すっかり夜も更けきった頃。
小高い丘の上で肩を並べて、どこまでも果てしなく広がる空を見上げた。
一条の光の筋を成す幾数もの星。
例えばそれを、幻想的だとか、ロマンティックだとかありふれた言葉を並べるだけならば僕にも出来ただろう。
彼はこの雄大な星空の下、ポツリと静かに言葉を漏らした。
「星が泣いてる・・・・」
この想いよ、誰かに届け
「・・・・・何も聞こえませんよ」
「そんなことないよ。――ほら、聴こえる」
「ただの空耳でしょう?太子、耳も悪いから」
「耳“も”って何だよ!?私はどこも悪くないよ!!」
「はいはい。そういうことにしておいてあげますよ」
これ以上戯言に付き合っていられないというように、僕はその身をごろんと横たえた。
土で多少汚れてしまうだろうがどうせ太子から強要されているジャージだ。
ジャージのそもそもの用途を考えれば別に汚れるくらい構わないだろう。
「おまっ!こんなところでよく寝られるなぁ。流石芋だな。土と仲良しさんか」
「誰が芋だって?」
「ひぃっ!事実を突きつけただけでこの仕打ち!?」
条件反射で伸びた僕の拳が見事に太子の頬にクリーンヒットした。
大仰に頬を押えてシナを作っているが大した怪我なんてしていないのは殴った僕自身が一番よく分かっている。
だから必死に目で訴えてくる太子を無視して言葉を続けた。
「第一、星を見に行くって言ったのは太子でしょう?しぶしぶ付き合ってやってるんですから黙って星見したらどうです」
「しぶしぶって・・・・お前本当に口が悪いな・・・・・。まぁ確かに星が見たいって言ったのは私だけど・・・・」
そこで太子は珍しくもごもごと口ごもる。
何なんですか?そうせっつくと言いにくそうに、何かを憚るように、たっぷり時間を置いてから。
「なんか・・・・・怖くなっちゃったんだ・・・・」
おそるおそる、空を見上げて。
ポツリ、静かに呟く。
「・・・・アホくさ」
「お前、仮にも摂政に向かって・・・・」
「いえ、アホな上に臭いの略です」
「余計ひどいよ!!」
もう妹子なんて知らん!!お前なんて芋星に帰ってしまえ!!
ぷいっと顔を背けたかと思うと、太子はそのまますたすた来た道を帰り始める。
太子、と優しく呼びかけてもこちらを振り返ろうともしない。
仕方なく僕は横たえていた身体を起こすとほんの少し先を行く太子に追いつくために小走りで駆け寄る。
「どうしたんですか?星はもういいんですか?」
「もういい。あそこは・・・・なんか怖いから」
「怖いって、お化けが出るわけでもなし」
「似たようなものがいたじゃないか」
「は!?ううううううそでしょ?」
お化けなんて信じていない。
いたとしても別に怖いわけじゃない。
返り討ちにしてやる自信くらいある。
でも、
居たものに気付けないのは―――怖い。
身に迫る危険に対して無防備であったことが、怖い。
もちろん、それは己のではない。
太子の、だ。
普段であればただの戯言だと聞き流すことも出来るのだが、今回ばかりは太子の声があまりにも真剣だったものだから僕にも動揺が走る。
僕の質問に対して、太子が至極当然といった面持ちで言葉を返した。
「嘘なものか。妹子も見てたじゃないか。あんなに沢山の星を」
「・・・・・は?」
「あれは・・・・・・人の魂だよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
自分でも驚くくらい間抜けな声を二連発で上げてしまった。
やっぱり戯言だったのだろうか?
しかしそれにしては太子の言動は真剣すぎる。
(この男は何を言っているんだ・・・・・?)
太子のおかしな言動は日常茶飯事ではあるけれど。
意味が、まったく解からない。
そんな僕の心中を知ってか知らずか定かではないが(多分察していないのだろうが)、突然歩みを止めた。
そして先ほどと同じように、恐れながらに見上げ。
「私も今まで気付かなかった・・・・いや、気付けなかったけど、今日声を聴いて確信した」
あれは人の魂だよ
先ほどと同じセリフをもう一度言った。
けれど一度目よりもずっと確信めいた含みを持っていて。
ただの迷信ではないことは伝わってきた。
「・・・・・・・魂が目に見えるとでも・・・?」
「見えないだなんて誰が決めたんだ?」
「誰って、現に誰にも見えないじゃないですか」
「見えてないんじゃない。皆、見えてないフリをしているだけだよ。だから気付けない。気付けないフリをしている」
「まさか・・・・」
「あれは、夢半ばにその命が絶たれた者達がこの地上で放つ筈だった命の光。だから星は泣くんだ。己の無念を晴らすように延々と」
「・・・・・・・・・・・」
時折。
太子は狐にでも憑かれたかのように不思議なことを口走る。
まったく意味を成さないただの言葉の羅列であったり。
この世の真理を解き明かすような言霊だったり。
未知を知らしめる神託であったり。
今回のそれがどれであるかなんて僕にはわからないけれど。
(きっと、それは真実なんだ)
それだけは確信を持って言える。
この人の“そういう言葉”はこの世の本質なんだと、だからこそこの人は聖徳太子なのだと。
僕は誰に言われるでもなく理解した。
同時に思う。
(きっと、僕はこの人の感性に辿り着けない・・・・)
どんなに努力したところで
どんなに冠位が上がったところで
どんなに側にいたところで
本当の意味で彼に辿り着くことは出来ないと思い知らされる。
こんなに近くにいるのに届かない。
(・・・・太子・・・・)
無意識のうちに、僕は太子の腕を取った。
届かないなら、せめてこの手の内に納めてしまおうとするように。
勝手な独りよがりな行為であるとわかっていても、離れていってしまうことが怖かった。
僕の不安を感じ取ってか、太子も無言で僕の手に自身のそれを重ねる。
「残酷だよね」
「何がです?」
僕等の運命がですか?
そう続けようとした言葉をぐっと飲み込んだ。
何度思考しても、これまで一度も口に出したことはない。
口に出せばそれが現実になってしまうような気がして。
(今この頭上にいるはずの二人のように・・・・)
愛し合い、それゆえに引き裂かれ、年に一度の愛瀬しか許されない二人。
住む世界の違う愛ゆえに、引き裂かれた二人。
まるで僕たちのことみたいじゃないか。
「ずっと不思議に思っていたんだ。どうして彦星と織姫は年に一度しか逢えないという条件を飲んだんだろうって」
「確かに・・・・・・愛し合っているならそんな話飲めませんね」
「だから天帝は二人の間に天の川・・・・・・星を敷いたんだ」
「・・・・・・・・」
「沢山のうらみつらみが、二人を決して逢わせないように」
「条件を飲んだのではなく、飲まざるを得なかった、ということですか」
「・・・・・・多分」
この考えが合っているならば、天帝は本当に残酷な手法を取ったといえるだろう。
触れ合うことは出来ない、けれどその姿は確かに見える。
声さえ届かないけれど、唇が紡ぐ音は聞こえる。
そんな川のほとりに二人を縛りつけた。
無念のうちに命絶えた魂が渦巻く川のほとりに。
「・・・・・・・なぁ妹子・・・・」
「・・・・・なんですか」
僕の手に重ねられていただけの太子の手がぎゅっと握られる。
「もし、もしも妹子が二人と同じ立場になったら」
「人々を押しのけて、踏みつけて、ひどい罵声を浴びせられて」
「それでも」
「私に逢いに来てくれるか?」
当たり前です。
そう答えたい気持ちを押し込めて、僕は太子が望む答えを返す。
僕と太子の間にある感情が恋だとか愛だとか言うものなら、それは押し付けがましいものであってはならないと思うから。
「貴方が・・・・・・それを望むなら」
空いていたもう一方の手を太子の手に重ねる。
貴方が望むか否か、そんなことは解かっています。
無言でそう訴えかけるように。
「じゃぁ、私が逢いに行ったら・・・・・妹子は嬉しい?」
「嬉しい、です。・・・・・・けど」
「けど?」
「あんたが泣くくらいなら、逢えなくてもイイです。僕を想っていてくれるだけで、十分です」
「・・・・・・そっか。・・・・・そう・・・・・だな」
寂しがるような
ほっとしたような
そんな表情で
力の抜けた人形のようにぺたりとその場に腰を落とした。
「妹子は優しいな」
「僕は優しくなんかないですよ」
優しいのはあんたの方だ。
この人は他人を踏みつけてまで幸せになることなんて出来ない。
逢いたい
逢いたい
アイタイ
毎日だって、ずっと一緒にいたい。
でも、太子がそれを望まないなら
僕も望まない
貴方が想ってくれているのなら
年に一度でも耐えてみせる。
364日の別れにだって我慢できる。
だから
今だけは
「太子」
「?」
ちゅ
「っっ!?!?!?!?!?!?!?」
「今一緒にいるこの時は、我慢しなくていいですよね」
突然のキスに太子は一瞬身を硬くして、次に顔を真っ赤にして、もじもじと身を小さくした。
「・・・・・・お前、今すごいエロい目ぇした」
「するかよ!」
「いんや、今の妹子の頭の中は思春期の男子中学生もびっくりなくらいエロエロなことでいっぱいなんだ!」
「エロエロなことでいっぱいなのはお前の頭の中じゃねーかよ!?何勝手に妄想してるんだよ!」
「妹子の中は〜エロで〜い〜ぃぱ〜い」
「へんな歌うたうなーっっ!!」
先ほどまでの神妙な面持ちはどこへ行ってしまったのか
太子はいつもの調子で陽気に歌なんか歌いながら駆け出した。
慌てて僕も追いかける。
「待ってください!太子!!」
「へへ〜ん。エロ男爵芋なんかに捕まってたまるかー」
「だからエロくないって言ってんだろーがこのアンポンタンっ!」
いい加減にしないと本当に襲いますよ!!
ひぃっ!!本性見せやがった!
あんたが怒らせただけでしょう!
摂政のボディーラインを想像して欲情し・・・・・
するかあほんだらっっ!!おんどりゃあぁっ!!
おくとぱすっ!!
なんてやり取りの後。
僕は力ずくで太子の足を止めさせた。
「ダイビングクロスチョップした上、卍固めしなくったって・・・・・・お前摂政を何だと・・・・・」
「いや、アレくらいしないと止まってくれないかと思って」
「心臓が止まるかと思ったよ!!」
「太子なら止まっても大丈夫ですよ。多分」
「お前・・・・思ったよりも嫌な奴だな・・・・こうなったらスーパー摂政の権力でもって妹子を・・・・・・あっ」
「?どうしました?」
「ん・・・・短冊、書きそびれちゃった・・・・」
ジャージのポケットに忍ばせた手に握られていたのは数枚の色鮮やかな紙。
本当ならば星見をしながら二人で願い事を書く、という予定だったのだが。
残念ながら今は空の二人に身勝手な願いをしたいという気持ちにはなれない。
「太子、それ貸してください」
「何するの?」
「こうするんです」
いぶかしみながら太子はそれを僕に手渡した。
太子の手から受け取った紙をくるくる回転させながら数回折ると
大きく振りかぶって色鮮やかなそれを空に解き放つ。
「貴方たちもどうか幸せに!!」
何も書かれていない短冊は紙飛行機となって星空の彼方を目指して飛んでいく。
それが誰に当てたものなのかは僕にもわからない。
彦星と織姫へなのか。
それとも天の川にたゆたう哀れな魂たちへなのか。
わからない、けれど。
僕たちには必要のないものだから
どうか、これを必要とする人の下に届きますように。
願いともいえない願いを乗せて、紙飛行機は静かに闇夜にとけた。
妹太七夕企画に提出させていただきました。
こんな拙い&なんかよく分からないワールド全快の駄文を掲載していただきありがとうございした!!
もっと押しの強い妹子が書ければいいのに・・・・!!
どうしてうちのはこんなにも一歩引いてしまうのか謎で仕方ありません。
押しの弱さに定評があります。
もっとこう・・・・毒妹子みたいにしてくださいイモ。
2009/06/21
※こちらの背景は
ふるるか/ひゆ 様
よりお借りしています。