上下する胸を叱咤して、目的地があるわけでもないのに走った。
ゴールの見えないモノほど疲労を加速させるものはない。
とにかく走った。
今はまだ立ち止まってはいけないと全身の細胞が叫んでいる。
それ以上に休息を求めていることは強靱な精神でもって無視するしかなかった。肺が締め上げられる。
酸素が絶対的に足りない。
それでも、立ち止まってはならない。
気力だけで足を前へと押し出した。

「・・・・・・っ!?」

不意に足がもつれた。
疲労は予想以上に自分の体力を奪っていたと自覚する。
上半身の勢いそのままに地面に激突した。
胸部を強く打ち付け、欠片も余裕の無かった酸素が声にならない悲鳴とともに吐き出される。

「っが、はっっ!ぅ・・・・・・っぐ・・・はっ、ぁっ!!」

限界の肺がとたんに自身の活動をやめてしまったかのように、空気が入っていかない。
意味のない喘ぎだけが続く。
五回、十回・・・・・何度繰り返したのか自分でも分からない。
それでも人間が無酸素でいられる時間などたかがしれている。
直前の状況から考えても、せいぜい30秒かそこらだろう。
ヒュォッ、と風切り音さながら肺に吹き込んだのを皮切りにようやく呼吸の方法を思い出してくれたらしい。
先ほどよりも更に激しく胸を上下させ酸素を送り込む。
何とか呼吸が落ち着いてくる。
落ち着いてしまったならば、今度は立ち上がらなければならない。
擦り傷、切り傷、打撲を気にしている余裕など無い。
私はこんなところにへたり込むために走ってきたわけでは無いのだから。
地面に根を張ろうとしかかっていた体を両の腕でもって引きはがそうとして、気が付く。
右手にしっかりと握られたままの一丁の拳銃に。

「っ・・・、ははっ・・・」

乾いた笑いが意志とは関係なく漏れ出た。
自分は離さなかった。
極限の疲労下にあっても。
派手な転倒時においても。
あれほどの呼吸困難に見舞われても。
それでもなお、たった一丁の、この拳銃を手放さなかった。
こんなものにどれだけの価値があるのだろうか。
自分にもわからない。
わからないから、立ち上がった。
立ち上がって、己の姿を見下ろした。
何てひどい有様。
全身濡れ鼠のどぶ鼠だった。
いつから降っていたのかもわからない雨を存分に吸った衣服はぺっとりと体に張り付き、体温を奪っている。
もっとも、服のあちこちは破け、血が滲んでいる箇所を数えようなどと思いもしないほどにぼろぼろになっていたのだが。
しかし、幸か不幸か、致命傷は無かった。
四肢は総て体幹と繋がっていたし、指の一本も失ってはいない。
残念ながらまだ自分は戦える。
武器もある。

ならば、戦いは続行だ。

立ち上がり、手にした拳銃のトリガーに指をかける。
指先がジンっと痛んだ。
寒さの為か、緊張のためか、はたまた酸欠のためか。
考えうる可能性などいくらでもあったが、回答が出たところで対処方などどれも大差ない。
結局のところ考えるだけ無駄な行為だ。
ならば思考の外へ追いやってしまえ。
思考とは脳の働き。
代償として多大な酸素を持って行かれるのであればより一層事態を悪化させる可能性だってあるのだ。
大きく息を吐き出し、あわよくば痛覚すらも体外に追いやろうとしたところで 「いい様だね」 背後から聞き慣れた声がした。
素早く背後に向き直る。
同時に全身の痛みを無視して一歩後方に跳躍し、相手との距離を広げ銃を構えた。
トリガーをぎりぎりまで引き絞る。

「やめときなよ。無駄撃ちになる」
「うるさいですよ。ヒバリさん・・・・・・」
「その距離で、今の君に狙いがつけられる?」
「・・・・・・・・・」

どうやらこちらの状態は相手にばれているらしい。
確かに、今の感覚の鈍った指先では微細な力加減ができない。
発砲を0.1秒以下で行えるぎりぎりの状態で姿勢を維持することなど、イーピンにとって通常時であれば造作もないことだった。
しかし、今はそれができない。
引き絞りを甘くすれば、反応から発砲までのタイムラグがより大きくなり弾道を見極められてしまう確率が上がる。
かといって過剰に引いてしまえば発砲し、次弾を撃ち込むまでの時間を相手に与えてしまうことになる。
どちらに転んでも、自分の優位は保て無い。
イーピンは素直に銃口を雲雀から外した。

「利口な判断、といったところかな」
「・・・・・・何のつもりですか・・・・・・」
「飽きたんだよ。こんなちまちまとした小競り合い、僕の性には合わなくてね」
「・・・・・・」
「君だって体力的にそろそろ限界だろう?これ以上長引けば、咬み殺し甲斐がなくなる。それじゃぁ面白くない」
「・・・・・・それで?」
「超接近戦。僕も君も、一番好んでいる戦術でやり合おうよ」
「・・・・・・・・・」
「それはOKということでいいのかな?」
「ルールは変わりません。お互いに、この拳銃を相手に撃ち込んだ方が勝ち。それだけです。たとえ雲雀さんがどのように仕掛けてきてもそれは自由だし、私がどんな手を使おうとそれも自由のはずです」 

反則も何もない。
撃たれたらそれまでの戦い。
それ以上もそれ以下もない、唯一にして明確なルール。

「そ。じゃ、僕の好きなように攻めさせもらうとしようか」

言い切るが早いか、雲雀が大きく身を沈め地面を蹴った。
間合いを詰められないようイーピンも後退しながら手にしていた銃を腰帯にねじり込んだ。
専用のホルスターは大腿部にあるが、足技を放つ際どうしても邪魔になるため癖付いてこちらの方が取り出しが早い。
バックステップで二歩後退。
右足を前に半身を引いて腰を落とし、雲雀の攻撃を待ち受ける。
初手は右下方から抉り上げるように鋼鉄の獲物が襲いかかった。
開いた半身を左右逆転させ軌道を避け、横凪に来る、または振り上げたものをそのまま降下させるであろう次手を封じるため、左肘を突き出し構える。
雲雀の鎖骨下を狙い元々接近状態だったものを一気にゼロ距離にまで縮める。

「そう来ると思った」

次手は予想外にも下方から伸びた。
鋭く蹴りあがる右膝が、構えによって晒された左脇を狙う。
慌てて突進していた体を左に捻ると、目の前を膝が通過していった。

「っはっぁっ!!」

捻った勢いそのままに両の手を地面に付き、回し蹴りを放つ。
相手は今片足に体重を乗せている。
その側の膝裏を正確に蹴り抜いた。
雲雀の体勢がぐらつく。
蹴り抜いた足を着地と同時に軸足に切り替え、畳みかけるようにもう一足を背中めがけて放った。

「っ!?」

蹴りそのものの回避が不可能と読んだ雲雀はあえてその場でスタンスを広げ、崩れたバランスを回復させることを選ぶ。
背面に直撃した。
が、それ以上のことは起こらない。
蹴り飛ばされるでもない。
痛みに崩れ落ちるでもない。
背中で蹴りを受け止めた。
ただそれだけである。

「・・・っちぃっっ」

悪態めいた舌打ち一つを残してイーピンは後ろに飛びず去った。
十分に間合いをあけてから、拳を軽く握った構えで備える。
今のは己の弱点の一つだ。
常日頃、自分自身でも気が付いていた弱点。
それが―――打撃の軽さ。
格闘家としては細すぎる体躯は、桁外れの俊敏性を生む代わりに打撃力を落としていた。
どんなに遠心力に乗せたところで、そもそものエネルギー量がなければ倍加されない。
この世がエネルギー法則に則っている以上、これは仕方のないことである。
そのためイーピンの打撃は入りはすれど、なかなか決定打に至らない。
今のように避けずに受けて、追撃を回避されることは多々あった。
だからといってウェイトを増やせば武器である俊敏さが損なわれてしまうだろう。
となると、己が取れる戦法は自ずと限られてくる。
つまり。

(――相手の裏をかく――)

確かに私の打撃は致命打にならない。
だが、だからといって打つ手がないわけではない。
やり方なんていくらだってある。
それが戦法というものだ。
イーピンは腰帯に差し込んだ拳銃に手を伸ばした。
引き抜きはしない。
ただ、手を掛けただけ。
その動作で雲雀はイーピンが銃に手を掛けていることを察し、鼻で笑う。

「当てる自信があるの?」
「えぇ」
「わぉ。どうしてくれるのか、お手並み拝見といこうか」

雲雀はそれでも銃に手をかけようとはしない。
もともと銃撃戦は好まない人間だから使う気がないのだろう。
きっと私をその愛用のトンファーで叩き潰してから撃つつもりなのだ。
ならば、私はその隙をつかせてもらうまで。

普段よりも万倍遅い踏み込みでイーピンが動く。

「遅い」

即座に反応した雲雀の跳躍の方が遙かに早い。
だが、それでいい。
そのために意識的に遅らせたのだ。
眼前に迫った打撃を鼻先ぎりぎりで回避、反転。
切り替えし、瞬間的にゼロまで落としたスピードを一気に最速へ。
相手がこちらを振り返るよりも早く、どんな打撃よりも早く、雲雀の側腹部めがけて銃を投擲。
しびれた指先で微細な調節などできなくとも、投擲であれば、それも的が大きければは外しはしない。

「!?」

飛んでくるソレの正体を見た雲雀の顔に、わずかに驚きの色が走ったのを見逃しはしなかった。
ついで銃を追いかける形で最速の蹴りを放つ。
振り向き様の裏拳が迫っている。
どちらが早いか。
間違いない。

私だ。

「はぁっっ!!」
「っ!」

パァン――と、何かが弾ける音があたりに響く。
わずかに、ほんの0コンマ数秒遅れて体が宙に舞った。
極めて正確に拳が顔面を捕らえたのだ。
地面にたたきつけられたのに、あまりの強打に痛みの知覚が追いついてこない。
起きあがろうにも体は言うことを聞いてくれそうにはなかった。
視線だけでもどうにかして周囲を巡らせる。
少し離れたところ、今さっき自分が立っていた辺りに雲雀が直立しているのが見えた。
ものすごく不機嫌な顔をしている。

「私の・・・・・・、勝ち、ですね?」
「・・・・・・すっごい納得できないんだけど・・・・・・」
「だって、ルールじゃないですか」
「絶対僕の方が勝っているのに・・・・・・」
「でも、ルール上は私の勝ち、です」
「・・・・・・・・・」

納得できないのか、不機嫌さをみじんも隠そうともせず未だ倒れ伏したままのイーピンに歩み寄り手を貸した。
ぐわんぐわん揺れる頭に耐えつつ、立ち上がる。
ふ、と軽い脳震盪を起こしていたのだろう。
体がぐらり不安定になったのを、すかさず雲雀が抱き止める。

べちゃ。

通常、不快な擬音とされる音に脳震盪も吹っ飛ぶ。

「「・・・・・・あ・・・・・・」」

同時に、二人同じ母音を漏らした。
雲雀の腹部をべっとりと濡らした真っ青なペイントが、同様にイーピンの腹部も真っ青に染め上げた。


 □■□


騒がしい声に二人が帰宅したことを知り、風は独特の足音の立たない歩きで玄関に向かった。
これでようやく晩御飯の時間になりそうだ。
貰いもののお総菜(ちなみにハンバーグだった)が4つだったため、3人家族のこの家では一つ余ってしまう。
それを取り合って喧嘩し始めた雲雀とイーピンに
「喧嘩するなら、修行がてら外でやってきなさい。先にペイント弾を撃ち込んだ方が勝ちですよ」
といって玩具の拳銃をお供に追い出してから小一時間といったところだ。
決着が付いて帰ってきたのだろう。

(さて、今日はどっちが勝ったんでしょうね?)

総合力では雲雀が圧倒的に勝っている。
だがこれは本当の戦闘ではない。
ルールのある、いわばゲームだ。
そこにおいてイーピンはよく理解している。
実践でかなわなくとも、ゲームを制する発想の柔軟性は飛び抜けていた。
もっとも、どちらが勝ってもおかしくないゲームを風がわざとセッティングしていることに二人は気づいてもいないだろうが。 
わーわー言い合う声が治まらないということは、イーピンが雲雀の裏をかいたということだろうか。廊下の角を曲がって玄関を見やり。

「今日はどちらが勝ったんですか?」

両者共にべっとりとペイント弾で汚れた腹部を見て、小首を傾げる。

「私です!」
「僕だよ」

同時に叫ぶ。

「大体、ピンのあれは撃ちこんでないだろ」
「ルールの意味を考えれば、ペイントで汚れたらアウトなんです!」
「それはピンの勝手な言い分だろ?実弾だったらあんな蹴りくらいで暴発なんてしないし、仮にしても君の足ごと吹き飛んでるよ」
「でもこれは実弾じゃないもん!」
「だからそれが言い訳なんだよ」
「負けたからって負け惜しみ言わないでくださいよ」
「負け惜しみじゃなくて事実」

言い争う二人を見て。

「え〜と……」

どうにも夕飯はまだまだ先になりそうなことだけを、風は悟った。




FIGHTING! 〜仁義無く闘え〜





22222打オーバー御礼リク、『闘うヒバピン』でした。

ついでに義兄妹パロだったりします。

ストーリーとかそっちのけで、とにかく戦闘シーン書くのが楽しかった。

シリアスっぽいけど、オチまできたらただのギャグになったミラクル。

リクエストありがとうございました!!

2010/10/05




※こちらの背景は NEO-HIMEISM/雪姫 様 よりお借りしています。




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