それまでどうにか思考の外に追いやっていたことがここにきて顔を出す。
失われてしまったものは取り返せない。
その当たり前の事実が今になって己の胸に突き刺さった。

今更嘆きたくは無かった。
それこそあいつの思うツボのようで癪に障った。
でもこの喪失感はなんだろう。
虚しさと、憤りと、全てがない交ぜになった感情。
なんと言う名前で呼べばいいのかもわからない。
どうしたらいいのかわからなくて、八つ当たりとわかっているのに目の前の胸を強く叩いた。
握ったこぶしを何度も何度も打ち付ける。
彼は何も言わずにそれを甘んじて受けた。
そうされるのが当然とでも言うかのように。
ただ黙って受け止めた。

「あんたが・・・・・あんたが悪いのよ・・・・・」
「・・・・・すまん・・・・・」

口をついた言葉はまったくもって不当なものだった。
確かにあれは彼のせいかもしれない。
あのような事態に陥ったことは彼にも問題はあったかもしれない。
でも、件の件は。
あれに関してだけは。
むしろ私に非があるのに。
それでも彼に当たるしかなかった。
そうしなければ自分というものが保てない。




あんなもの嘘っぱちだ。
私は望んでなどいなかった。
突然のことに動揺しただけだ。
そうだ、そうに決まっている。

何度自分に言い聞かせた言葉だろう。
繰り返せば繰り返すほど、自己嫌悪に苛まれる。
あの時に感じた確かな快楽が否定の言葉を否定する。

耐え切れなくて彼にぶちまけた。
あの時の真実を。
本当ならば墓の中まで一人で持って行きたかった事を暴露した。
ポツリポツリと紡ぐ言葉を彼はせかすことなく聞いてくれた。
言葉に詰まっても、ただただ次の言葉を待ってくれた。
特に驚いた様子も無く、経過した真実として淡々と受け止めた。
過剰に反応しないことがむしろ今の自分にとっては嬉しかった。
あの時に何かがあったことは彼自身察していたのだろうから『やはり・・・』とどこか納得したようだった。
唯一。
そんな彼が唯一目を見開いたのは、あの男からの仕打ちに対しての私の内情を口にした時。
奥歯をギリ、と言わせるのを聞いた。
私を掴む手に一際力がこもった。
怒るだろうか?
ふざけるなと憤るだろうか?
それでもいい。
いっそそうしてくれた方がずっと気が楽だ。

だが彼はそうしなかった。
かすかに震える声で

「すまなかった・・・・」

そう言った。
何であんたが謝るのよ。
違うでしょ?
怒っていいのよ。
罵っていいのよ。
そうじゃなきゃ私の感情にやり場が無いじゃない。
どうしようもなくて私は拳を振り上げて、彼の胸に叩き付けた。
何度も何度も、繰り返し叩く。
あんたが悪い、と不当なことを言って彼を困らせる。
その度に彼はすまないといって謝る。
どれくらいそんな不毛なやり取りを繰り返しただろうか。
彼の胸を叩くことに疲れた頃、彼が私の後頭部に手を伸ばす。

「だが、起こってしまった事は仕方が無い」

伸ばした腕を引き寄せ、私の頭を自分の胸に押し当てた。

「嘆いたところで事態は変化しない」
「わかっているわよっ!でもね!女の子にとって、ファーストキスは特別なのよっ!!」
「そうか」
「あんたにわかる!?好きでもない奴に一方的に奪われた、この私の気持ちがっ!」
「・・・・・すまん・・・・」
「そんな簡単に言わないでよ!」
「すまんがそれ以上口を開かないでくれ」
「何様のつもりよ!大体ねっ!」
「好きな女の唇を勝手に奪われた男の気持ちも、君にはわからないだろう?」
「・・・・なっっ!?」
「これでも腸が煮えくり返りそうなのを何とか堪えているんだ。それ以上何か言われたら何をするか自分でもわからない」
「・・・・それって・・・・・ぅわっぷ」

口を開けば、もう一度強く彼の胸に押し付けられる。
おずおずとその手をかいくぐり、彼の胸の中から顔を持ち上げ、小さな声で問う。

「もしかして・・・・嫉妬してる・・・・?」
「わからん」

少しだけ怒った声で彼が言う。

「レナードのこと、怒ってる?」
「わからん。だが非常に芳しくない気分だ」

眉間に寄せた皺がより一層濃くなった。
やっぱり怒っている。
あいつにも、私にも。
でも今はその怒りすらも私の中のすさんだ気持ちを融解してくれる緩衝材だ。
控えめに伸ばした腕を彼の背中に回す。
服の端っこをちょっとだけ掴むに留まる。

「・・・・・・ありがと」

面と向かって告げることが恥ずかしくて、顔を俯けた。
くぐもった声が自分自身にも聞こえた。

「君に感謝されるようなことは何もしていない」

怪訝そうな声が返される。
きっと真面目な顔で首を傾げているに違いない。

「いいの・・・・・ありがと・・・・」
「よくわからんが・・・・・まぁ・・・いいか・・・・」
「うん、それでいいのよ・・・・」

心地よい時間がゆっくりと流れていく。
それを断ち切ったのは、彼の方。

「千鳥」
「何?」
「一つ、わがままを言わせてもらってもいいだろうか?」
「わがまま?」
「うむ」

それはとても珍しい申し出だった。
記憶にある限り、思う存分振り回されたことはあれど、彼がそのように申告してきたことなど一度も無かった。

「・・・・いいよ。聞いたげる。言ってみなさいよ」
「助かる」

一息置いて、何かを逡巡する。
口を開いては閉ざし、それを何度か繰り返し、ようやく意を決して言葉を漏らす。

「・・・・今後は・・・俺だけにしてもらえないだろうか・・・・」
「・・・何を・・・?」
「いや・・・・その・・・・・つまり、君と・・そういうことをするのを、だな・・・・」
「そういうこと・・・って・・・・」
「いや・・・だから・・・その・・・、・・・・口付け・・・のことだ・・・・・」
「なっ!?」

言うに事欠いてこの男は突然何を言うのか!
驚きとその他もろもろの感情に言葉が出てこない。

「確かに君の唇は奴に奪われた。どんなに抵抗しようともその事実は変わらない。
だが今日以降は誰にも譲るつもりは無い。ソレは、俺のものだ。
例え誰であろうと手放しはしない。
だから君も約束して欲しい。
今日以降、誰にも許さない、と」

なんと身勝手な。
なんと一方的な約束か。

「君のファーストキスとやらはもう取り返せないが、最後の唇は俺が貰い受ける」

つまりそれは、プロポーズも同じではないか。
わけもなさげに言う彼はそれを自覚しているのだろうか?
聞いているこっちが赤くなってしまう。

「なによ・・・それ・・・・・」
「嫌か?」
「そうじゃないけど・・・・・、あんたが先に死んじゃったらどうするつもりよ」

私なんかよりもずっとずっと危ない場所に立っているあんたの方がよっぽど先に死んじゃいそうじゃない。

「問題ない」
「問題大有りよ。あんたがいなくなった後のことなんて、私だって保証できないんだから」

自暴自棄になって誰かに身を許さないとは言い切れない。
全てがどうでもよくなって色に溺れてしまうかもしれない。
あんたのことが好きだから、不確かな約束なんて出来ない。

「問題ない。俺が死ぬ時は・・・・・君も連れて行く」
「なっ!?」

彼の真剣な表情を見れば、それが冗談などではないことくらいわかる。

「ほ・・・本気なの?」
「肯定だ」
「あんた・・・・馬鹿じゃないの!?」
「あぁ、否定はしない。それでも、俺が死んで君が誰かの自由になるなど到底許容できることではないのだ」
「意味わかんない。だから私も死ねって言うの?」
「・・・・・君は不本意だというかもしれないが・・・・・・」
「不本意っつーか、なんつーか・・・・」

つまり、コレが彼の言うわがままということか。
ありえないありえない。
どこをどういじったらこんな発想がでてくるのか。

「頭のねじぶっ飛んでるとしか思えないわよ」
「む、俺は至って正常だぞ?」
「・・・・・・わーってるわよ!」

ガシガシと頭をかき回して、潔く腹を括ってやる。

「しょうがないからあの世まであんたに付き合ってやるわよ」

握った拳を彼の胸板に思いっきり正拳突きしてやる。

「だって、ソースケってばあたしがいないとてんでダメ男なんだもん!」

感謝する・・・・と小さく零した彼の言葉を、さえぎった。
私たちの初めての。
最後には程遠い、口付けで。





ラスト・キッス






軍曹は恥ずかしい台詞をさらりと言ってしまうから恥ずかしい。

多分最初を貰うよりも最後を貰う方がずっと難しい。

でもちろりとソースケならきっとやってくれると思うんだ。

最終巻発売まで2週間を切った。

幸せになって欲しいです。

ただそれだけです。

2010/08/08




※こちらの背景は NEO-HIMEISM/雪姫 様 よりお借りしています。




※ウィンドウを閉じる※