彼は今日もグラスを傾ける。
「タタルさん。飲み過ぎじゃないですか?」
キッチンで洗い物を片づけ終わり、手を拭いながら尋ねる。
ソファーに身を沈めながら、片手にグラス、もう一方には古い本。
それが彼の基本姿勢。
「意識の混濁はしていないよ」
顔も上げずに答えた。
「もう・・・・・・っ!」と、怒り気味に言ってみるが彼の耳には届かないようで。
相も変わらず水滴の浮いたギムレットを流し込む。
諸々の片づけも終わったので、私はエプロンを外し彼の横に腰を下ろした。
「タタルさん!?私、心配しているんですよ?」
「何をだ?」
素っ気ない返事。
やっぱり顔を上げようとはしない。
何か面白い部分でも見つけたのだろうか。
タタルさんは私なんかより、本の方にずっと夢中になっている。
「肝硬変とか、アルコール依存症とか・・・・・・」
「毎週必ず休肝日を作ってアルコール依存していないことは確かめているし、俺は人よりもアルコールデヒドロゲナーゼとアルデヒドカルボキシラーゼが多いと以前に言わなかったか?」
「知ってますし聞きました!でも!そういうことじゃなくて!」
数値的とか、科学的なことじゃなくて、もっと単純に心配しているだけなのに。
なのに彼は私の心配なんて何とも思っていないに違いない。
「病気になっても私知りませんからね!?」
プイ、と顔を背ける。
「・・・・・・何を怒っているんだ?」
「知りません!」
ようやくこちらに向き直った気配は感じたが、そちらなど見てやるものか!
「奈々くん」
優しく、かつ、少し申し訳なさそうな声。
今頃そんな声出したって遅いんだから。
「奈々くん。何に怒っているのか言ってくれないとわからないぞ」
「タタルさんがわかろうとしないだけです!」
「そんなことはないと思うんだが・・・・・・」
「絶対そうです!タタルさんは私の心配なんて何とも思っていないんですよ!」
カッとなって叫んだ。
つい、感情的になる。
最近こんなのばっかりだ。
自分でも自分の感情が制御できない。
理性的になれない。
こみ上げてくるものを吐露せずにはいられない。
吐ききってから、後悔する。
言うべきじゃなかったと。
自分の中で処理すべき感情だったと。
まるで子供のように振る舞う自分に嫌気が指した。
「ぁ・・・・・・・・・、あの・・・・・・ごめんなさい・・・・・・。私、今日はもう、休みます・・・・・・」
気持ち悪さを飲み下し、よろよろと寝室に向かう。
今日は早く休もう。
そうして、気持ちを整えるんだ。
「奈々」
タタルさんが、呼ぶ。
優しく、体を抱き寄せる。
「すまない。今のは、無神経過ぎた」
背中から覆い包むように。
頭一つ分高い彼の頭は、ちょうど私の肩口に置かれ。
そっと、私のお腹に手を宛がう。
「君が不安定な時期だとわかってはいたんだが・・・・・・どうも、その・・・・・・」
ゴニョゴニョと知り窄みになっていく言葉。
「君に、放って置かれるものだから・・・・・・つい・・・」
やっと聞き取れるかどうかの声で、そう告げた。
「君が構ってもらえないのは、寂しい」
まるで拗ねた子供のように。
子供が赤ちゃん返りをするかのような物言い。
長々と蘊蓄を語るのと同じ口から発せられる言葉と考えると、思わず笑みがこぼれた。
「それで、蔵書漁りとアルコールですか?」
「・・・・・・すまない・・・・・・」
「今からそんなので、この子が生まれたらタタルさんどうするんですか」
彼の腕の中で、クルリ向きを変える。
「それは・・・・・・」
「タタルさんにかまけている時間なんて、きっとほんの少しもなくなっちゃいますよ?」
クスリ。
いたずらっぽく、うつむくその顔を覗き見れば、彼はようやくその表情を緩めた。
「それは・・・・・・困ったな」
力を込めないように。
我が子の宿るお腹を圧迫しないように。
緩く、抱きしめる。
「たまには俺のことも構ってくれないと・・・・・・」
「くれないと?」
「俺も君に構っている時間がなくなりそうだ。何せ相手は何も知らないんだからな。聞かせてやりたい話はいくらでもある」
「まぁ!」
そんな胎教、聞いたことがない!
生まれてきたとき、赤ちゃんは一体どんな子供になっているのか想像したいような、したくないような。
「・・・・・・とりあえず、アルコールはしばらく自粛かな」
「あら?どうして?」
「君が呑めない間は、俺も呑まない。呑めない君に申し訳ない」
「私気にしませんよ?」
妊娠による一時的な味覚変化のためか、今はアルコールを摂取したいという衝動そのものがない。
「俺が気にするんだ」
「変なところで律儀なんだから」
「あぁ、いっそ、二十年ほど禁酒してみようか。この子が二十歳になる時まで」
私のお腹を撫でた。
トン、と。
中からその子が蹴り返す。
まるで私たちへの返事のように。
一つの命の始まりが、確かにそこにあった。
キミとの始まり
タバコもアルコールもやめたら、タタルさんどんどん健康になっちゃうね!
リア充結婚しろ!早く結婚しろ!
そして早く我々に二世を見せてくれ!!
2011/10/29
※こちらの背景は
clef/ななかまど 様
よりお借りしています。