいから。
幻滅されても構わないから。
私を、独りにしないで欲しい。
ずっとだなんてわがまま言わないから。
せめて、せめて・・・・・・。
少女は地面に沈んだ黒衣に顔を埋めた。
「・・・・・・思ったよりも帰るのが遅くなった」
「言うことは・・・・・・それだけですか・・・・・・?」
埋めた頭に添えるように、人の温もりが触れた。
「悪かったね」
「心が篭もってないです」
埋めたまま、小さく少女はこぼす。
僅かに、男が纏う空気を柔らかくした気がした。
「謝り方なんて知らないんだよ。誤ったことも無いしね」
「生き方そのものが誤ってますよ」
「まぁ・・・・・・そういうことにしておいてあげるよ」
「何で貴方が譲歩したみたいな口ぶりなんですか」
気に入らないわ、この上から目線。
「事実だからだよ」
「非常に不愉快です」
「不愉快なら、いい加減退いてくれない?」
「やです」
気に入らないから、怪我していることを承知で頭を思い切り押しつけてやった。
小さい悲鳴が上がりかけたが、男はプライドだけでどうにか飲み込んだ。
「っ・・・・・・、怪我人の腹に頭を乗せ続けるなんて良い趣味しているね」
「私を変態みたいに言わないでください。これは罰です。約束を破った罰」
「・・・・・・この程度で君のご機嫌取りが出来るなら安いのかな?」
「破格の叩き売りです」
だから、甘んじて受ければいいのよ。
この人。
この・・・・・・。
「・・・・・・イーピン・・・・・・」
「ん?」
「私の名前です」
「そう」
「それだけですか」
「名前を誉めちぎる習慣はないんだ。そういうのがしてほしいなら他を当たってよ」
「いい加減怒りますよ?」
「もう怒ってるくせに」
貴方がわかっていてうすらとぼけた振りをするからじゃない。
「ヒバリ」
「・・・・・・」
「肩書きはいろいろあるけど・・・・・・まぁ、昨晩からのなんやかんやで剥がれ落ちてしまったみたいだから今はそれだけ」
「ヒバリ・・・・・・さん?」
「うん。悪いけど、また世話になるよ」
そうじゃなきゃ、君はまた泣いてしまいそうだからね。
年頃の少女を二度にも渡って無き止ませる方法なんて僕は知らない。
だから今はまだ、平素を逸脱したままの自分でいい。
「よろしく。イーピン」
薄暗い路地から空を見上げた。
仰向けに倒れているのだからそれしか視界に入らなかった。
薄暗さを割り入る青。
思わず目を細めたくなる、けれど目を背けようとは思わない眩しさがあった。
これだけ手ひどくやられてプライドすらもぼろぼろのはずなのに、どういうわけか男の心内は一層明るく晴れ渡っていた。
シリーズ第七話でした!
やっと二人がお互いの名前を聞いてくれたよ!!
これで声を大にして言える。
これは間違いなくヒバピンです!!!
一応ここまでで話全体の前半が終了です。
話の区切りがいいので一端終了します。
ここまでお付き合い下さった皆様ありがとうございます!!
2011/03/17
※こちらの背景は
NEO HIMEISM/雪姫 様
よりお借りしています。