崩壊しないものなど、この世に何もない。
堅牢な建造物でも、
強固な意志でも、
唯一絶対の思想でも、
天地に等しいほどの宗教でも。
それらは時とともに変遷して、やがて脆く崩れ去っていく運命にある。
いや――――、
造られた時から既に崩壊は始まっているのだ。

だから、壊れるのを嫌うならば、造らないことしか方法はない。

それでも人間は連綿と何かを創造してきた。
                 (高田崇史 著/QED 東照宮の怨 より抜粋)



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至高とはなんだろうか。
そこにたどり着いてしまったら、一体どうなるのだろう。
高みから見下ろすこの世界は、どんなものだろう。

「ダメですね」
「また?松尾バションボリ」
「いい加減まともな俳句を詠んだらどうですか」
「松尾はいつだってまともだよっ!!」
「そういうことはせめて五・七・五で詠んでからにしなさい」
「弟子男のくせになんか偉げ。むしろエラ毛」
「だまらっしゃい!!」
「ほげブーーっ!!弟子男にチョップされた!!」

(・・・こんな枯れ果てたクソじじいが“そこ”に最も近い存在だなんて・・・)

まともにこなせることなんて何もない。
生活能力は皆無。
炊事洗濯なんてもってのほか。
今まで生きてこられたこと自体、不可思議ですらある。

そんな男がこの世で唯一許された所業。
それが俳句。

たった十七文字の言葉によって表現を許された世界においてのみ
まさに神と評されるに値するほどの美を紡ぎだす。
それが俳聖、松尾芭蕉。
不意にこぼれ出る音はありふれた世界を美しき侘寂の世界へ変貌させる。
凡人には到底感じることさえ出来ない世界を紙面に映し出す。

今日も彼は言葉を紡ぐ。
ただただ、一片の曇りなく崇高にして端麗な十七文字を生み出すために。

・・・・・・・もし仮に、本当にそんなものが完成したら、この人はどうするのだろうか。

至高にたどり着いてしまったら
高みに至ってしまったら
この人は一体どうなってしまうのだろうか。
目指すべき十七文字を手に入れてしまったら、この人は俳句を失ってしまうのか?
唯一の生きられる世界を己の手で失ってしまうのか?

こんなにも嬉しそうに句を詠んで聞かせてくれるこの人から、俳句を奪おうというのか?

―――――そんなこと、僕がさせない

「あ、じゃぁこんなのはどう?
 エラ毛を  抜いてみたら  痛い   by芭蕉」

失うくらいなら、今はこのままでいい。

「・・・・・・まぁいいんじゃないですか?芭蕉さんのその馬鹿みたいな面が」
「いやっふーー!!曽良君に褒められ・・・・・・・・・ん?褒められてない?松尾、褒められてない?」
「いえ、褒めてますよ。僕には到底真似できない馬鹿さ加減なので」
「ひど男っ!!てゆーか俳句の感想はっ!?」
「さ、いつまでもふざけていないで先に進みますよ」
「えぇ〜〜。松尾もうパンらはぎで歩けないのに・・・・」
「なら芭蕉さん一人で残ってください。僕は野宿なんてごめんです」
「ちょっとー、待ってよ曽良く〜ん」

この人の大切な世界が、大切な俳句によって奪われてしまうなら

今はまだ、このままでいい。

高みにたどり着くのなど、息を引き取るその瞬間でいい。

それまでは馬鹿みたいに詠み続ければいい。

何も考えず、ただひたすら言葉を紡ぎ続ければいい。

それしか貴方が生きる術はないのだから。






reach for the stars





“そこ”から見下ろす世界がひどく汚いものであっても

上だけを見て逝けたなら

貴方は世界の醜さを知らずに済む。

貴方はそんなもの、知らなくていい。









世界は奇麗なもので出来ていると信じている芭蕉さんと

世界はひどく醜いものだと知っている曽良君。

奇麗だと信じているから奇麗な俳句が詠めるのだと曽良君は思い込んでて、

汚い部分を知ったらもう俳句が読めなくなるとすら思ってる

とゆーマイ設定小噺でした。

でも本当は芭蕉さんも醜い部分を知っているんだよ。

奇麗も汚いも知っているからどうして美しいのかを知っている、それが俳聖・松尾芭蕉。

2009/06/24






※こちらの背景は NEO-HIMEISM/雪姫 様
よりお借りしています。




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