暗殺者と学生 D
「そうですか」
少女はどうでも良さそうな感想を漏らした。
止めていた手を動かして、わしゃわしゃ髪を拭く作業に戻る。
「・・・・・・何も聞かないんだ?」
しがない大学生だなんて、信用ならない回答をされて黙って信じるほどの間抜けではないだろう。
言及されるつもりでいたのに、少女はあっさりと引き下がった。
今度は手も止めずに答える。
「答えるつもりが有るんですか?」
「いや?」
たぶん適当な嘘を並べ立てて回答を拒否するだろうことは自分にも、少女にもわかりきった答えだった。
「なら、相手するだけ無駄です」
聞かないからお前も聞くな。
暗にそう言っている。
そもそも、相手が何者かだなんて特に興味なんてない。
相手が誰か知らなくたって家に招けるし、風呂に入れるし、食事をすることだって出来る。
現に今自分はこうしてここにいる。
その現実だけで十分だろう。
何者か、なんて事柄は先入観を与えるだけのモノに過ぎない。
仮に何かの事態が起こるのならば、自己に責任を擦り付けすべてを咬み殺してやればいいだけの話。
ただ、それだけの話。
「君がそれでいいなら、構わないよ」
「その言い方、まるで私が強いたかのようで気に食わないです。自分の選択くらい自分でしてください」
聞かれたくないのは、お互い様でしょう?
私に転嫁しないでください。
「・・・・・・変なことにこだわるんだね」
「自己の判断を相手に委ねるのは責任逃れを望んでいるから。自身の行動に対する免罪符を掲げることで得る安堵感なんて馬鹿げていると思っているだけです。それとも、貴方もそういう類の人間ですか?」
「・・・・・・正論だよ。僕もそういう輩は見ていて反吐が出る」
男は言葉を訂正した。
「君と同様に、僕も素直に答えるつもりなんてさらさらないから聞かないよ」
「はい」
満足気に、少女は頷いた。
ただ、『君と同様に』と言った点を訂正しようとはしなかった。
少女もまた、ある程度嘘をついていることを事実として認めているのだろう。
まったくもって、少女の意図が読めない。
「じゃぁ仮に君がしがない中学生だとして、だ。君のいう『師匠』っていう人はいつ帰ってくるの?」
「さぁ?」
「・・・・・・さぁ?って・・・・・・」
「ふらりと居なくなるのはいつものことです。いつ帰ってくるのかなんて、私にはわかりません。きっと師匠にだってわかってないんでしょうね。気づいたら帰ってきているし、気づいたら居なくなっています」
淡々と、こともなげに言い放つ。
敢えて感情を込めないように意図しているようにも感じられた。
それだけのことをしてのける人間が、ただの中学生だなどとは片腹痛い。
「それよりも、貴方はこれからどうするんですか?」
「僕?」
「いつまでココに居ますか?」
さて、それが問題だ。
ココに居座る理由など男にはなかった。
男は帰るべき家が無い行き倒れとは違うのだ。
重傷で身動きとれない患者とは違うのだ。
ただ興味本位で少女に着いてきただけなのだ。
その興味の対象ですら、己を語るつもりはないと宣言されたばかりだった。
いよいよ理由がない。
理由がないなら、立ち去ればいい。
無理を押してまで居座るつもりも理由もない。
「そうだね。はっきり言って居座る理由はもう無い」
帰るか。
珍しく興味を引いた人間には心残りがあるけれど、きっと数日もせずに忘れてしまうだろう。
別段、これまでの常識を覆すほどの鮮烈なインパクトを受けたわけじゃぁない。
むしろ逆だ。
非常識が常識の皮を被って装って、無理矢理とけ込もうとしている。
隠しきれずに滲み出ている違和感。
隠そうとして隠し切れていないからこそ、気になっているだけなんだ。
男は自分にそう言い聞かせた。
「帰るよ。世話になったね」
男は立ち上がった。
後腐れなく、痕跡を残さず、消えよう。
まずは借りていた服を返そうか。
自分の服は乾いてはいないだろうけど、どうせ雨は止んでいない。
濡れて帰るのだから初めから濡れていたって大差はない。
「・・・・・・貴方は濡れた服を着る奇特な人なんですか?」
少女が男を呼び止める。
「どうせ濡れるんだ。関係ないよ」
「・・・・・・雨が上がるのを待てばいいじゃないですか」
「・・・・・・何?引き留めたいの?」
「別に。ただこの家には貴方が居座るくらいのスペースが空いていて、お布団も一組余っているだけです」
「引き留めているじゃない」
「帰りたければ帰ればいいです。ずぶ濡れの服を着ることに至高の喜びを感じる趣味があるなら、帰ればいいです」
「君は僕を変態だとでも思っているの?」
「ろくな人間ではないと思っています」
その回答は当たらずとも遠からずと言ったところだ。
あえて否定しようとは思わなかった。
だが、一つだけ言ってやりたいことがあった。
「君は、自己の判断を他人に委ねるべきじゃないと言ったよね?」
「はい」
「僕もその意見には同意する。ただ、それだけでは不十分だと僕は思う」
「と、いいますと?」
「自己の意志を他人の決断によって抑圧すべきじゃない」
「・・・・・・」
「言いなよ。君はどうして欲しいんだい?」
それが、男を家に招いた意図なのではないだろうか。
確信はないが、そう感じた。
「・・・・・・女子中学生一人は何かと危険なのでココにいてください」
「知らない男を家に連れ込む方がよっぽど危ない気はするけどね」
まぁいいだろう。
しばらく付き合ってみるのも、悪くはないかもしれない。
「雨が上がるまで、世話になるよ」
暗い路地裏から出てきたときと同じように、もう一度少女の頭を撫でた。
今度は濡れていない手で、だ。
少女は感じていた。
今頭の上にあるのは水の浸透などではなく、紛れもない温もりだと。
男から感じたのは、久しくこの家から消えていた、人の体温だった。
□■□
目覚まし時計が鳴るよりも早く、少女は体を起きあがらせた。
平素と変わらない。
いつも通りの光景。
隣に目をやった。
そこも、いつも通りの無人だった。
いつも通りではおかしいのに、いつも通りだった。
「・・・・・・」
私が目を覚ました時。
隣は、もぬけの殻。
冷たくなった布団があるだけだった。
窓の外を見た。
数日間降り続いていた雨は、上がっていた。
第5話でした。
なんかちょっと物語が動きした気がしないでもない。
しかしローテンションである。
安心のローテンション。
読む方には相当強いると思います。
すみません。
毎度のことですが、ヒの字もイの字も出てきませんがこれはヒバピンです。
今しばらくお付き合いくだされば幸いです。
2011/02/10
※こちらの背景は
NEO HIMEISM/雪姫 様
よりお借りしています。