『明日、仕事が終わってからタタルさんのお宅にお邪魔してもいいですか?』
そう彼女が電話越し告げてきたのは11月10日の夜だった。
心なしか緊張しているようにも聞こえた。
今更緊張するような間柄でも、ましてや誘いだてすることがはばかられる関係では無いというのに。
「あぁ、構わないよ」
『よかった・・・・・・』
受話器の向こうから、安堵の溜息。
出会ってから10年近く経つが、親密な関係になってからはまだ数ヶ月というところ。
(奈々くんは変わらないな。今も昔も)
電話の近くに転がっていた本を何気なくめくる。
中身を読むわけではなく、手遊びのようなものだ。
目で文字は追うものの、頭の中には入ってこない。
意識は耳に傾けられていた。
「ちなみに、それは何か用があると言うことかい?」
『え?』
「聞きたいことがあるとか、話があるとか」
『あ、いえ・・・・・・そういうわけじゃなくて・・・・・・』
「うん?」
『・・・・・・タタルさんと、二人で呑みたいな・・・・・・って思ったので・・・・・・』
「・・・・・・」
『あっ!あのっ!やっぱり・・・・・・ご迷惑、ですか・・・・・・?』
受話器の向こうの、萎縮した声。
顔を真っ赤にして、涙目になっているのだろうか。
想像して、思わず。
思わず。
「奈々くん、やっぱり君はおもしろいよ」
笑いがこみ上げた。
緊張で言葉を詰まらせる君が、さらりと大胆なことを言ってくれる。
君は昔からそうだった。
無知なフリをして、物事の確信を当たり前のように口にする。
本当、君は変わらないな。
『え?え?なんでそうなるんですか?』
「たまには自分で考えてみるといい」
『はぁ』
「ところで、本当にうちでいいのか?相も変わらず本に埋もれてる部屋だぞ?」
自慢でも何でもなく、本当に言葉通りの部屋。
たまに諸々の理由で一掃されることもあるけれど、1週間もたたずに元の黙阿弥。
基本的に、この部屋は人が生きる為の場所ではない。
間違っても、人を招きいれるにふさわしい場所ではない。
『でも・・・・・・横浜まで来てもらうのも悪いので』
「1時間かそこらだろう?構わないよ。明日は・・・・・・」
頭の中に付けた勤務表を思い浮かべる。
明日はどんな日程だっただろうか?
「17時頃には上がれると思うから、終わり次第ホワイト薬局に向かおう。合流してから帰れば待ち合わせの手間も省けるだろう」
『はい。じゃぁ、それで』
そんなつつがないやりとりの後。
ささやくように「おやすみ」を告げ、受話器を降ろした。
□■□
翌日、昨晩電話で話した通り、仕事が終わってからホワイト薬局へ足を運ぶ。
もだもだした俺たちの関係を見守ってきた(と本人は豪語する)外嶋さんに冷やかされながら一路横浜へ。
わずかに小一時間の移動だ。
駅から家までの途中、スーパーでちょっとした買い物を済ませ、奈々くんの住むマンションへ。
「散らかってますけど」などという決まり文句を言ったが、俺の部屋と比べるまでもなく掃除の行き届いた部屋だ。
かつての同居人にして彼女の妹が結婚のため出てしまったせいか、少しもの寂しい空気も混じっていたように思う。
「軽く食べられるもの作りますね」
「あぁ。すまないな」
「タタルさん、先に飲みますか?」
エプロンを後ろ手で結びながら、奈々くんが聞いてくる。
「いや、いい。準備が終わるのを待ってるよ」
「はい」
「何か手伝おうか?」
「大丈夫ですよ。昨日のうちに少し仕込んでおいたのでほとんど手が掛かりませんし。休んでてください」
「そうか。ではお言葉に甘えて」
彼女は笑顔をほころばせてキッチンへ、俺はリビングのソファーに身を沈めた。
ローテーブルの上にはいくつかの雑誌が。
雑誌の発行月もテーマもどれもばらばらで、気になってめくってみればなんと言うこともない。
そのどれにも彼女の妹、沙織くんが担当した記事が書かれていた。
改めて、部屋をぐるり見回す。
一人で暮らすには広すぎる空間。
二人が暮らしてきた痕跡。
「沙織くんは、にぎやかな子だったからな・・・・・・」
寂しくも、なるだろう。
祝いの門出なのだからこんな風に悲しんでしまうのは彼女に対して申し訳ないかもしれないが。
それでも。
奈々くんは。
「きっと、寂しく思うんだろうな」
長年飼っていた猫も他界してしまったという。
彼女は本当に、ここで一人きりなのだ。
(もしかしたら・・・・・・)
ふと、思い至る。
彼女は、ここに居たくなかったのではないだろうか。
妹と、それから愛猫の面影残る部屋に一人で居るのはきっと辛いことなのではないだろうか。
だから座る場所すら無い俺の部屋に来ると言ったのではないだろうか。
(だとしたら、悪いことをしたな・・・・・・)
気を使ったつもりだったが、余計なことをしたかもしれない。
「・・・・・・やっぱり俺はだめだな」
「何がですか?」
「奈々くん」
「お料理運ぶのでテーブル拭いてもらえますか?」
「あ、あぁ」
手渡された台拭き。
散らばった雑誌を近くにあったストッカーに片づけ、テーブルを拭く。
「あんまり手の込んだものは作ってないですけど」
サラダやカッテージチーズやプチトマトなどが乗せられたクラッカー、それから湯気をあげるグラタン皿などを乗せて運んできた。
ひらり、エプロンの裾を翻しもう一度キッチンに。
既に中を満たされたグラスを手に戻ってくる。
「はい。タタルさんの分です」
手渡され、受け取る。
カラン
グラスの中で氷が軽い音を立てた。
「・・・・・・これは・・・・・・」
俺の隣に奈々くんも腰を下ろす。
「タタルさんはあんまり好きじゃないかもしれないですけど、一杯だけ付き合ってください」
はにかんで答える。
手の中のグラスをのぞき込む。
濃い茶色と白の綺麗な二層。
「カルーア・ミルクか」
「はい」
「だが、これは・・・・・・」
「・・・・・・ポッキー、です。今日は、ほら。11月11日で・・・・・・」
マドラーの代わりに差し込まれているのは、紛れもなくポッキー。
細長いビスケットにチョコレートをコーティングしたあれだ。
「もしかして、それが呑みたかった理由か?」
「・・・・・・」
奈々くんの頬が薄紅に染まる。
「子供っぽいって、自分でも思うんですけど・・・・・・なんか、無性にやりたくなっちゃって・・・・・・」
赤くなった顔を隠すように俯け、カラカラとマドラー代わりのポッキーを使って綺麗な二層を琥珀色に混ぜ始めた。
「タタルさんには甘すぎすかもしれないんですけど、かといってギムレットをこれでステアするのはちょっとなぁ、って思って。
私が思いつくのでチョコが付いても合いそうなの、カルーアくらいしかなかったので・・・・・・」
「いや・・・・・・これはいいチョイスだと思うぞ」
彼女に習って、ステアする。
「実際、カルーアとチョコレートの相性は悪くない。チョコレートリキュールと合わせたレシピも存在する。
他にもキャラメルテイストのクリームリキュールとのもレシピもあるな。アイスに掛けたりするのも最近はよく見かける。
もともと甘味との相性がいいリキュールなんだ。発想は悪くない」
「あ・・・・・・ありがとうございます」
「何にせよ、アルコールはフレキシブルに楽しむものだ。
斬新な飲み方があっても構わないし、うまく飲めればレシピなど本当はどうだっていいんだ。
ルールのない自由な発想で楽しむのがカクテルのあるべき姿だと思う」
グラスを両手で持ち、若干惚けている彼女の前にグラスを掲げる。
「乾杯」
「あ、か、乾杯」
何に乾杯したのかもわからないが、チンとグラスを打ちならす。
普段は呑みつけない甘い味が口に広がった。
「甘いな」
「でしょう?」
あまりにもわかりきった感想に彼女はくすくすと笑う。
「ウォッカかブランデーがあれば申し分ないんだが」
「ジンならありますけど・・・・・・どうですか?」
「カルーアマティーニだな。たまにはいいかもしれないな」
「じゃ、持ってきますね」
楽しげな彼女の振るまい。
部屋に居座っていた空白はいつの間にか気配を消していた。
「・・・・・・俺の考え過ぎだったかな?」
グラスに差し込んであったポッキーをかじる。
カルーアをまとったチョコレートは甘かった。
食べつけない味ではあったが、たまにならば悪くはないとも思う。
「タタルさん」
奈々くんが瓶を抱えて戻ってきた。
「奈々くん、おかえり」
そう言ったのに、深い意味はなかった。
そう、口が動いただけだった。
「ジン、これなんですけどいいで・・・・・・・・・す、か?」
「な・・・・・・奈々、くん・・・・・・?」
「え・・・・・・?あれ、うそ・・・・・・なんで・・・・・・?」
ポロポロと、奈々くんの頬を大粒の涙が伝っていく。
本人ですらどうしてそうなっているのかわからないのだから俺も言わずもがな、だ。
「タタル、さん・・・・・・あの、ごめんなさい。私、なんか・・・・・・」
そうして、俺はやっと気が付く。
「本当にバカだな・・・・・・俺は・・・・・・」
それこそ、彼女が望んだ言葉だったんじゃないか。
訳もわからず目をごしごしをこする奈々くんの手を引いて、ポスン、と自分の胸の中に納める。
「一緒に・・・・・・暮らさないか・・・・・・?」
空白など、あるわけがなかった。
今ここには、俺が居るのだから。
一人と一匹に代われるだけの存在になれるかはわからない。
けれど。
ここには彼女一人ではなく。
今は、俺がいる。
二人でここにいるのだ。
彼女が欲したのは、そうした居場所なのではないだろうか。
自分の家だとか。
俺の家だとかは関係なくて。
自分が帰り。
そして、迎えてくれる場所。
そういう場所を求めて居たのではないだろうか?
stir
「・・・・・・でも、タタルさんの部屋・・・・・・とてもじゃないけど二人で住むなんて無理ですよね?」
「・・・・・・なら、俺がこちらに住めばいい話だ」
「今の部屋は?」
「書庫代わりだな」
「まぁ、もったいない」
「仕方ないだろう?あれをこちらに持ち込むのも気が引けるし」
「通勤、不便ですよ?」
「君は毎日しているんだ。できないことはないという証明だ」
「そうですけど・・・・・・」
「何か問題でも?」
「いっそ、郊外に一軒家探すとか・・・・・・なんちゃって」
「・・・・・・」
「・・・・・・あの・・・・・・タタルさん・・・・・・?」
「なるほど、それは盲点だったな。確かにここから一時間かけるのも、郊外からの一時間も代わりはない。
二世帯構えているのは実に不経済だしな。郊外一軒家なら俺の蔵書を運び込んでも問題ないだろう。流石は奈々くんだな。
俺が見落としているところをさらりと見つけてすくい上げる」
「いや・・・・・・あの・・・・・・」
「そうと決まったら明日早速不動産会社でも見に行こうか?」
「あ・・・・・・あの・・・・・・」
「何か希望があれば今のうちに出しておこう。これだけは譲れない条件が合れば言ってくれ」
「は、はぁ」
まさか、ほんの思いつきで言った言葉がこんな展開になるとは・・・・・・。
・・・・・・でも。
決して悪い気はしない。
カルーアとミルクをチョコレートでステアしたように。
私とタタルさんを、きっと何かか掻き立てていたのだろう。
ポッキーの日ってことで書いてたはずなのに
このポッキーの存在感の薄さったらないwwww
例のチャット会で発生した
>タタル、奈々ちゃん宅に入り込む
>郊外に一軒家を買っちゃうタタナナ
のネタを盛り込んでみました。
エメジャー話ではないけれど、こっそりひっそりエメジャニストに捧げます。
あの日のエメジャー人に限りお持ち帰り自由です!
ちなみに
「・・・・・・・・・時に奈々くん」
「はい?」
「ポッキーゲームというものはしないのか・・・・・・?」
とか言わせようかとも思ったけど、そんなタタルさんが想像できなかったのであえなく没となりました。
チャンチャン。
2011/11/11
※こちらの背景は
Sweety/Honey 様
よりお借りしています。