数年ぶりに立ち寄った並盛町。
10年前と変わらないようにも見えたし、ぜんぜん知らない場所のようにも思えた。
当たり前だ。
変わっていないはずなんて無い。
10年という年月はそれくらいの月日なんだ。
取り立てて目的地も無く、足の向くままに歩みを進める。
マフィアのボスなんていう大層な肩書きを背負わされてから世界中飛び回る機会があった。
もちろん日本にも何度か帰ってきた。
だが、一度としてこの並盛町には帰らなかった。
ここには思い出が多すぎて、帰ってくることが辛かったんだ。

楽しいことも、嬉しいことも、辛いことも、悲しいことも。
全部ひっくるめて俺の根幹を成す思い出で、唯一今の自分を支えてくれる精神の糧でもあった。
壊したくない。
壊されたくない。
だから近寄らずにいた。
思い出にして、蓋をして、それ以上を求めないようにした。
俺がいなくったって世界は、並盛町は回っていく。
そんな当たり前の事実は、現実問題としてはとても悲しいことで。
同時に仕方のないことで。
なにより、自分が選んだ行く末だった。
だからこの町は俺にとっての宝物。
大切だけど、決して宝箱から取り出してはいけない。
触ったら壊れてしまうかもしれないから、そっと眺めるだけ。
思い出して頬を弛ませるだけ。
そういう場所にしたんだ。

それを今になってこうして訪れたのは、俺にそうさせる未練を断ち切るため。
最後の決別をするため。
そうして初めて、俺はこの町を本当の意味で宝箱から取り出せる。
思い出だけじゃなくって、再び見て触って、新たな感動を知ってより愛することが出来る。
だから俺は戻ってきた。




Shall we?



決心してきたはずなのに、こうして肝心の用事を済ませられないのは、やはり心のどこかで思い出を壊すことを拒否しているからなのだろう。
このまましらばっくれてどこかに逃げ出してしまおうか、とか弱気の虫が顔を出し始めている。
第一、どこに行けば逢えるのかすらわからない相手なのだ。
彼女の自宅に行くのが一番良いのはわかっている。
けれどそれだけはしたくなかった。
逢いたくない人に逢ってしまうかもしれないことを恐れた。
だからこうして当てもなく町をぶらついている。
気がつけば見慣れた建物が目に飛び込んだ。
並盛中学校だ。
俺の総てが動き出した場所。
初めて彼女に逢った場所。
あの頃よりも建物は少しだけ古びて見えた。
俺の知らない10年間の歴史が確かにそこにはあった。
あの頃の教室に入ってみたかったけれど、今は平日の昼下がり。
流石にそれは叶わない。
せめて少しだけでも当時の香りを求めて校門に向かった。
昨今の事件の影響なのか、昼間なのに門は閉ざされている。
それを残念に思いながらも、足は止まらなかった。

―――と。
校門の前に立つ人影に気づく。
閉ざされた門の間から校庭をじっと見つめている。
その人に、俺は見覚えがあった。

「・・・・・・京子・・・ちゃん・・・?」
「え?・・・・・・もしかして・・・・・・・ツナ、君・・・」

俺の呼びかけに振り向いた彼女は、まさしく俺が探していた女性――笹川京子、その人だった。

「久しぶりだね・・・」
「嘘・・・・・・本当、なの?いつ日本に?」
「今朝帰ったばかりなんだ」
「そう、なんだ・・・・・・ごめんね?驚いちゃってなんて言ったらいいのかわからないや」
「いや、俺も驚いてるし。まさかこんなところで逢うなんて思っても見なかったしね」

俺の言葉は半分嘘だ。
偶然の出会いではあったけれど、驚きはしなかった。
むしろ驚くほど心静かだ。

「ツナ君に逢うの、中学卒業以来だね・・・」
「・・・そうだね・・・」

もっと、逢う機会なんていくらでもあったはずなのに俺が故意に避けたばっかりにそれだけの時間が流れていた。
取り戻すには長く、後悔するには短い時間だ。

「どうしてここに?」
「何となく。足の向くまま歩いてたら学校が見えてそのままふらふら〜と、ね。京子ちゃんは?」
「私は・・・・・・」

一瞬、言い淀んだ。
言葉にすることを躊躇っているような。
まるで未練を断ち切れないかのような。
そんな、歯切れの悪さ。
言葉を紡ぐ直前、彼女が小さく拳を握ったのが視界の端に映った。

「・・・もうすぐこの町を離れるから、最後に思い出を見て回っておこうと思って・・・・・・」
「そう・・・・・・」
「私、来月結婚するの・・・・・・」
「・・・・・・うん・・・、お兄さんから聞いたよ・・・・・・」
「そっか・・・、そうだよね。お兄ちゃんはツナ君と働いてるんだもんね」

顔を俯けた彼女。
何やっているんだろう、私・・・・・・と小さく呟いたのは空耳ではないはずだ。
だがそれ以上彼女は言葉を続けなかった。
今度は代わりに俺が口を開く。

「俺が日本に帰ってきたのは、さ」
「・・・・・・・・・」
「京子ちゃんに、『おめでとう』って伝えたかったからなんだ」

「やめてっっ!!」

何が起こったのかを理解するのに数瞬を要した。
温厚な彼女がまさか怒鳴るように叫ぶなどとは露ほども思っていなかった。

「・・・・・・え?京子ちゃん・・・・・・?」
「おめでとうなんて言わないで!?言われたくないのっ!誰にも!どんな人にもっ!祝福なんてされたく無いのっ!!!」
「お、落ち着いて?京子ちゃん。とりあえず場所を移そう?」

半ばヒステリックになった彼女を近くの公園へ誘った。
昼の公園ならばそう人気は多くない筈。
いても子連れの母親に睨まれる程度で済むだろう。
お店だとどうあっても人の目が気になるので避けたかったのだ。
学校近くの並盛公園。運良く人影はない。
ベンチに彼女を座らせ、自販機で買った缶ジュースを手渡す。

「どうしたの?京子ちゃん」
「・・・・・・ごねんね・・・なんでもないの・・・・・・」
「祝福されたくない・・・って言ってたけど、もしかして結婚したくない、とか・・・?」
「したくないのとは・・・・・・ちょっと違うかな・・・・・・」
「じゃぁ・・・・・・」
「そうだね・・・・・・・・・」

手渡した缶ジュースを握ったり離したりをしながら、慎重に言葉を選んでいるようだった。

「強いていうなら・・・どうでも良かったのかな・・・」
「・・・・・・・・・」

あまりにも突き放した言い方に俺は言葉もなかった。
まるで他人事のように。
それこそ、興味がないように。
感情から切り離した先にある、ただの事象としか捕らえていないかのようだった。

「結婚なんてどうでも良かったの。だから誰でも良かった」
「昔は・・・・・・憧れてたよね・・・?」
「うん。今だって、花嫁さんには憧れてるよ。大好きな人と幸せになれるなら、それ以上のものはないもの」
「・・・・・・ならどうして・・・・・・」

隣に座る彼女の顔を覗き込む。
すると、彼女は自嘲気味に笑う。
泣くことも出来ず、憤ることも出来ず、ただ自分を嘲ることしか出来ないことを笑って言う。

「本当に好きだった人と一緒になれないなら、後は誰だって一緒なの・・・・・・」
「今の人は好きじゃないんだ・・・・?」
「嫌いじゃないよ。でもそれだけ。そのうち好きにはなれるかもしれないけど、きっとあの人以上にはなれないと思う。もしかしたらあの人以上に好きになれるかもしれないけど、忘れることは・・・・・・出来ないと思う」
「そっか・・・・・・」

それ以上の言葉は出てこなかった。
慰める言葉も、彼女は必要としていない。
だから掛ける言葉がない。
無言のまま数分が流れ、そこから前触れもなく彼女が問うた。
陰鬱なそれまでの空気を打ち消すように努めて明るく。

「ねぇツナ君。今から、時間あるかな?」
「え?・・・あ、うん。用事も無くなっちゃったしね」
「そう。じゃぁ、私とデートしよ?」
「ぅえぇっ!?」

驚いて思わずベンチから飛び上がる。
え?今彼女はなんて言った?
デート?そう言ったのか?

「私とはしたくない?」
「そんな・・・ことはないけど・・・・・・」

これから人妻になろうという人と気安く出掛けて良いものか判断に迷う。

「なら行こう?・・・こんなことで壊れる相手なら、結婚なんてしない方がマシでしょ?」

心の中を読まれたかのように、彼女は的確に回答した。
もしかしたら彼女自身、そうなることを期待して誘ったのかもしれない。
さぁ早く、と彼女が手を差し伸べる。
断る理由が、俺には見当たらなかった。

「京子ちゃんとデート出来るなんて光栄だよ」

それでも、差し出された手を握る勇気は、俺にはなかった。  


 □ ■ □ 


それから、俺たちはデートをした。
デートだなんて言うにはあまりにも子供じみたものだったけど、多分、デートだったんだと思う。 
ぶらぶらと懐かしい並盛の町を二人で歩き。
ふと目に付いた駄菓子屋で足を止め。
たった150円分のお菓子を買うのに二人で30分も悩み。
駄菓子のおまけクイズをバカみたいに笑いながら答え合った。
昔懐かしの商店街を、買う気も無いのに見て回り。
お互いに趣味の悪い柄の洋服を勧め合ったり。
冗談を言って。
お腹を抱えて笑って。
たったそれだけのデートだ。
俺たちは沢山話した。
でも、昔話はしなかった。
未来の話もしなかった。
その場限りの、5分もしたら忘れてしまいそうなたわいもない、今の話しかしなかった。
そして。
ただの一度も、手を繋げなかった。

あっと言う間に日が暮れる。
見上げた空はもう茜色に染まっていた。

「・・・・・・帰ろうか」
「・・・うん・・・」

言葉の端っこにある否定の意には、あえて気がつかない振りをした。

「送るよ」
「・・・ありがとう。ツナ君・・・」

ほんの少しだけ。
20分にも満たないわずかな時間。
別れを先延ばしにした。
たったそれだけでどうなるわけでもないのに。
どうしたいわけでもないのに。
最後の決断を、先送りにした。
彼女の家までの路、それまでとはうって変わって交わす言葉はなかった。
一歩一歩、足取りが重くなる。
彼女も同じだけ、歩幅が小さくなる。
それでも。
どんなことにも終わりがあるように、いつかはたどり着いてしまう。
着実に別れの時は近づく。
本当の意味での、決別の時。
10年来の未練を、断ち切る時。
最後の角を曲がると、彼女の家が目に入った。
もう1分もかからない。
ゆっくりと、けれども止まること無く鳴っていた靴音が一つになった。
振り返ると、彼女が完全に足を止めていた。

「京子ちゃん?」
「私・・・・・・ツナ君のこと、好きだったよ?」

過去形。

「ずっと、ずっと、・・・・・・好きだった・・・」
「うん・・・・・・俺も京子ちゃんが好きだった」

過去形。

「イタリアに行っちゃった時、すごく寂しかった」
「俺も、寂しかった。思い出を置いていくことが、辛かった」

過去形。

「今も、寂しいよ・・・・・・ツナ君はもう二度と帰ってこない。私には絶対に逢わないつもりなんでしょ」
「・・・・・・そうだよ。そのために帰ってきたんだ」

現在形。

「君という未練を断って、先に進むんだ」
「先になんて、進めないよ・・・・・・」

現在否定形。

「今だって、ずっと、ツナ君が好きだよ?」

現在進行形。

「私たち、今からでも始められないかなぁ?」

そして、未来。

彼女の頬を伝って滴が落ちる。
止めどなく流れるそれを隠そうとも、拭おうともしない。
10年分が溢れ出すように。
止まっていたものを動かすように。
過去から未来へ流れ出す。

「・・・・・・無理だよ・・・・・・」

確信した。
結局無理だったんだ。
未練を断ち切るなんて、そんなこと出来やしない。
10年。
人を、町を変えるのに十分すぎるほどの時間。
それでもなお変わらないものなんて無いと思ってた。
実際変わらないものなんて無い。
俺たちはずっと停滞していただけだった。
俺も、彼女も。
前にも後ろにも動けずに、その場でうずくまることしか出来なかった。
これは始まりでも、ましてや終わりでもない。

「俺たちはずっと、10年も前から始まってたんだ・・・」

美しい思い出にしてしまえば良いと思っていた。
色褪せないように綺麗に保存して。
傷つけないように。
傷つけられないように。
そっと、箱に入れておけば良いと思っていた。
でも、もうそれじゃぁダメなんだ。

「一緒に、闘ってもらえますか?」

手を伸ばす。
壊したくなかった宝物に。
壊されたくなかった宝物に。
腹をくくって手を伸ばす。

逃げるのは止めよう。
悲劇ぶるのは止めよう。
本当に大切なら、この手に掴んでいよう。
どんなに心を閉ざしたって未練は無くならないなら、心のままに動いてみよう。
意外とどうにかなってしまうものかもしれない。
心配していたことが嘘のように、すんなり解決してしまうかもしれない。
たとえどうにかならなかったとしても。

その時は、その時だ。

「俺も、京子ちゃんが、今でもずっと大好きです」

やっと言えた。
本当の気持ち。
断ち切りたかった本当の未練が、最良の形で、消えていった。









22222打オーバー御礼リク、「ツナ京で10年後再会ラブストーリー」でした。

ザ☆シリアス!書きやすい!

手も握らない、チューもしないで、ラブストーリーとは良く言ったもんだ。

プラトニックラブ!ラブ!

ここから先の二人はしこたま大変なことが待っていると思いますが、

10年越の愛の力で乗り切って欲しいものです。

こちらの作品はリクエストしてくださったせいら様のみお持ち帰り自由とさせていただきます。

リクエストありがとうございました。

2010/10/18





※こちらの背景は NEO-HIMEISM/雪姫 様 よりお借りしています。




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