―――ぴぴぴぴぴ
甲高い目覚ましの音が鳴り響く。
バシッと拳を叩きつけるようにして音を鳴り止ませると、もっそり布団から這い出す。
時間は朝の5時半。
空がうっすら明るさを取り戻し始めたばかりの頃。
この時期の朝の空気はまだ少しだけ肌寒い。
それでも戸を一気に全開して部屋の中のよどんだ空気を入れ替えると、体中がすうっとして爽快感に満たされる。
「―――よっし!」
スパーンと自分の頬を叩いて気合を入れる。
一日の始まりだ。
今日の僕ら
小野妹子の朝は早い。
・・・・・らしい。
僕自身はそんな風に感じたことは無いのだが、他の人の話を聞いているとどうやら早い方に分類されるようだ。
前日の仕事が夜遅くまでかかることも珍しくないから(そのほとんどの原因は例によってあの男のなのだが)朝は出来うる限りぎりぎりまで寝ていたいというのが大半の意見だ。
その意見に反対する理由もないし、そうなる心理も十分に理解できる。
ただ、だからといって朝の身だしなみをおろそかにするわけにもいかない、というのが僕の早起きの理由だ。
特に今日は朝から太子のところに行くことになっている。
寝癖の一つ残しておくわけにはいかない。
もっとも、当の本人は万年着と化しているいつもの青ジャージを着崩して寝癖しかないような頭で仕事をサボりにサボりまくっているのだろうけれど。
こうやって毎朝鏡に向かって身だしなみを整えるのはもはや習慣と化している。
少しでも自分をよく見せたいと思うのは人間として当然の心理だと思うし、それが好意を抱いている相手であるならばなおさらだろう。
太子は見た目というものに殊更執着していない。無頓着といってもいいくらいだ。
ただそれは、生まれ育った環境が精神的な面においての優美さを形成しているから許されることであって、凡人ではそうはいかない。
太子のどうということの無いしぐさの一つ一つに目を奪われることがあるのはそういった根底がある。
つまりは凡人も凡人の僕はどうにかこうにか外見を磨くところから始めなければ太子の横に立つ時見劣りするのだ。
いくら僕が太子に対して恋愛感情を抱いていたとしても、それは・・・・・・なんだか人間としての尊厳を守るためにも譲れないところだ。
「あんなカレー臭いだけのおっさんよりも見目で劣るとかありえないっしょ?」
誰に言うでもなく鏡の中の自分に向かって口を開く。
自画自賛とかではなく、事実問題として。
「ヤングとかいうやつは既にヤングじゃねぇっての。おっさんの証拠だ」
大体太子は最近カレー臭だけでなく加齢臭まで漂ってきているじゃないか。
そんなおっさんと比べられるだけでも心外だ!
・・・・・って、そんなおっさんが好きな僕も僕なんだけど・・・・・
大体なんで僕あんなおっさんを選んでしまったんだろう?
可愛い女の子なんて周りにいっぱいいるというのに。
太子のアホさに脳みそまで侵食されてしまったんではないだろうか?
よく考えてみろよ?あんなおっさんのどこがいいんだ?
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁっ!もう!!
好きなんだから仕方ねーだろこんちくしょぉぉぉっ!!
ぶつくさ悪態をつきつつ、自己嫌悪に落ちつつ、自問自答しつつ、手だけは毎日の慣れた行動を遂行していく。
髪の跳ね具合を確かめて蒸しタオルで癖を落とし、丁寧に櫛で梳いていった。
「・・・・・・お?」
いつもよりも少しだけ熱めのタオルで蒸したのが良かったのだろうか?
いつも以上に髪型がばっちり決まった。
決まりまくったといっても過言ではない。
心なしかキューティクルも普段の1.5倍増しになっている気さえする。
「・・・・・・かっこいいんじゃないの?僕」
あぁ、そこの人、勘違いしないように。
僕は決してナルシストではない。
断じて。
本当に。
□■□
案の定、朝廷に赴くとすれ違う人すれ違う人が皆一様に「あれ、今日は一段と素敵ですね」と声を掛けてきた。
傍目にもわかるくらいにばっちり決まっているようだ。
これなら太子と一緒にいて見目に劣るだなんて言わせない。
「ていうか僕は何で朝からずっと太子のこと考えているんだよ!」
自分の仕事部屋に入ったところでセルフ突っ込み。
なんか僕が一方的に太子のこと好きみたいじゃん!
違うって!!
太子が僕にベタぼれなんだって!!
太子が今日の僕見たら、あまりの格好良さに『抱いて』とか言っちゃうくらいだよ!
大体今日の呼び出しだって
『妹子がいてくれなきゃ仕事しないんだぜ!』
とかなんとかわがままを言ったからじゃないか。
そのわがままを受け入れる馬子様も馬子様だけど。
っていうかもしかして僕たちの関係って馬子様にばれてる?
日中からの逢瀬を許してやるからさっさと太子に仕事させろ、的な?
自問しても答えをくれる人なんているはずも無く。
むしろいたら羞恥心で死ねそうなんだけど。
「・・・・・・これ以上考えるのはやめよう・・・・・さっさと太子の所に行こう・・・・・」
ため息を一つついて胸の中にぐるぐると渦巻く不安感やら疑問やらを無かったことにする。
考えたってどうしようもないことは考えないに限る。
馬子様にばれていようがいまいが、僕たちが付き合っていることは事実なんだ。
それに馬子様は知り得た情報を利用することはあっても不必要に他言する人ではない。
むしろ太子の不利益になる情報ならもみ消してくれるだろう。
最低限の情報漏洩で守れるものがあるならこちらも利用させてもらうまでだ。
必要な書簡をいくつか手に抱え、太子が仕事をサボっているであろう部屋に足を運んだ。
□■□
「太子〜、入りますよ」
一応目上の人だから声だけ掛けて、でも返事も待たずに戸を開いた。
中には案の定仕事をやる気なんて一切ありませんオーラ全快の太子が滑稽な姿で寝転がっている。
しか寝ころがっているくせにその手には山盛りのカレーなんかを持っていやがる。
「おー妹子かー」
なんて、こちらを振り返りもせずに一言答えるとごろごろごろごろごろ。
部屋中をそれこそ縦横無尽に転がり始めた。
やめろやめろ。こぼれたカレーを掃除するのは誰だと思っているんだ。
「駄々っ子じゃないんだから、そんな転がらないでください。そこにあるの重要な書簡でしょう?」
「そんなこと無いよ。ちょっと隋との今後の関係に関わるだけの手紙だし」
「超重要書簡じゃねぇかっ!このあほんだらっ!」
「せんとっ!?」
大切な書簡を守るためにとりあえずアホの太子を殴り飛ばして書簡を安全地帯に避難させた。
こんのカレーおやじがっ!一国の未来を左右する書類の横でカレーを食うな!汚れたらどうするつもりだ!?
隅々までひっくり返して確認したが、どうやらまだカレー被害には合わなかったようなのでホッと胸を撫で下ろした。
ついで一息つくまもなくキッ!と変な格好で壁にぶち当たったままの太子を睨み付ける。
「あんたがどんだけカレーまみれになろうが、カレーをコンディショナーの代わりに使おうが一向に構いませんが、隋との関係をカレーで汚すことは許しませんっっ!!」
「カレーで汚れるくらいの関係なら、はじめっからその程度ってことだろ?」
「どんだけ上から目線で物言ってるんだよこのあわび!今のご時勢隋の方が偉いんだよ!権力持ってるんだよ!第一汚すこと前提にすんなバカっ!」
「なにおうっ!?このブリリアント摂政よりも偉いのか!?」
「当たり前だろうがっ!あんたよりも使い古した爪楊枝のほうが何ぼか偉いわっ!」
「つ、使い古しの爪楊枝と摂政を比べられるなんて・・・・・・・摂しょんぼり・・・・・・」
内股でうなだれた太子。
正直きもい。
だがこうもあからさまに落ち込まれるとなんだか僕も言いすぎた気がしてくる。
使い古しの爪楊枝はさすがに言い過ぎたかもしれない。
せめて切れた輪ゴムくらいにしてあげればよかった。
「すみません太子。ちょっと調子に乗って思っていることを言い過ぎました」
「思ってはいるのっ!?」
「えぇ、まぁ」
「・・・・・・へこみすぎて死に太子・・・・・・・」
「ちょっと、機嫌直してくださいよ。謝ってるじゃないですか」
「それが謝ってる人間の態度かよ!」
「太子に対して誠心誠意謝るとか面倒くさいんで」
「そこを面倒くさがるなよ!?私これでもお前の上司なんだぞ!?」
「不本意ながら・・・・・・」
「不本意ってお前・・・・・・・」
謝ったのにまたへこみ始めた。
なんて面倒くさいおっさんなんだこのおっさんは。
思春期か?
思春期特有の情緒不安定なのか?
思春期って年齢でもないだろうがこのやろう。
「それよりも太子、何か僕に言うことありません?」
「え?」
心底面倒くさくなってきたので話題を摩り替える。
つまりは今日の完璧に決まったキューティクル150%の僕のヘアースタイルについてだ。
「ほら、何かあるでしょう?」
「え?え?」
すれ違う人ですら気がついたんだ。
まさか僕のことが大好きな太子に限って気がつかないはずがない。
むしろ太子の乙女フィルターを通すことによって、150%どころか200%くらいになっている気もするし、バックにはきらきらと星が輝いていてもおかしくないくらいなんだ。
「何があるんだ?」
「見て分かりませんか?」
「分からん」
きっぱりはっきり言い切りやがった。
何で僕のこと大好きなくせに分からないわけ!?
「いつもと違うところがあるでしょう?」
心優しい僕からの特別サービス。
ヒントをあげるも、太子はぐるんを180度回るのではないかというくらい首を傾げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・髪切った・・・・・?」
「・・・・・切ってません」
―――いらっ
「ん〜〜?じゃぁその服新調した奴とか?」
「・・・・・いつもと同じです」
―――イライラ
「えぇ〜それも違うのか?後は・・・・・・あ!腹筋が8つに割れたとか?」
「・・・・・僕の腹筋は最大6つにしか割れません」
―――苛々
「他にいつもと違うところなんてあるのか?」
「あるでしょう!?何で分からないんですか!?」
僕だったら太子が髪の毛を3o切っていたって気づける自信が有るのに!
僕だったら太子が全く同じデザインの服でも見分ける自信が有るのに!
僕だったら服に隠れて見えない部分だろうと変化が有ったら気がつける自信が有るのに!
それなのになんで!
僕が太子を想うよりも絶対に僕のことを強く想っている太子が僕の変化に気がつけないんだよ!?
「なんだかんだで毎日顔合わせているのにどうして分からないんですか!?」
「そ・・・・・そんなこといわれても・・・・・・・」
「髪型ですよ!この、僕の、髪型!いつもよりもばっちりきっちりぱっきり決まっているでしょう!?」
「・・・・・・・・・そ・・・・そうなのか・・・・・・?」
ここまでいっても分からないって、本当どういうこと!?
ありえない。
ありえないありえないありえないっ!
「あんた一体いつも僕の何を見ているんですかっ!?」
「何って・・・・・・・えっと・・・・・」
「はっきり言うっ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・見てないよ・・・・・」
―――ブチ
脳みそのどこかの血管がぶちきれる音が確実に頭蓋内に響いた。
見てない?
見てないだと?
言うに事欠いて見ていないだと?
「僕のことが好きだって言ったのはあんたでしょうがっ!あれは嘘だったんですか!?」
「・・っ好きだもん!妹子のこと大好きだもん!」
朝廷内だということも忘れて声を張り上げれば、ちょっと泣き出しそうな表情で太子が叫ぶように返す。
このやり取りが他人に聞き咎められる、などということにまですっかり頭が回らなくなっていた。
太子が返せば、僕はさらに声を張り上げて怒鳴る。
「だったら何で僕のことを見ないんですか!?」
「だって・・・・・だって・・・・・っ!」
言葉が出るのが先か。
それとも涙が零れ落ちるのが先か。
太子の瞳は既にうるうると大粒の涙を溜め込んでいた。
うっ、としゃくりあげたのか息を吸ったのか、判断に迷う息遣いの後、太子が一息にまくし立てる。
「しょうがないじゃないかっ!普段は恥ずかしくってお前のこと直視出来ないんだもんっ!
目が合いそうとか思うだけでどきがぬめぬめで爆発しそうになるんだぞ!?それなのにまともに見れるとでも思ってるのかよあんぽんたんっっ!!
そんな細かいところに気がつくわけないだろばかいもこぉぉっっ!!」
叫びきって、太子ははぁはぁと肩で息をする。
それから自分が恥ずかしいことを口走ったことに気がついて、一瞬で頬を真っ赤に染めて、まるで今言ったばかりの言葉を訂正するかのように顔の前で手をぶんぶんと振った。
「っ・・・ちが・・・・・今のは、そのっ・・・・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・太子・・・・・・・」
今更訂正しようとしたってそんなの遅い。
僕のこの耳ははっきりとあんたの言葉を聴いたんだから。
それドキがムネムネ、もとい胸がどきどきの間違いです、とか。
何恥ずかしいことを全力で叫んでいるんだ、とか。
多分他に言うことはあったと思う。
ただ、僕の口から漏れ出たのは・・・・・・・
「ちょっと、発言が可愛すぎてムラっとしたので今すぐここで抱いていいですか?」
自分の欲望にどこまでも忠実な言葉だった。
「///っばかエロ妹!ここどこだと思ってるんだよっ!朝廷だぞ!?ダメに決まってんだろう常識的に考えて!!」
「非常識な太子に常識を諭された!・・・・・・・死にたい・・・・・・・・」
三角座りで膝の間にこれでもかって言うくらい頭をめり込ませて落ち込む。
「そんなに落ち込むなよ!ていうかその反応暗に私が常識の外で生きているみたいに聞こえるんだけど!?」
「無理・・・・・・太子に常識を諭された僕に残された道なんて死以外に・・・・・・・・」
「何でだよ!?あるだろ普通!私はお前にどんだけ常識が無いと思われているんだよ!?」
「むりむりむりむらむらむりむりむらむらむらむらむらむりむら・・・・・・・・・」
「ちょっといも・・・・・・こ・・・?」
「・・・・せめて死ぬなら一発ヤってから・・・・・・」
「・・・・・いもこさん・・・・?心なしか・・・・・目が据わっているような・・・・・・」
「大丈夫ですよ。腹上死って男のロマンらしいんで」
通常の150%キューティクルの髪の毛をさらりとかき上げ、極上のスマイルを一つ。
にこやかな表情とは裏腹に、今にも逃げ出そうとしている太子の腕をがっしり掴んで逃亡を阻止。
さぁっ、と血の気が引いたように青くなる太子。
殊更きらきらの笑顔を振りまく僕。
「気持ちいいこと、しましょうね?」
「いやぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!」
太子の悲鳴は朝廷中に余すところ無く響き渡った。
□■□
「・・・・・・・・・・・小野」
「・・・はい・・・・・」
「私は君たちの関係に口を挟むなどという野暮なことはあまりしたくないのだが」
「・・・はい・・・・・・」
「やりすぎだ」
「・・・・・はい・・・・・・」
「ただでさえ使い物にならん太子を余計に使い物にならなくさせてどうする?」
「・・・・・・・・・はい・・・・・」
件の太子はすっかり足腰立たなくなるまで僕に抱かれた羞恥心からか、布団に頭まですっぽり包まったまま出てこようともしない。
おかげで僕一人が馬子様の淡々とした説教を受けている。
いや、確かに元を正せば悪いのは僕だった気がしないでもないけれど・・・・・
でも根源は太子があんまりにも可愛いことを言うのが悪いわけで。
ただそのことを馬子様に進言できるほどの勇気は僕には無くて・・・・・・・
「減給くらいは覚悟しておきなさい」
「・・・はい・・・」
「・・・・・・今後は、ほどほどにしておけよ。小野」
「はい・・・・・・・」
ただただ『はい』の二文字を繰り返すばかりだった。
サイト2周年リクエストで頂いた妹太話でした。
『どんな状況でも構わないのでとにかく妹太で!』という熱く妹太リクだったのでやらかしてみました。
テーマは残念妹子&変態妹子。ホント残念すぎる妹子です。
妹子は妹→←←←太だと思っているのですが、本当は妹→→→←太というなんとも分かりにくい話です。
そして太子に可愛いことを言わせたいし、がサブテーマ。
そんなこんなで、リクエストありがとうございました!!
こちらの作品はリクエストしてくれたともっこ様のみ本文お持ち帰り自由とさせていただきます。
2010/05/27
※こちらの背景は
NEO-HIMEISM/雪姫 様
よりお借りしています。