「太子、好きです」
たとえば、そんな言葉
ココは自分の仕事部屋。
両の手で広げられた書状は太子から手渡されたもの。
きらきらと目を輝かせながらペタリ女の子座りで妹子と向かい合って座るのは、言わずと知れた太子。
そして今自分の口から発せられた言葉の意味。
それだけのことを理解するのに思いのほか時間を要した。
「・・・・・・・え?これなんて嫌がらせですか?」
真剣な表情で太子に問いかける。
すると先ほどまでのきらきらの瞳はどこへやら。
まるでゴリラのように手足をばたばた、おなかをぽこぽこ叩きながらわめき始めた。
関係のないことだが、最近おなかがぽっこりし始めた太子の腹太鼓は割といい音がする。
「嫌がらせってお前・・・・摂政が傷つくことをほいほい言いやがって・・・・
何なのお前!?お芋のくせにほいほいと、略して芋っぽい!!」
「誰が芋だこのアホ太子が!!」
「べにあずまっ!」
グーで顔面を殴ってやった。
目潰しをしなかっただけありがたいと思え!
『冠位五位のくせに摂政に手を上げるなんて!』などと思う人もいるかもしれないが、これは摂政かもしれないけどただの人畜有害なおっさんだ。だから大丈夫。僕は悪くない。
「くっそ〜〜ぅ!口だけでなく手まで上げるなんてなんてやつだ!私のぷりちーなお顔が変形したらどうするんだよ!」
「大丈夫です太子。はじめっからぷりちーでもなんでもない、ただの臭いおっさんですから心配することありませんよ。むしろ殴られたことによっていい感じになった気がしないでもありません」
「え?ホント?私ハンサム男?略してハム?」
「えぇそうですね。真夏に1週間くらい常温保存してしまった牛乳パックの中身よりは見れる顔だと思います」
「まぁ私がイケメンであることは周知の事実・・・・・って、なんだよその比較対象っ!舐めとんのか芋野郎っ!!!」
「あぁっ!!うるさいなっ!もうっ!!」
「きんとき!!」
あまりのわずらわしさにもう一回拳が唸る。
今度も狙い済ましたかのように顔面に決めてやった。
先ほどとは逆側を殴るという気の使いっぷりは流石は僕。
トータルで見れば左右対称万事オーケーだろう。
「そりゃぁ文句の一つも言いたくなるでしょう。
いきなり仕事場に押しかけられて、訳のわからん文章を音読させられ、あまつさえこの内容ですよ!?
捻じり切られなかっただけありがたいと思ってください」
「ひぃっ!捩じり切らんといて!!」
「あんたの奇行はいつものことですけど、一体何がしたかったんですか可哀想な位馬鹿でアホな太子?」
「たった一行でこれだけの侮辱を受けたのは初めてだ・・・・摂政ぐっぴょり」
「がっくりでしょう」
「そうそう。がっくり」
「で?結局なんだったんですか?」
「・・・・・・・だって・・・・妹子は・・・・・とか全然・・・・ってくれない・・・・・・たまには・・・・・」
もにょもにょとなんとも歯切れ悪く口ごもっていて聞き取れない。
唇の動きで読み取ろうにも、うつむきかげんなためそれも叶わない。
「太子。はっきり言ってください。僕エスパーじゃないんでそんな風に言われてもわかりませんよ」
「・・・・っだからっ!!」
がばっと、太子が顔を上げた。
真っ赤になって、今にも泣き出しそうに潤んだ瞳で。
「お前が『好き』って全然言ってくれないから不安になっちゃったんだろーが!このいもぽんたん!!」
「・・・・・・・・なんだ。そんなことか」
やれやれ、と一つ大仰にため息をして、僕は仕事机に向かい直った。
明日までにやっておかなければいけない仕事が山のように溜まっているのだ。
とても一人でこなせる量ではないのだが、頼まれたからには何とか終わらせる算段をしなければならない。
こんな戯言に耳を傾けている暇なんて一瞬でもなかったんだ。
「ちょっ!?ちょっといもこさん?摂政にこんなこと言わせて置いてその薄い反応ってどういうことでおま?」
「おっさんの戯言には死んでも付き合うなって、小野家の家訓なんですよ」
「戯言って・・・・。こぉんの辛辣毒芋め!私を辱めるだけ辱めておいて何たる言い草だ」
「太子が勝手にほざいたんじゃないですか。僕がそれに答える義務はないと思いますけど」
「せめて仕事を頑張っている上司に優しい声の一つも掛けてやろうという気にならないの?」
「遊んでばっかりのあんたがどの口でそれを言うんですか。僕は本心以外は言わない主義なんで、嘘でも嫌ですね」
あんたが仕事もせずにこんなところで油を売っているおかげで仕事が溜まってるんです。
出て行けとは言いませんから少しは静かにしてくれませんか?
そういうと、なにやらぐじぐじ言いたそうな顔をした。
あまりにしつこいので一睨みしてやる。
びく!っと身体を震わせて身を小さくしたが、どうやらこの部屋から出て行くつもりはないようだ。
しばらくの沈黙。
部屋に響くのは僕が書簡を動かす際の紙音だけ。
これでようやく仕事がはかどる。
ここぞとばかりに僕はすごい勢いで筆を走らせた。
20分もすると後方で、つまり背後にいる太子の方からごそごそと身動ぎする音が聞こえる。
あの人にしてみれば20分も黙ったままいただけでも評価に値することだろう。
思いの外仕事が能率的に進んだので少しだけ僕も寛大に接することにした。
太子が破れずにいる沈黙を僕の方から破ってやるのだ。
ちょっとサービスしすぎかもしれないけれど。
「・・・・・どうしたんですか?」
「・・・・・いや・・・・・あの・・・・・・」
「言いたいことがあるならはっきり言う」
「・・・・・・・妹子。一回でいいから言ってよ」
「嫌です」
ばっさり一言で切り捨てる。
背中越しにでも泣きそうになっているのが容易に想像できる声で太子が言葉を続ける。
「妹子は・・・・私のこと嫌いなの?」
「いえ。僕がそうな風に言った事ありました?」
「ううん。ないよ・・・・・」
「じゃぁそういうことです」
「でも、『好き』って言ってくれたこともない」
「そうでしたっけ?」
「そうだよ!今まで一回も言ってくれなかった・・・・」
「・・・・・・そうかも知れませんね」
「私のことを『嫌い』って言わないのが嫌いじゃないってことなら、『好き』って言ってくれないのは好きじゃないから?」
「さぁ。どうでしょうね」
「私は・・・・・・私は妹子が好きだよ。竹中さんも馬子さんも好きだけど、もっと別の、特別だって思ってる」
「それは光栄ですね」
「正直、妹子が私を好きでも嫌いでもどうだっていいんだ」
「・・・・・・へぇ・・・・・」
「でも、妹子の気持ちを妹子の口から聞きたい。・・・・・それだけなんだ・・・・・」
それきり。
太子は押し黙ってしまった。
再び訪れる沈黙。
僕は黙々と仕事を進め、太子は俯いたまま何をするわけでもなく居座り続けた。
筆を進める僕の心中は決して穏やかではなかった。
もやもやだか
イライラだか
もんもんだか
自分では形容できない感情がそこを占領していた。
こっちの気持ちも知りもしないで、まったく勝手なことばかり言ってくれるもんだ。
えもいわれぬ憤りを目の前の書簡に当り散らすように夢中で筆を進めてどのくらいたっただろうか。
気がつけば辺りはすっかり暗くなっており、などというにはかなり遅い時間帯に差し掛かっていた。
夕飯のことなどすべてをすっ飛ばして仕事に没頭していたようだ。
しかしお陰で終わらないと思っていた仕事をすっかり終わらせることが出来た。
握りっぱなしだった筆をようやく置くと、予想以上に身体が疲労していることに気がつく。
それはそうだ。
数時間休憩もなしに仕事し通しだったのだから。
背伸びをすれば肩やら背中やらがばきばきと音を立てる。
頭上高くに伸ばした腕をそのまま後に反らすように、パタッと後方に倒れこむ。
「・・・・・・あ・・・・・・」
そこでようやく思い出す。
太子が居たことを。
あまりにも静か過ぎて存在を失念していた。
普段が普段だけに、このように静かにされるとついうっかり忘れてしまうことがある。
故意に忘却しているわけではなく、あまりに自然すぎて忘れてしまうのだ。
(もしかして仕事の邪魔にならないように、って気を使ってくれた・・・・?)
なんて考えは0.3秒ほどで撤回する。
「すぴー・・・・・・・すぴー・・・・・・もぅ・・・・いもこ・・・こいも・・・もにゃもにゃ・・・・・」
爆睡していた。
道理で静かだったはずだ。
「とりあえず僕の夢を見るな!!」
なんて言った所で夢の世界の太子に声が届くわけもなく。
「・・・・・・どんだけ自由人なんだこの人は・・・・・」
人の部屋に入り込んで、言いたいこといい散らかして、勝手に寝入って。
好き放題しすぎだ。
頭を一発小突いてやろうかとも思ったが、太子があまりにも気持ちよさそうな顔で寝てるものだからそれも出来ずに苦笑する。
「馬鹿みたいだなぁ・・・・僕」
こんな風に自由に生きれたら、今みたいに悩む必要も無いんだろうな。
言いたいことも言えずに想い悩むことも無く。
もっと気持ちを楽にして生きられるんだろうなぁ。
だが性分というものはそう簡単に変えられない。
本当に馬鹿みたいだ。
「さてと。確か毛布を押入れに入れておいたよな・・・・」
疲れた身体に鞭打って立ち上がる。
こんなカレー臭のするおっさんでも聖徳太子。
風邪でも引かれたら困るのだ。
もちろんそれだけが理由ではないのだけれど。
ともかく、普段仮眠用に常備している毛布でもかけてやることにした。
これが僕の精一杯の愛情表現で、目一杯の優しさだと思って欲しい。
起こさないようにそっと毛布を掛けてやれば、自ら包まるようにもぞもぞっと身動ぎした。
無意識のうちに僕の手が伸び、ゆっくりと太子の髪を梳く。
思っていたのよりもずっとさらさらで。
思っていたよりもずっと、きもちいい。
すっ、と手が下に下がり今度は頬を撫でる。
うん。ぎりぎりもち肌といった感じだ。
頬からあご先、更に下って首筋。
鎖骨に触れたところで太子の体が大きく揺れたのでそれ以上は止めておく。
「・・・・・・・『好きだ』なんて言えるわけないでしょう・・・・・」
そんな生易しい感情じゃない。
もっとずっと人間染みた、低俗な感情なんだ。
浅ましい、情欲にまみれた感情。
「『あんたを愛してるから、今ココで押し倒して、泣かせて、喘がせて、僕しか見えなくなるくらいめちゃくちゃにしてやりたい』なんて・・・・」
言えるわけない。
こんな汚い感情、あんたに見られたくないんです・・・・。
そんな本心、聞かせられるわけがない。
「太子に嫌われるくらいなら、いくらでも自分を騙します」
だから、お願いだから気付かないでください。
俗世にまみれた僕に。
そんな目であんたを見ている僕に。
太子の細くて長い指に、自分のそれを絡ませる。
「・・・私は・・・・構わないぞ・・・?」
絡ませた指が、きゅっと握られた。
「!?!?!?!?っ・・・・たたたた太子・・・・・・・いつから・・・!?」
「お前があちこち触るからくすぐったくて・・・・・・」
いやいやいやいやいや!!
ちょっと待てなんだこの展開!
おちつけ!落ち着くんだ小野妹子!
これは夢だ。きっとそうだ。そうに違いない。
だってそうじゃなけりゃ太子がそんなことを言うわけないじゃないか。
「なんだよ妹子!摂政がおし・・・・・その・・・・押し倒されてやってもいいて言ってんだから何とか言ったらどうなんだよっ///」
夢・・・・・・じゃないようだ。
えっと、こんな時なんて言えばいいんだろう。
とりあえず
「い・・・・いただきます・・・?」
後になって。
この言葉は本心過ぎたなと反省した。
書きたいように書き散らかしたらこんなことになった。
僅か200字のメモ書きがこんなに長くなるなんて・・・・・。
前半妹子がツンツンしすぎてて書くのしんどかったー!
デレ、というか本音をさらけ出してからの妹子はなんて書きやすいんだ。
2009/09/15
※こちらの背景は
空に咲く花/なつる 様
よりお借りしています。