こちらのお話は前作『為すべき者、為せざる者』 『ガラス越しに覗く陰惨な世界を』の続きの話となっています。
そっち読んでからじゃないと分からない内容かもしれませんのでお気を付け下さい。
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勤務時間の十分前。
デスク室内には六合塚の姿しかなかった。
これ幸いにと、俺はスーツのポケットから小さな包みを取り出す。

「六合塚」
「はい?」

読んでいた雑誌から視線をあげる。
ポニーテールに結わえた黒髪がサラリと揺れた。

「お前にやる」
「はぁ」

疑問か承諾か、曖昧な返事の彼女の手に押しつける。
こんなもの、渡してしまったもの勝ちだ。

「何ですか?」
「要らなければ捨てろ」
「?」
「この前の、眼鏡の礼だ」

未だに慣れない銀縁眼鏡を人差し指でクイといじり、位置を正した。
突然掛け始めた眼鏡に、一係内はもちろんのこと、他の刑事課のメンツからも不思議顔で見られた。
身なりはそこそこに整えてはいるが、あくまでも一般的な清潔感を保持している程度だ。
装飾の類を身に着けるタイプの人間とは思われていなかったのだろうし、俺自身もそんなモノは無用の長物だと思っていた。
しかし、アレは装飾ではない。
護身用だ。
アクセサリーで自らを着飾るためのモノではない。
もちろん、そんなことをわざわざ声を大にして言ったりはしないが。

「お礼など必要ないです。監視官が死ななければ私はそれで一向に構いません」
「・・・・・・お前が相手でなければ、中々に情熱的な告白の言葉に聞こえるんだろうがな」

そこいらの女ならいざ知らず、相手は六合塚だ。
生ぬるい恋愛感などでモノを言っているわけではない。
己の自由を確保するための保身で俺の身を案じているに過ぎない。
手渡すだけ手渡して、俺は自分のデスクに着く。
さて、今日はどの仕事から手を着けるのだったか。
脳内で仕事のスケジュールを確認しつつ、何の言葉も返してこない六合塚をチラと見やった。

「・・・・・・六合塚・・・・・・?」

六合塚は、早速ラッピングを開けていた。
綺麗にリボンで止められた口を開き、中身を取り出す。
コロリ、中から出てきた小さな小瓶を手にとって、自分の目の高さに持ち上げて見ていた。

「これ・・・・・・」
「女物の趣味などわからなから、一番人気と書いてあるのにしたんだ。お前、そういうのを集めていただろう?」
「宜野座監視官が、買いに行かれたんですか?」
「俺以外の誰が買いに行けるというんだ」

執行官は監視官同伴でなければ外を歩けない。
一係内の誰かに頼んだところで、どちらにせよ自分も行かねばならないのなら、初めから一人で行った方が良いに決まっている。

「あぁ・・・・・・監視官には御友人が居ませんからね」
「六合塚、どういう意味だ」
「いえ。何も」

それにしても、と六合塚。
手元の小瓶を見つめながら。

「良く買えましたね。このお店、連日行列が出来ているとの噂ですが」
「お陰で随分並ばせられた」
「並んだんですか?」
「並ばずに買えるのか?」
「二・三ヶ月後なら、ネット販売も始まりますけど、今の時期に手に入れようと思ったら、店頭に並ぶしかないですね」
「そうか。並び損なのかと思った」

自分の苦労が無駄な徒労だとしたら、しばらくショックが抜けなかったことだろう。
何がいいのか分からないが、多くの女性が小さな小瓶を目当てに寒空の下、延々一時間以上並び続けて居たのだ。

「・・・・・・どうして分かったんですか」
「何がだ」
「私が欲しいもの」

不思議そうに、六合塚が俺に問う。

「お前が読んでいる雑誌にそんな名前を見かけたことがあったのを思い出した」
「よく見ておいでで」
「見続けることを俺の責務だと言ったのはお前だろう」
「盗み見ろとまでは言っていませんが」
「人聞きの悪いことを言うな。後ろを通れば嫌でも目に入る」
「そうですか」

六合塚は今一度、手の中のそれをマジマジと眺める。
表情をほとんど変えない彼女にしては珍しく、頬が綻んでいるように見えた。

「ありがとうございます。頂いておきます」
「あぁ」

六合塚はおもむろにソレを開封する。
小瓶の蓋をくるくる回して外すと、先には小さな刷毛が付いていた。
正直、女の化粧道具など何がどう言うためのモノなのかさっぱり分からない。
買ってきたソレだって、実質の用途も分からずに購入した。

「ソレはどう使うんだ?」
「塗るんですよ。唇に」

そんなことも分からずに買ってきたのかこの男は、という顔でこちらを一瞥する。

「口紅か」
「似ているけれど違います。口紅の上から、もしくは単体でツヤ出しとコーティングを目的として塗るんです」

慣れた手つきで、六合塚は刷毛を滑らせる。
薄いピンク色のそれは、彼女の白い肌を控えめに飾った。
色味も見ずに購入したのだが、彼女に良く似合った色だと思った。

「宜野座監視官」

鏡を覗き込んだままの六合塚は艶めかしい唇で音を紡ぐ。

「なんだ」
「外出許可を頂けますか?日にちはいつでも構いませんので」
「何の用だ?」
「外に出たくなっただけです。場所は、監視官にお任せします」

そのようなあやふやな理由での外出など到底許可できるモノではない。
だが、俺はどうしてかソレを無視できなかった。
例えばお気に入りのワンピースを貰った少女が跳ねて喜ぶように、彼女もまたそうなのだろう。
潜在犯の烙印を押されているとはいえ、彼女も少女なのだ。

「・・・・・・考えておこう」
「よろしくお願いします」

とりわけ懇願するでもなく、彼女は淡々と言う。
彼女を知らぬ人が聞いたら、本当に外に出たいのかと思っているのか疑問に思ってしまうほどだ。
幸か不幸か、嫌でも長くなってしまった付き合いのおかげでそのあたりの微細な違いは何となく把握できるようになった。
多分、贈ったグロスは予想以上に気に入って貰えたらしい。
お礼の品なのだから相手が喜んでくれたならそれ以上のことはない。

六合塚はそのグロスの小瓶をデスク脇の棚の一番上に飾り付け、満足そうにしている。
それきり彼女は口を閉ざした。
もとより、互いに口数は多くない。
いつもと変わりのない光景に戻る。
唯一違うのは、彼女の唇を彩るピンクだけ。

いつになるのかわからない外出の時、彼女はあのグロスを着けてくるのだろうか?

わかるはずもない疑問を思い浮かべ、そして記憶の片隅に打ちやり、俺は本日の仕事に取りかかった。






艶めくピンクの小瓶







狡朱話書こうとしたらなんでか知らんけど宜野座と弥生の話を書いていた第三弾。

時系列は以前のものと同じように、狡噛が執行官になった後、且つ、縢が執行官になる前です。

ギノの眼鏡が弥生ちゃんに貰ったものなら、弥生ちゃんのピンクのグロスはギノさんから貰ったものだったらいいなってお話です。

なんか、ようやく宜弥と表記しても許されるかなって感じの2人になった。

22012/12/27






※こちらの背景は 空に咲く花/なつる 様 よりお借りしています。




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