「今日、おでん食べに行きませんか?」
シフト明け。
唐突にそのようなことを宣ったのは常守だった。
一足先にとっつぁんが上がったから、一係のデスクに居るのは俺と常守の二人だけ。
対話の相手を確認するまでもなく、俺に向けての問いかけだ。
時刻は19時過ぎ。
腹の減り具合から言っても、早く夕飯をかき込みたいところだった。
わざわざ常守がこのように問いかけたということは、行き先は公安局の食堂・・・・・・というわけではないだろう。
執行官が行ける場所は厳しく制限されている。
日々の食事ですら、食堂もしくは自炊しか選択肢が無い。
もっとも、縢と違って俺の場合は自炊=インスタントだが。
ともかく、高確率で食堂利用をしている俺に改めて立てる伺いではない。
ということはつまり、だ。
外食しませんか?
常守はそう言っている。
勝手には外に出られない俺たちにとって、外の味に触れる機会はそうそうない。
最新の技術の恩恵をいち早く受けられる公安局の食堂は味も栄養管理も優秀だ。
わざわざ外に行かずとも、十分満足に足るモノが提供される。
だがどうしてなのか。
無性に外の味が恋しくなる時がある。
満たされているはずのところに波紋を生じさせたくなる時がある。
あぁ、だめだ。
一度その味を想像してしまったらあらがえない。
3年前に食べたきりになっている味を思い出してしまった。
揚げたてのサクリとした衣に包まれた具材の数々。
あつあつを頬張るあの感じ。
食べたい。
あの時の味をもう一度食べたい。
「俺は今、凄く天ぷらが食いたい」
常守には悪いが、俺の咥内は完全に天ぷらモードに入ってしまった。
これを満たすには、どんなに旨い食材や5つ星の有名店をちらつかせても無理だ。
記憶の中のあの店のあの天ぷらでなければ飢えは満たされない。
椅子を四分の一回転させ、常守の方に向き直る。
常守は柔らかそうな唇を僅かに尖らせていた。
「私はおでんがいいです」
「天ぷらは譲れないな。万が一譲っても、おでんだけは無い」
天ぷらが無理なら、せめてフライだ。
そうだ。
俺は今猛烈に揚げ物が食いたいんだ。
おでんなんて油っ気の少ないものではどうやったって満たされない。
濃いめのタレを染み込ませたご飯の上に盛りつけられた天ぷらを豪快に頬張りたい。
甘みが強めの特製ダレは絶妙にご飯になじむ。
あえて天ぷらにはタレを付けないことで天ぷらのサクサク感を持続させるという店のこだわり。
ご飯とタレと天ぷらとが口の中で三位一体融合し、初めて極上の味を完成させ───
「──やっぱり、おでんで正解だな」
じっくり中まで味の染み込んだ大根をひとかけら口に放り込んではハフハフ。
火傷しそうなくらいに熱々のソレを日本酒でキュゥと流し込む。
これぞ日本の冬のあり方というモノ。
でしょう?と答えた常守の顔は得意気で。
一丁前にお猪口を干して見せた。
年下のくせに生意気だ、と思いつつも。
コクリ、それは旨そうに燕下する表情は至極幸せそうで。
ソレが憎めないから、全く困ったもんだ。
なんて。
思ってしまっている自分が居たから困ったもんだ。
□■□
「俺は執行官だ。なんだかんだ言っても、決定権は監視官が握っている」
俺には自由意志なんてモノは無いんだな、なんて言葉が耳に飛び込んだ。
休憩時間。
廊下の一角に設けられた共有の休憩スペースで熱いコーヒーを啜る代わりに、狡噛さんはポツリと零ぼす。
突然何を言い出すのだろうこの人は。
おかげでついうっかり自販機のボタンを押し間違えてしまった。
ガコン、と鈍い音と共に落ちてきたのはコミッサちゃん印の熱々のお汁粉。
じわりじわり外気温の上昇する季節に飲みたい代物では無いけれど、まぁ選んでしまったモノは仕方がない。
「・・・・・・人聞きの悪いことを言わないで下さいよ」
狡噛さんほど我の強い人そうそう居ませんよ、と。
ちょっと声にトゲが出てしまったのは八つ当たりだけれど、そもそも狡噛さんが変なことを言い出すからいけないのだ。
決定権が私にある?
嘘ばっかり。
私はいつも振り回されてばかりじゃない!
配属初日からそうだった。
ブリーフィングも何も無しに勝手に突っ走って、仮にも上司の私を勝手に囮にしたのはどこの誰よ!?
私の言うことなんてこれっぽっちも聞いてくれなかったし。
・・・・・・そのせいで狡噛さんも手痛いしっぺ返しを食らったのだから、お互い様かもしれないけど。
思い出したらちょっと憂鬱な気持ちになる。
プルタブを持ち上げて口を開け、温かなお汁粉に口を付けると残念ながらもっと憂鬱な気持ちになった。
爽やかな酸味の香るアイスレモンティーが飲みたかったところに熱々のお汁粉というのは精神的にもキツい。
こんなことなら大人しくサーバーのコーヒーにしておけば良かった。
狡噛さん、コーヒーとお汁粉交換してくれないかな?
なんて淡い期待を抱いてチラリと覗き見ると、狡噛さんもちょっと渋い顔をしていた。
もしかして、私当時のことを思い返しているのが表情に出てたのかな?
双方にとって、あの記憶は苦い思い出なのだ。
自分で撒いてしまった種だけれど、回収の仕方に困って私は口を噤むしかなかった。
間をごまかすために飲みたくないお汁粉をちびりちびり口に含む。
うぅぅ・・・・・・甘い・・・・・・。
心中は苦くて困るし、咥内は甘くて困るし。
一体私はどうしたらいいの?
足して2で割ってちょうど良くなってくれたらいいのに、そういうところは上手く行かないからイヤになる。
缶の重さが半分ほどになったあたりで、いよいよ精神的にも対話の間的にも限界。
もう何でもいいからとにかく言葉を発さないと胃もたれと胸焼けを起こしてしまいそうだ。
んーと、えーっと・・・・・・。
何か、何か話題を。
あ!そういえば。
つ、と視線を持ち上げたその瞬間。
私の手の中から缶が引き抜かれ、代わりにまだ殆ど減っていないコーヒーの紙コップが差し込まれた。
・・・・・・ん?狡噛さん??
小首を傾げて見せると、狡噛さんは僅かに唇を緩める。
「海に行くか」
唐突な話題変更。
けれど、偶然にもそれは私が持ち出そうとしていたものと同じで。
今度の非番が重なる日、どこかに出掛けようかと以前に話していたのだ。
場所までは決めてなかったので、きっとその行き先のことに違いない。
でも、狡噛さんてばわかってないなぁ。
夏ならともかく、まだ海って時期じゃない。
そう、私なら───
「山がいいな」
行き先に選ぶのは山だ。
新緑に埋め尽くされる木々の間をバイクで走り抜ける。
環境ホロで整えられた偽りの景色ではなく、本物の緑だ。
緑の香りに包まれながら、葉の隙間から時折差し込む春の日差しを感じるのはさぞ気持ちが良いだろう。
想像しただけなのに、本当に爽やかな緑を感じたように思うから人間とは不思議なものね。
渡されたコーヒーに遠慮無く口を付ける。
アイスコーヒーというわけにはいかなかったが、程良く冷めたブラックコーヒーは甘すぎた咥内を洗い流してくれる。
それに習うように、狡噛さんも私の飲みかけのお汁粉を一口。
甘味を口にしたとは思えないほど渋い顔をして見せた。
こんな時期にこんなモノを買う奴の気が知れないな・・・・・・と小さく零ぼしたのを、私は聞き逃さなかった。
何よ。
私だって間違えて買っちゃっただけだし、勝手に取り替えっこしたのは狡噛さんじゃない。
勝手しておいて文句を言うってどうなのかしら?
知らん顔して私は残りのコーヒーを一息に飲み干した。
数日後。
狡噛さんの走らせるバイクの後ろに跨って、心地よい風を切る。
天気にも恵まれ、絶好のドライブ日和だ。
軽快に走らせ続け、お昼前には目的地であった山の展望スポットに到着した。
解放感に私は思わず走り出す。
小高い所から見下ろす景色は格別に綺麗で。
簡単の息が勝手に漏れ出てしまった。
どこかで買ってきてくれたのか、少し遅れて私の横に並んだ狡噛さんは缶を2本差し出した。
好きな方を取れということだろう。
私は迷わず、レモンティーを手に取った。
残った缶に釈然としない表情の狡噛さん。
綺麗な景色に似つかわしくない重苦しい溜息を一つ吐き、温かなお汁粉のプルタブに手を掛けた。
「ほら、やっぱりこうなる」
俺に決定権なんて無いじゃないか。
ふてくされた様子でお汁粉に口を付ける。
「そうですか?」
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
あ、もしかして狡噛さん・・・・・・。
私がお汁粉好きとでも勘違いしてたりする?
それでわざわざ買ってきたのかな?
んー、でもこんな陽気の中でお汁粉を飲む奇特な人はいないと思うんだけどなぁ。
狡噛さんて、ちゃんと見ているようで実は結構抜けてる感じよね。
ちょっと・・・・・・可愛いかも。
なんて年上の男性に思ってしまったことは、私だけの秘密ということにしておこう。
うん。
□■□
「ソファのこと何ですけど」
一人掛けのソファの上で体操座りしている常守の視線は目の前にあるテーブルのさらにその向こう。
幅広の3人掛けのソファ。
普段ベッド代わりに使うことの多いそのソファは他よりも痛みが激しい。
まぁまだ使えないことは無いので、俺としてはこのままでも別段構わなかったのだが。
じゃぁ、買い換えましょうか。
なんて気安く発言してくれたのが常守だ。
俺が二の句を告ぐ前に大量の電子カタログを取り寄せ、どれが良いかと悩み始めてしまった。
終いには、やっぱり部屋の雰囲気とか見ないと決め手に欠けますよね、などと宣って部屋に押し掛けてきた始末。
あれやこれや、ぶつぶつ唱えながら部屋の中を歩き回り形や色についていろいろ独自の見解を述べていた。
もう勝手にしてくれ、という気持ちで俺は横で習慣の鍛錬をしていたのだが。
とうとう独り言ではなく明確に呼び掛けられてしまっては返答しないわけにはいかない。
錆が浮いてきたのか、軋み音の酷くなってサンドバックの動きを止めて答える。
「・・・・・・あぁ」
常守はこちらに目も向けず、視線を前方にがっちり固定したままだ。
「やっぱり、白がいいかなって」
白・・・・・・。
こいつはどこをどう見てその色を思いついたのか。
「黒だろ。絶対」
常守のデバイスから映し出される画面を後ろからいじり、別のアイテムを表示させる。
先ほどまで表示されていたカラーとは真反対の色味に常守は案の定不服そうな声を上げる。
だが、その表情の中にはどこか余裕が垣間見えた。
大丈夫。
最終的には私の言うこと聞いてくれるもの。
なんて思っているのが筒抜けだ。
だが、今回ばかりはそうならない。
大体、常守が勝手に一人で盛り上がっているだけで俺はまだ一言も意見を口にしていない。
買い直すつもりは無かったにしても、次に買い換えるならこれにしようというのは決めてある。
こればっかりは、いくらこいつ相手とはいえ反論させてもらおう。
ずっと前から考えていた。
お前が此処に座るなら、どんな色が似合うだろうか、と。
それはやはり黒だろう、と。
常守の白い肌が、きっと一番綺麗に栄えるはずだ、と。
俺は密かにずっと、考えていたんだ。
だからこればかりは、譲る気はない。
□■□
「たまには、俺が決めてもいいよな?」
何をですか?
問い返すよりも早く、狡噛さんが私の手を取った。
エリアストレスの上昇警報に従って急行した現場は若者に人気のショッピングモール。
エリアストレスを引き上げていた潜在犯は早々に見つかった。
いつかもあったように、シビュラがはじき出した通りの相手と結ばれなかったことを妬んでのことだったようだ。
数々の現場を踏んできた私たちは危なげなく潜在犯を確保し、既に征陸さんが一足先に護送車に連行している。
私と狡噛さんは念のためにと運んだドミネーター輸送用のドローンと共に、ゆっくり歩く。
ショッピングモールは休日と言うこともあって混雑していた。
そんな人混みにあって、私たちがゆっくりのんびり歩いていられたのはコミッサちゃんの全身ホロコスを纏っていたから。
小さい子たちが時々寄ってくるのを除けば、コミッサちゃんアバターは特殊なセラピー効果で人混みの中でも比較的歩きやすくなる。
こんな時ばかりはコミッサちゃん様様だ。
コミッサちゃんになりきって歩くのにも随分と慣れた。
私よりもなりきりアバター歴の長い狡噛さんは板に付いているといった感じ。
狡噛さんが私の手を取ったのは、そんな時だった。
狡噛さんが、私の手をぎゅっと握る。
端から見ればコミッサちゃん太郎が花子の手を握っているようにしか見えないが、握られているのは紛れもなく私の手だ。
急にどうしたのかと疑問を頭によぎらせていると。
「これからは、こうやって歩くぞ」
コミッサちゃん太郎の声に変換された狡噛さんの声がした。
チラと視線を投げ掛けたが、残念ながら見えたのはポーカーフェイスなコミッサちゃん太郎の横顔だけだった。
狡噛さんに聞きたいことが沢山あった。
これからって、いつまで?
こうやってって、どうやって?
歩くって、どこまで?
聞きたいことは沢山あるのに、どれも言葉にならなくて。
仕方ないから今日の所は許してあげることにした。
この場限りの一瞬でも、構わないと思った。
ホロコスを被った偽りの姿でも、構わないと思った。
護送車までの僅かな距離であったとしても、構わないと思った。
例えどんな姿であっても。
僅かな時間であっても。
私は狡噛さんの隣を歩いている。
上司とか部下とか、そんな括りを取っ払って。
監視官とか執行官とか、そんな隔たりを打ちやって。
常守朱と狡噛慎也として。
確かに二人で歩いていることが、私はどうしてか凄く嬉しくて。
「・・・・・・・・・はい」
ちょっと、泣きそうになってしまった。
ここで、一緒に
狡朱webアンソロジーに提出させてもらったお話です。
ようやくの思いで書けた狡朱。
元ネタはダイワハウスのCM 『ここで、一緒に』野党編 です。
ダイワハウスさんのHPで視聴できます。元ネタといいつつ、映像とのリンクは一切ないです。
セリフだけ抽出させてもらって、後は壮大な妄想の羅列。
アニメ本編終了後な感じをイメージした時系列。
とりあえず狡朱っぽい何か。
2013/01/06
※こちらの背景は
November Queen/槇冬虫 様
よりお借りしています。