息苦しさで目を覚ます。
狭いが通気口はきちんとついているし、換気扇も回っている。
室温は少し低いくらいに設定してある。
本当に酸素が不足しているわけでもないのに、どうしてか頭がふらふらする。
胸のあたりに手を添えてみれば、心臓は遅くもなく早くもなく。
一定のリズムを一定に刻んでいる。
それでも私は息苦しさを打破できず、窓に向かい手を伸ばす。
「何してるの?」
窓枠に触れる直前。
私の手が取られた。
億劫そうに横たえた体を持ち上げ、私に向かって手を伸ばすヒバリさん。
「なんだか、息苦しくて」
やんわりと笑って告げると、私の代わりに窓を大きく開いてくれた。
スゥと肌を舐める空気は冷たい。
頭の中にくすぶっていたものが洗い流されるような、そんな感覚。
しかし、それもほんの一瞬にしか過ぎない。
幾ばくもしないうちに息苦しさに蝕まれる。
「息苦しいのは、ソレのせいじゃないの?」
ヒバリさんが呆れた声を上げた。
今度は私の首元に向かって手を伸ばす。
──ジャラリ
金属同士が擦れる低い音がする。
私の首元から垂れる、鎖だ。
「あ・・・・・・そっか」
「後ろ向いて。外すから」
完全に体を起きあがらせたのを見て、私は背中を晒す。
垂れた鎖が肌に当たって冷たい。
「・・・・・・何でこんなの、付けたわけ?」
「一番はじめに付けたのはヒバリさんですよ」
「僕はすぐに外した」
「まぁ、そうですけど」
ヒバリさんの細い指が首元でうごめいて、ゆっくりと私を拘束する留め具を外す。
「好きなんですよ」
「縛られるのが?君ってそんな性癖有ったっけ?」
「やだ。違いますよ」
私が好きなのは、そんなことじゃなくて。
「ヒバリさんに外して貰うのが好きなんです」
「僕は別に好きじゃないけどね」
「もう、そんなことばかり言う」
「事実なんだからしょうがないでしょ」
すっかり外された拘束は、重力に従って私の膝に落ちる。
鎖も一緒に、ジャラリと音を立てて落ちた。
あぁ。
なんて無意味な行為だろう。
思わず私はほくそ笑む。
「───アダムとイブは」
「・・・・・・何の話?」
「知りません?聖書に出てくる、一番初めの男と女ですよ」
「そんなことは知っているけど」
君はキリシタンでもないだろう?
ましてや、何の神も信じていないくせに。
ヒバリさんが不機嫌な声を出す。
「ヒバリさんだって同じでしょう?知っているのと信じているのは別次元です」
「あ、そ」
興味なさそうに呟く。
そのくせ「それで?」と会話の続きを所望する。
私は体を後ろ向きに倒し、背中をすっかりヒバリさんに預けた。
「アダムとイブは、なんて愚かな人たちだったんだろうって。そう思ったんです」
「だから、何の話なの?」
「檻と鎖の話です」
ヒバリさんに笑い掛ける。
仰ぎ見れば、やっぱり合点のいっていない表情を浮かべていた。
私は気にもせずに話を続ける。
「二人は、神様との約束を破って地上に落とされた」
あの時のように、私は天井に向かって手を伸ばす。
「ソレがつまり、この世界なんですけど」
その行為に意味はない。
「図らずも、二人は二人だけの世界を手に入れた」
ただ、それだけの行為。
「アダムにはイブしかいなかったし、イブにもアダムしかいなかった」
それだけに過ぎない行為のはずだった。
「たった二人で完結する世界」
しかし、唐突に手が触れる。
「二人にとって、ソレはとても広い檻の中の生活だった」
望んでも手に入れることが出来ないはずの、誰もが焦がれたものを二人は手にしてしまった。
「きっと二人は歓喜して、心のままに愛し合ったに違いないわ」
僕たちのように?
耳元でヒバリさんが低く囁く。
手が胸元を這い、唇が鎖骨に落ちる。
体の奥がキュゥと切なさを覚えた。
堪えきれずに目元を覆う。
ヒバリさんの感覚だけが、体を支配する。
体中の隅々まで。
それこそ、触れられていないところなど一片も無いほどに暴く。
快楽に身を委ねる。
ソレはなんて。
愚かな行為。
「その行為が、二人の絶望を産むことだとも知らずに」
二人は、バカみたいに愛し合ったに違いないわ。
昼もなく、夜もなく。
感情の高ぶるままに
欲望のままに。
お互いが欲するままに求めたに違いない。
「妊娠」
ソレが二人を苛む絶望の名前。
「二人は自ら檻を壊してしまった」
いや、そうじゃない。
「檻の意味を無くしてしまった」
世界は3人になってしまった。
「生まれた子供は愛おしかったかもしれない」
それも、時間の問題。
「初めに産まれた子供は、男の子だったそうです」
そう。
世界に男が二人になった。
女は一人しかいないというのに。
「なら、アダムは恐怖を覚えたことだろうね」
自分に成り代われる唯一の存在を、アダムは容認出来なかったはずだ。
「アダムは鎖でイブを繋いだかな?」
もしくは、新たな檻を作ったかもしれない。
檻の中に作る檻。
広い檻の中の一回り小さな檻。
息子という愛の結晶にさらわれないよう。
自分以外のものにならないよう。
自分以外のところにいかないよう。
考えうるすべての策を労しただろう。
まさに、滑稽。
檻を無意味にしたのは自分なのに。
そして、愚かな二人はさらに愚かさを重ねる。
「二人の間には女の子も産まれたそうです」
罪を重ね。
罰を重ね。
二人は何がしたかったのだろう。
「イブは戦慄したかな?」
「えぇ、きっと」
自分を愛し、自分を独占しようと尽力する男をたぶらかす魔性をこの身から排出したのだ。
戦慄しないわけがない。
「そうやって、檻と鎖は増えていく」
人の罪と罰と。
それから、愚かさの分だけ。
身動き取れなくなるほど雁字搦めになっていく。
「神様は、与えるべきじゃなかった」
愚かなる者に余計なモノは扱えないのだから。
「コレが───」
先ほどまで首を拘束していたソレを持ち上げる。
「こんなモノが無意味だと知っている私たちは、少なくともアダムとイブより賢いし」
「賢い、し?」
「ほんの僅か、自由に違いありません」
私はその愉悦が好きだった。
他でもない、貴方の手によって与えられる自由。
そして、同時にもたらされる喪失感。
この感覚を忘れない限り。
檻など無くても。
鎖など無くても。
必ず、貴方を求める。
求めたくて仕方ない。
私はソレが、たまらなく好きだった。
愚者に箱庭
「右肩に檻」「左手に鎖」に続く、束縛に関する無意味なシリーズ3本目。
雰囲気のアレなので深く考えちゃダメ。
2012/02/13
※こちらの背景は
空に咲く花/なつる 様
よりお借りしています。