「知らないということは、罪なのでしょうか?」
いつものカル・デ・サックでカウンターに並んで腰を掛ける。
手の中で輝く黄色い液体を転がしながら私はポツリと零した。
目の前に座るぼさぼさ頭の男は僅かに私の目を覗きこみ、それから億劫そうにグラスを傾ける。
「・・・・・君は一体何処からそんな結論に至ったんだい?奈々君」
「・・・・・わかりません・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「でも、いつも思うんです。タタルさんの話を聞いていると痛感させられる」
何故私は知らないんだろう、って。
連綿と紡がれてきた歴史の一端も知らずに何故のうのうと生きているのだろうと。
過去には数え切れないくらいの凄惨な事件があって。
けれど私たちの『常識』によってそれらは全てなかったことにされている。
弱者は悪とみなされ記憶から、記録から抹消され。
強者は正義の剣を振りかざす。
輝かしいばかりの赤絨毯で歴史を彩る。
都合の良い言葉で、事件で、塗り固められた偽りだらけの歴史の教科書。
だけれども私達はそれを偽りだと考えることすら間違いだと何度も何度も入念に刷り込まれ。
気がつけば『勝者』によって擬似的に作られた正義の上に安寧と生きている。
「無知でいることがこんなに恥ずかしいなんて考えたこともありませんでした」
「『無恥』よりは遥かにましだ」
ぶっきら棒にカウンターに指で刻んだ文字を読み取り、思わず声を大きくする。
「タタルさん!!私は、そんな言葉遊びがしたいんじゃぁなくて」
「言葉遊びさ」
空になったグラスに残った氷をカラリと鳴らした。
君はまんまと俺の呪にかかってしまったというわけだ。
「・・・・え・・・・?」
「君がそんな思考に陥るのもすべて『呪』のせいなんだよ」
「それはどういう・・・・」
「奈々君。君は俺の『呪』にかかっているに過ぎない」
「そんな」
「そんなはずないと思うか?ソレが呪にかかっている証拠だ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「真実なんて誰にもわからない。
これまでに俺が君に対していろいろと話してきたことがあるだろう?
それをどれか一つでも確実に証明できるものがあるか?
・・・・・ないだろう。当たり前だ。
それらはすべて『俺が導き出した結論』でしかないのだからな。
だが君はそれらを最終的には信じた。それは何故か?
簡単だ。
君は俺が歴史についていろいろ調べていることを知っていて、
なおかつ破綻しない程度の理論性を持ち合わせた講釈があったから、
『きっとこれが正しい』と思い込んだに過ぎない。すなわち呪だ。」
「・・・・・まさか、今までの話は真っ赤な嘘だったんですか!?」
「最後まで話を聞くんだ、奈々君。君はどうも早計でいけない」
「す・・・・・すみません・・・・・・」
「そういう誠実な所は十分評価に値するところではあるが・・・・・、話を続けよう」
「はい」
言いながらマスターに愛飲のギムレットを注文する。
私も手元のグラスが空になっていることに気がついてミモザのお代わりを告げる。
「絶対的な真実なんて無いに等しい。それだけは言い切ってしまってもいいのかもしれない。
もちろん、俺が今までに話してきたことにはそれなりに根拠もあわせて説明したつもりだが、
それらはこれまでに同じように思考して来た人たちの断片だ。
断片と断片を繋ぎ合わせ、俺なりの結びつきを導くことで一つの思想を構築してきた。
その中に当人たちの思考は本当に組み込まれていると思うかい?」
「・・・・・・・いえ・・・・」
「思考を文字にして、言葉にして伝えた段階でそれは自分が頭で考えたものとは別物になっていると考えていい。
なぜなら書き手がいる以上、必然的に読み手が存在し、読み手が文章を読解することで言葉は意味を成す。
俺が今こうして話している内容だって、奈々君が聞き、自分の中で咀嚼し、これまでの経験と刷りあわせることで初めて理解されるに過ぎない。
つまり君の中に到達した段階で俺の言葉は既に君の思考にすり替わっているわけだ」
「それは、わかります」
たとえ100%は伝わらなくても。
言いたいことは、理解できる。
「ならば『真実は誰にもわからない』といった意味がわかるだろう?」
「当人以外には伝わらないから・・・・・・」
「そうだ。直筆といわれる書物であってもそこに真実が書かれているという証明はできない上に、例え真実であっても読み取ることは出来ない。全くもって永遠のブラックボックス」
「・・・・隠したのか、隠されたのか、真実なのか、嘘なのか・・・・わかっているのは当人のみ、ということですね」
「・・・・・・・・・実際のところ当人にだって全部がわかっていたかどうか怪しいと思わないか?」
「え?」
「君は、『棚旗奈々』のことをどのくらい知っている?」
「私の・・・・こと・・・・・?」
「わからないだろう?当然だ。人間はそんなに優秀には出来ていないんだ」
すべての事象を知ろうとするなんて、そんなもの驕りでしかない。
最後の一言を静かに漏らすと、タタルはいつもの寡黙な人間に戻っていた。
奈々はタタルを横目に見ながら、一つ一つ、今聞いた言葉を繰り返し考える。
何度も反芻し、咀嚼し、自分なりに解釈する。
そして浮かぶ、一つの疑問。
「タタルさん・・・・・」
「ん?」
「ならどうして、タタルさんは歴史を紐解こうとしているんですか?」
素朴な疑問。
絶対にたどり着けないと知ってなお、どうして追い求める。
タタルが、ふ、と鼻で笑う。
「俺は歴史を暴こうだなんて考えたこともないよ」
「アレだけ調べておいて?」
まさか。
それこそ冗談にもならない嘘っぱちだ。
いくらタタルのかける呪でも、かかるわけが無い。
目で訴える奈々に気がついたのか、タタルが言葉を続けた。
「俺はただ、自分を納得させる理論が欲しいだけだ」
だから知りたいと思うことはとことん調べて自分を納得できるまで何度でも繰り返す。
「君は知らないことを罪といったが」
本当はどちらが罪なのだろうな。
不用意な好奇心が、隠し通すはずだった歴史を暴くこともあるかもしれない。
未来永劫続くはずの結界を破綻させかねないことだってあるかもしれない。
それでもなお知りたいと思うことは・・・・・・
「知ることこそが本当の罪なのかもしれないな」
グラスに残るギムレットを最後の一滴まで体内に落とし入れた。
ほんとうのこと
(ならば君を知りたいと思うこの感情も、果たして罪なのだろうか)
そして衝動を抑えきれずに書いてしまったこの行為はきっと罪。
タタナナは難しいな。
会話文ばっかりで描写が殆ど無いw
2010/02/07
※こちらの背景は
ミントblue/あおい 様
よりお借りしています。