休憩所でたまたま一緒になった新任監視官が、まだ湯気の立ち上るコーヒー缶を両手に持ちながら何か言いたそうにこちらを見ている。
放っておいても良かったのだろうが、何となくソレがはばかられてこちらから声を掛けた。
どうしたって、その内に彼女の耳に入る話だ。
ソレが遅いか早いかと言うだけの違いでしかない。

「俺に何か用でもあるかい?お嬢ちゃん」
「!・・・・・・、あの、その・・・・・・用と、言いますか・・・・・・」

タイミングを伺っていたのを崩された年下の上司は、傍目に見ても分かるくらい分かりやすくビクンと体を跳ねさせた。
それから、おずおずと話を切り出す。

「征陸さんと宜野座さん・・・・・・お二人には何か確執でもあるんでしょうか・・・・・・?」

やはりその話題か。
同じ一係にいる以上、どんなに鈍感であっても何かがあると分かるだろう。

「六合塚さんと縢君に聞いたら、『宜野座さんの地雷を踏んだ』としか教えてくれなくて・・・・・・。宜野座さんは何も答えてくれなかったし・・・・・・、狡噛さんには『当事者達の問題だ。首を突っ込んでやるな』って言うし・・・・・・」

シュンとうなだれたその姿は、もとより大きくはない背丈を余計に小さく見せた。
どう見繕っても、二十になったかどうかの少女そのもの。
堂々たる立ち振る舞いで執行官を引き連れる監視官の肩書きは、少女には似合わないと思った。

「それだけ言われても、お嬢ちゃんは俺に聞くのかい?首を突っ込むな、とコウに言われたんだろう?」
「二人の間柄を取り持ちたい、なんて思ってないですよ。・・・・・・や、そうできれば一番良いんですけど、まぁ流石にそこまでは・・・・・・」

後半の方はもごもごと口の中に言葉をくぐもらせた。
両手で持ったコーヒー缶をゆっくりと傾け、ゆっくりと燕下する。

「・・・・・・でも、征陸さんも宜野座さんも、同じ職場で同じ仕事に勤しむ仲間なんですもの。何か出来ないまでも、何があったのか位は知っておきたいじゃないですか」
「最近の若いのは『好奇心猫をも殺す』ってことわざをしらんのかね」
「他人のことをあまり詮索をすると酷い目にあう、でしたっけ?」
「知っているなら・・・・・・」
「他人じゃありません!」
「・・・・・・お嬢ちゃん・・・・・・?」
「何も知らない他人じゃありません!今こうして向かい合って、話をして、分かりあいたいと思っている仲間同士です!」

先ほどうなだれた姿からは想像も出来ないほどの勇ましさで少女が叫ぶ。

「それとも、知りたいと思うことはそんなにも業の深いことですか?」

真っ直ぐにこちらを見据える大きな瞳。
少女のサイコパス色相そのもののように澄んだ色の瞳。
濁りきった俺には、その視線は鋭いナイフのように感じられた。

「・・・・・・わかったわかった。俺の完敗だ」

もとより、勝てるなどと思ってもいなかった。
初めて逢った時から、きっとこの少女には勝てないと思っていた。

「話そう。伸元のことを。隠すほどのことでもないからな」

そう。
彼に逢ったのも、ちょうど彼が二十の時だった。
この年齢の人に逢うと胸が痛む。
自分の犯した罪の重さを、再認識させられる。

「何年前になるかねぇ・・・・・・?宜野座監視官が一係に配属になった時のことだ。着慣れてないことが一目でわかる真新しいスーツに身を包んで、あの部屋に入ってきた・・・・・・」

思い出す。
あの日のことを。
ズキリ、古傷が痛んだ。


□■□


「本日付けで刑事課に配属になった宜野座伸元です。よろしくお願い致します」

一係部屋の入り口で、彼は敬礼してそう挨拶した。
体は細身。
配属前には研修期間が有ったはずだが、残念ながら筋肉もあまり付いていないようだ。
監視官というのは大抵そんなものだったから、別段特殊には映らなかった。
いつも通りのタイプの奴がやってきたな、それくらいにしか思っていなかった。

「あぁ、君が宜野座君か。話は聞いている。ここにいるのは君が預かる猟犬達だ。宜しく頼むよ」

当時の監視官が出迎える。
彼が一係の監視官に配属された時、俺は既に執行官だった。
執行官歴も年季が入った古株中の古株だ。

前に話したこともあったと思うが、刑事が捜査に深くのめり込めば、結局はシビュラシステムから犯罪者の同類としてマークされる。
犯す側も、取り締まる側も、同じ犯罪という現象に直面していることに変わりない。
だから、シビュラ判定が用いられるようになった初期の頃は、多くの刑事が潜在犯の烙印を押された。
日一日減っていく刑事の数を危惧したのは上層部だ。
どうにかして人員を確保しなければ犯罪者を取り締まるためのシステムが破綻してしまう。
シビュラシステムの意味が失われてしまう。
それだけはなんとしてでも避けなければならない。

苦肉の策で提案されたのが『執行官』という役職だ。
元刑事を執行官として駆り出すことで人員の確保に成功した。
既に潜在犯として世の中から切り捨てられた存在達だ。
今以上にサイコパスを曇らせても誰も文句を言わない。
死んだところで苦情も来ない。
どこにも痛手を生まない素晴らしい役職だと上層部は諸手をあげて賛同したって話だ。
『執行官』が成立したと同時に、刑事は『監視官』に名前を変えた。
犯罪者を捕まえるのは『執行官』の仕事、その『執行官』を指揮・監視するのが『監視官』の仕事になったわけだ。

そういう訳で、元刑事の執行官ってのは結構な数が居たんだ。
俺もその内の一人だった。

彼は生真面目に、執行官一人一人に挨拶して回っていたよ。
元刑事である執行官の、刑事時代の履歴にもかなり詳しく目を通していてな。
あの事件の機転は凄かった、この事件が解決した時は本当に安堵した、なんてな。
俺が潜在犯と診断されたのは彼が生まれるよりも前で、シビュラが判定が実用化され手間もない頃だったから、流石に俺のは無いだろうと思っていたんだが、彼はそれすらも調べ上げていた。
肝を抜かれたよ。
たかだか潜在犯のためにどうしてそこまでの労力を?と問えば、彼は言った。

「これから共に事件解決を目指す仲間のことを知りたいと思うのは当然のことでしょう?」

ってな。
俺たち執行官をただの猟犬ではなく、仲間と言った。
同じ人間として、同じ刑事としてやっていくのだと。
彼の言葉からはそういった意図を汲み取ることが出来た。
期待できる新人が入ってきた、俺たちはそう思った。

その日は特別事件も起こらなかった。
時間になってシフト明け。
当時も、扱いは今と変わらない。
執行官は刑事課フロアと宿舎以外の立ち入り制限が課せられていたから、シフトが明ければ部屋に帰るだけの日々だ。
いつもと同じように部屋に帰ろうとした時、彼は俺に声を掛けた。

「征陸さん。この後・・・・・・時間有りますか?」

話したいこと、聞きたいことが有ると彼は言う。
昔に俺が追っていた事件のことらしい。
俺の予定など、いつでも出来る趣味の油絵を進める位のもの。
執行官相手に隔たりなく接してくれる監視官との親睦を深める良い機会だと思い、俺は一も二もなく了承した。
ただ、監視官と執行官が慣れ合うことを由としない風潮があったのも確かで、いきなり彼のキャリアに傷を付けるもの申し訳ないから俺は自室に招いた。

彼は話した。
学生の頃に課題で調べた過去の事件をきっかけに、刑事の俺のことを知ったらしい。
こんな人になりたいと思い、公安局入局を目指したのだという。
潜在犯であるとして既に刑事名簿から名前を削除されているが、執行官となって今も現場に立っていると知った。
俺に逢うには、是が非でも監視官になるしかないと思ったそうだ。

「征陸さんに逢いたくて、俺は公安局刑事課に来たんです」

嬉しかったよ。
潜在犯の烙印を押された俺のことをそんな風に言ってくれる人が居るなんて。

それから、俺たちはたわいもない話をした。
お近づきの印にと秘蔵の酒を勧めたがそれは断られた。
俺一人グラスを傾けることにした。

親子ほども年の離れた俺たちだったから、あまり共通の話題なんてのはなくてな。
今の学校はどんななんだ、とかそういう話だ。
恋人は居るのか、って話もしたな。確か。
本当にたわいもないことばかりだった。
それでも、とても楽しかったのを覚えている。

アルコールがゆっくりと脳に回った頃だ。
俺はなんとはなしに、思ったことを口にした。


俺には子供なんていなかったから想像でしかないが、成長した子供と話すってのはこんな感じなのかな、と。


すると突然、彼が纏う空気が変わった。
穏和だったものが、急に刺すような鋭いものに変質した。
どうしたのか問おうとした瞬間、彼はとある名前を口にした。

「─────、という名前に覚えは有りますか?」

それは、俺がまだ刑事をしていた頃に付き合っていた女性の名前だった。
口にこそしなかったが俺たちは互いに結婚を意識していた。
俺が潜在犯として隔離施設にぶち込まれたのはそんな矢先だった。
潜在犯になった者は外部との連絡は完全に絶たれる。
彼女に別れ一つ告げることも出来ずに、俺たちの関係は終わった。
彼女とはそれきり、一度だって逢う機会はなかった。

それにしても、なぜそんなことまで彼が知っているのか、俺は不思議でならなかった。
疑問を口にするよりも早く、彼は言ったよ。


「俺は、その人の息子です」


彼の視線は酷く冷たかった。
無機物を見るような冷たい目で、彼はとうとうと母親のことを語って見せた。

当時、母親が付き合っていた刑事が潜在犯として逮捕されたこと。
一月もたたずに自分が妊娠していることを知ったこと。
たとえ一人でも、愛した人との子供を産むことを決意したこと。
周囲の猛反対を押し切り、そうして生まれたのが自分であること。

「俺がどんな想いで生きてきたか、お前に分かるか・・・・・・?」

それは、想像に難くなかった。
シビュラ判定が実用化され手間もない頃は、潜在犯に対する誤解やデマが横行していた。
親兄妹から高値の犯罪計数が測定されただけで、その家族までもが同様のものと見なされた。

潜在犯として逮捕された男の息子。

どれだけ風当たりが強かったことだろう。
女手一つで、潜在犯予備群のレッテルを貼られた中で育てていくには過酷すぎる環境だ。

「母は見る見る疲弊していった。だが、母はお前を侮蔑する言葉を一度だって吐かなかった。立派な人だった、と。私たちを守るために身を犠牲にしたのだと、母はお前が解決した過去の事件について、何度も俺に語って聞かせた」

ようやく合点がいった。
過去の事件の微細に詳しすぎる理由はそれだったのだ。

「母は決してお前を恨んでいなかった。多分そんな状況になってでもお前を愛していたのだろう」

だが、と彼は続けた。

「俺は、母をこんな風にした潜在犯が許せなかった。俺たちの人生をめちゃくちゃにした男が憎くてたまらなかった」

あの時彼が発していたモノ。
あれは混じり気の無い憎悪だった。

「しばらくして、母は再婚した。母が幸せになれるなら、俺は相手など誰でも良かった。それなのに、母は最近になって『色相がクリアな人なら相手は誰でも良かった』と教えてくれた。名前を変え、形式上のまっとうな父を立てることで世間の目を逸らそうとした、母の苦肉の策だった。母は自分の幸せを掴んだんじゃない。全ては俺のために・・・・・・望まぬ再婚までしたんだ」

何も言えなかった。
言い返せるはずがなかった。
見たこともない父親が原因で、自分の行いが否定される。
同じ結果を出しても、不当に評価される。

「俺は、お前を正当に弾劾するために入局を志願した。お前が本当に母の言うような優秀な刑事であったなら、間違いなく執行官に任命されていると思ったからだ。お前自身に逢えなくとも、お前が死んだかどうかの確認が取れればそれで良いと思った。俺たちをめちゃくちゃにした潜在犯の末路をこの目で見届けなければ、俺の感情に治まりがつ付かなかった」

彼は、憎悪の気持ちのみで他の追随を許さぬ結果を叩き出し監視官の座を得た。
不当な評価しか得られない者がここまでたどり着くのに、一体どれほどの努力を必要としたのだろうか。
まさに血反吐を吐く思いで今ここにいるのだろう。

彼は俺の襟首を掴んで首を絞めた。
あの細腕で、俺の首を絞めたんだ。

報われるべきだと思ったよ。
これだけの憎悪を持ち合わせながらも色相を濁らせていないと言うことは、彼は己の精神を完全に律してきたということだ。
報われなければ彼の色相が濁ってしまう。

俺は一切抵抗しなかった。


□■□


「───そ・・・・・・それ、どうなったんですか?征陸さん・・・・・・」
「ん?とりあえず、今生きているってことは殺されなかったってことだな」
「ちょっ!そんなさらっと流していい所なんですか!?」
「伸元が何を考えて俺を生かしているのかは分からない。あいつの一声が有れば隔離施設にぶち込むことは簡単だ。もしかしたら・・・・・・俺が早く死ぬようにいつまでも執行官で前線に立たせているのかもしれないしな。ハハハハ!」
「笑い事じゃないですよ、それ・・・・・・」

少女は呆れたように溜息を吐く。

「俺はな、お嬢ちゃん。伸元が俺をどう思っているのか、詮索しないと心に決めてるんだ」
「どうして、ですか・・・・・・?」
「・・・・・・お嬢ちゃんは、この前心理学の勉強をしたんだったよな?」
「え?えぇ。集中講義を少しだけ受けさせて貰いましたけど」
「じゃ、こいつは宿題だ。自分で当てみてくれ」
「嘘!?そんなの私にはまだ無理ですよ!征陸さん!征陸さんってばぁっ!!」

少女の叫び声を見送り音に、俺は宿舎に戻る。
途中忘れ物に気づいて一係に立ち寄った。
今現在、全員非番中の室内には件の男の姿があった。

「仕事明けにもまだ仕事とは、精が出ますな。宜野座監視官」
「うるさい。黙れ」

視線一つ動かさず、彼は拒絶の言葉を口にする。
どうやら相当に機嫌が悪いらしい。
さっさと用事だけ済ませて立ち去ることにしよう。

「根を詰めすぎて、体壊すなよ。お疲れさん」
「・・・・・・うるさい、黙れ」

小さな声で、彼はまたしても否定の言葉を紡いだ。
その声に満足し、俺は今度こそ宿舎に戻る。


「欲がな・・・・・・出てきちまったのさ、お嬢ちゃん」

宿舎直通のエレベータに乗り込み、小さく呟いた。

「嫌われてようと、憎まれていようと関係ない。息子の成長をほんの一時でいいから見ていたいと。そう思っちまったのさ」

───チン!
軽い音が、エレベーター到着を知らせた。






過去に懺悔を、未来に欲を







狡朱の話を書こうとしてたのにどうしてこうなったシリーズ。

もはや狡朱が書けない病に掛かっているとしか思えない……。

てなわけで征陸と宜野座のお話。

ノイタミナラジオ第87回にて征陸役:有本さんが話した内容がすごすぎて、

「これ…二人に置き換えたら超はまるんじゃね?」と思ってつらつら妄想してみました。

過去捏造話になります。

ラジオ聞いたことない人は是非聞いてみて!

ノイタミナのHPで視聴できます。件の話は28分頃ですよ!!

2012/12/20






※こちらの背景は NEO-HIMEISM/雪姫 様 よりお借りしています。




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