暗殺者と学生 B






「勝手に借りてるよ」
「はぁ」

頭にタオルを被ったままの少女が小首を傾げる。
解いた髪の毛が動きにあわせて揺れ、床に滴を落とした。

「何してるんですか」
「見てわからない?」
「・・・・・・わかるけど、人様の家ですることではないと思います」
「そうかもね」

言葉数少ないやりとりで、男は元の作業に戻った。
男の後ろで、少女が立ち尽くす。
動こうとする気配すら無く、背中に猛烈な視線を感じた。

「何?」

振り向かずに問う。
返事がないことを不思議に思い、再び手を止め、背後を振り返って問うた。

「何?」
「・・・・・・・・・こっちの台詞です」

わずかな落胆に、わずかな憤り。
そんな感情があったように思う。
少女は凝視していた視線を外した。

「だから勝手に借りてる、って言ったじゃない」
「なんで借りてるんですか」
「お腹減ったから」
「・・・・・・」
「心配しなくても君の分も作ってあげるよ」
「そんな心配はしてません」
「けどろくな物が入ってないね。この冷蔵庫」
「余計なお世話です」

ふてくされたのか、少女は茶の間に引っ込んでしまった。
追いかけようかとも思ったが、鍋がコトコト言い出したので男は気にせずに作業を続けることにした。
冷蔵庫には生鮮品が全くといていいほど入っていなかった。
ただ、幸いにも調味料の類や乾物、冷凍野菜は必要以上に揃っていたからとりあえずのご飯くらいは何とかなるような気がした。
米も勝手に物色した戸棚の中から見つけ、既に炊飯器の中にある。
その炊飯器はといえば、うっすら埃を被っておりしばらく使われていなかったことを物語っていた。

この家には生活感がない。
物が少ないというのもあるのだろうが、それだけが原因ではない気がした。

(・・・・・・そうか、無いのは生活感じゃない。生活臭だ)

ガスコンロを前に、男は思った。

この家には生活臭が無い。
人が暮らしているとは思えないほど、寒々とした空気がある。
放棄されたかのように。
家人などいないかのように。
世界に見放された場所のようだった。
それでも何とかこの家を現世につなぎ止めているのは、辛うじて存在を主張する保存食。
口の開いたそれだけが、唯一の生活臭だった。

過度の潔癖性であってもこうはならないだろう。
それに、この家はもっと意図的なものを感じた。
あえてそうしているような、そういう空気だ。
人一人分の空気を、可能な限り最小に止めようとする意思。

(・・・・・・一人分・・・・・・?)

己の思考に、男は疑問符を浮かべた。
何の迷いもなく、一人分だと断定したのは何故だ?
少女は親代わりの人物がいると本人の口から聞いたばかりだというのに。
しかし、男がこの家から感じ取ったのは一人分の空気。
改めて探ってみても、どうにも二人目の存在を捕捉できない。
少女は嘘をついたのか?
いや、きっと違う。
今男が着ているこの服は、どう見積もっても少女のサイズに合っていない。
それに、食器籠には二人分の茶碗が揃えて置いてある。
間違いなく、二人目は存在するはずだ。
なのにその存在感は微塵も見あたらなかった。
考えうる可能性。
まぁ、・・・・・・天涯孤独の身というのはそう珍しい話でもない。

「師匠は生きてますよ」

まるで男の脳内を覗いていたかのようなタイミングで、少女が茶の間から答えた。
振り返ったが、男の位置からは少女の姿は見えなかった。
おそらく、少女も男の姿を見ていないのだろう。

「師匠は生きてます」

少女が繰り返す。

「そう」
「人の家を詮索するなんて、いい趣味してますね」
「勝手に答えたのは君だろ?」
「勝手に想像したのは貴方です」
「・・・・・・立ち入られたくないなら、何で僕を連れてきたの?」

二度目の問い。
純粋な疑問。
放って置けばよかった。
誰もがそうしていたように、知らぬ存ぜぬを貫けばよかった。
そうしなかったのは、少女自身。

「・・・・・・気まぐれだと、言ったはずです」

もはやそんな答えは答えではない。
まやかしで塗り固めた虚構だ。
見え透いた嘘に付き合ってやるほど男は出来た人間ではない。

「君は・・・・・・」

ピィィィィッ──

甲高い電子音。
炊飯器がご飯の炊きあがりを知らせる音。
次いで、コンロに掛けたままの鍋が吹きこぼれた。
明らかに浮いた生活音。
久しくなかったであろう生活臭。
正常であるはずのそれは、この家においては異質だった。
異質さは、嫌でも人の気を引く。
今はその話をすべきではないと、この家に言われた様に男は思った。
どうせ、一分一秒を争うような問いかけではない。
後回しにしたところで、大した問題にはならない。
それどころか、本来聞かなくてもいい質問だった。

「・・・・・・ご飯、食べる?」
「いただきます」

存外、少女は迷い無く答えた。
茶の間から姿を現し、自分の分の茶碗を差し出した。

「好きに装いなよ」
「はい」

年頃の少女の飲食量など男は知らない。
少女は慣れない手つきで自分のお椀にご飯と味噌汁を装った。
男の分を装う素振りも見せず、少女は茶の間に引き返していった。
男が炊飯器と鍋の中身をのぞき込むと、きっちり半分量が残されていた。

無意味なまでの几帳面さに、男は思わず唇の端をゆるめた。









連載三回目。

まだヒの字もイの字も出てこないことに

正直皆さんが辟易し始めている頃だと思う。

一応弁明の意味で繰り返しますが、ヒバピンです。

話の進展は一体いつになるやら・・・・・・。

今しばらくおつき合いくださいませ。

2011/01/26





※こちらの背景は clef/ななかまど 様
よりお借りしています。




※ウィンドウを閉じる※