キーボードを叩いていると、ドアがノックされた。
振り返りもせずに「どうぞ」と呼びかける。
ゆっくりとドアが開く。
「にいさん」
僕はパソコンに思い切り突っ伏しそうになる。
後方ではクツクツと笑う声。
くっそ・・・・・・絶対わざと言いやがったな・・・・・・!
半眼になって振り返る。
相手はニヤニヤ笑っていた。
「・・・・・・なんのつもりだ?義弟くん」
嫌みたっぷりに言葉を掛ける。
この程度のやりとりなど何十何百回と繰り返しており、今更意味のあるものでは無かったけれど、まぁ、僕たちの挨拶代わりみたいなものだ。
「嫌がらせに決まってんだろ」
「だと思ったよ」
「仕事の方は進んでるか?」
「おかげさまで」
何のことはない、世間話をしに来ただけと判断し、僕はパソコンに向き直った。
後ろから同じようにパソコン画面をのぞき込んできたが、とりあえずは黙っておく。
本当は見せるべきじゃないんだろう。
だって、コレはあまりにも救いがなさすぎる。
「今度こそ仕上げてくれるんだろうな?」
「・・・・・・耳が痛いこと言うなよ・・・・・・」
「お前のせいで何回延期にしたと思ってるんだバカ」
「僕のせいじゃない」
「お前のせいだろ」
「だって、どうしたらいいかわからないだろこんな内容」
手に取ったのは古びれた『僕』の日記。
『僕』の辿った全てが記された、『僕』の記録。
僕がコレを手に入れたのは、20歳の誕生日の時。
それから数年を掛けて、この記録を物語として世に輩出することに全力を注いでいた。
「書けども書けども、担当がOK出してくれないし・・・・・・」
「それをどうにかするのが作家ってもんだろ?ダレン」
「・・・・・・簡単に言ってくれるなよ・・・・・・」
こちとら物語の書き方なんて知らないゼロからスタートしてるんだ。
『僕』の記録を物語に変換するに当たっては、予想以上に苦労している。
どうしても譲れない部分が担当からOKが出ない。
隠喩で表現しなければいけない部分がどうしてもひねり出せない。
うっかり場所を特定できそうな書き方をしてしまっている、などなど。
なにもかもが初めてぶち当たる壁ばかりで、そのたびに心折れそうになる。
「だから俺がアイディア提供してやるっていったろ?そうしたらもう1年は早く出版できていたに違いねぇ」
「・・・・・・戦地で悪魔に誑かされるっていう奴なら、速攻で却下されたからな」
「なっ!?」
「スティーブの意見は万人受けしないから要らないよ。お前は何でもかんでも悪魔とか魔王とかそういうのに持っていこうとするだろ」
「ガキ向けの話だろ?そーゆー分かりやすい悪の方がいいに決まってる」
「捻りがなさすぎる。それに、コレはそういう話じゃない。悪と善は表裏一体で、どちらにも傾く可能性のある天秤なんだ。勧善懲悪にしたら意味がない」
「おーおー、作家かぶれのくせにいっちょ前の口ききやがって。そこまで言うなら、さっさと発売日決めて欲しいね。ダレン義兄さん」
「・・・・・・お前・・・・・・・・・その言い方やめろよな・・・・・・」
「いいだろ。もう籍は入れてるんだし」
「・・・・・・だからって・・・・・・お前に言われると気色悪いんだよ・・・・・・」
親友だったスティーブが、ある日突然『義弟』になった衝撃といったら・・・・・・こいつは体験したことある奴じゃないとわからない類の感覚だ。
「ちょっと、スティーブ?ダレンの邪魔しないであげて?」
声にはっ!と顔を上げる。
ドアの所に妹のアニーが腕を組んで立っていた。
「ばーか。誰が邪魔してるって?」
「お前に決まってるだろ、スティーブ」
「協力の間違いだろ?」
「もう!これ以上式が遅れたらまたドレス仕立て直しになっちゃうんだから、本当に邪魔しちゃだめ!」
そう。
妹のアニー・シャン。
そして、今は。
スティーブの妻、アニー・レナード。
二人の事実を受け入れるのに少し時間は要ったが、思ったよりも抵抗なく受け入れることは出来た。
問題児のスティーブに大事な妹を預けるのはいささか不安が無いわけでもないけれど、二人が幸せならこの際僕の心配などはうっちゃっておこうと思った。
事実、二人は昨年入籍し、何とか上手く新婚生活を送っているらしい。
・・・・・・らしい、というのは僕が二人の新居を訪ねたことが無いからだ。
何度となく誘われているものの、二人に対して後ろめたい所があってどうにもそれどころではないと思ってしまうのだ。
「・・・・・・なぁ、アニー。やっぱり式はさっさと上げるべきだと思うよ。僕のことは放っておいていいからさ」
「だめよ!」
「そんなこと言われても・・・・・・次だってOK出るかどうか、僕にはわからないんだ。コレばっかりは僕だけの力じゃどうにもならないよ」
「それでも、ダメなの!!」
「そうだぜダレン。今更逃げようったってそうはいかねぇぞ?」
「逃げる訳じゃないよ。僕だって諦めているわけじゃないんだ。絶対に本は出版する。それが『僕』との約束だから」
でも、それとコレとは話が別だと思うんだ。
「でもな、アニー。わざわざ本の発売日に結婚式を併せる必要なんてどこにも無いだろ?僕は絶対に出版までこぎ着けさせる。
だから、アニーたちは一足先に夢を叶えてくれていいんだ」
入籍は先に済ませて既に婚姻関係にあるアニーとスティーブ。
新居への引っ越しも一足先に済ませ、後は式を待つばかり。
・・・・・・のはずだったのだが、待てども暮らせども挙式の知らせが届かないときた。
コレは一体どう言うわけか。
まさか新婦の兄にして、新郎の親友たる僕が式に呼ばれない何てことはあり得ない。
差し出がましいと思いつつ二人に尋ねてみた。
すると、二人は口をそろえてこういうのである。
「おまえの本の発売日に式を挙げる」
「お兄ちゃんの本が発売する日に式を挙げようと思っているの」
どう言うわけか、二人は結婚式を『僕』の本の発売日に併せると言って聞かなかったのである。
なるほど二人は僕のことを心配して、そして僕のやる気を焚き付けるためにこんなことを言ってくれているのだと思った。
ならばそれに応えてやらなくちゃ男が廃ると言うものだ。
・・・・・・とはいえ、人生やる気だけでどうにかなったら苦労なんて言葉は存在しない。
やる気を出せば出すほど、思い通りにいかないことが歯がゆくて辛い。
改心の出来だと思った内容が歯牙にもかけて貰えないなんてざらにあることだった。
公にこそされなかったが、出版部との話では半ば確定していた発売日もあった。
こっそり二人にだけは伝えていた。
二人とも、まるで自分のことのように喜んでくれた。
しかし、入稿直前の段になって内容訂正を言い渡され、発売延期と宣告された。
他社の出版物と内容が酷似していることが判明したのだ。
発売日が早いか遅いかというだけの差でしかないが、「パクリ」と叩かれるのはどう考えても後発の僕の作品だ。
断じて盗作などしていないが、読者にはそんな言い訳は通じない。
結局、僕は原稿の大幅改稿を余儀なくされた。
僕自身ももちろんショックだったが、二人も同じくらい落ち込んだ。
正直、あの時のような事態が再び起こらないと言う保証はない。
また二人に心労を負わせるかもしれないと思うと、僕自身心苦しい。
僕のことなど気にせずに、二人には早く幸せになって欲しいと思う。
出版を諦めるつもりは無いし、焚き付けて貰わなくても僕は十分一人で闘っていけるんだ。
僕のことはいいから、二人で・・・・・・いや、三人で送る幸せな生活を描いて欲しいと思うんだ。
「な?アニー。何で意地になっているんだよ?僕を心配してくれるのは嬉しいけど、この本は本来お前には関係ないことなんだ。
僕に付き合う必要なんて、これっぽっちもないんだよ。なぁ、スティーブからも何とか言ってやってくれよ?」
僕一人では説得できなくても、夫のお前が言えばアニーだって折れてくれるに決まってる。
縋るような気持ちでスティーブに視線を投げかける。
だというのに、スティーブの奴はニヤリと笑った。
まるで、一緒に悪巧みを画策した子供の頃のような笑みを浮かべた。
「悪いな、ダレン。それは出来ねぇ」
「え?」
「私たち、決めたの」
「決めたって・・・・・・何を・・・・・・?」
「俺たちも」「私たちも」
「一緒に《運命》に闘うって」
「もちろん、この子も一緒にね」
アニーは僅かに膨らみ始めた自分の腹部を優しくなで上げる。
アニーの中には、既に二人の子供が宿っている。
「関係ないなんて言わないで?」
「俺たちだって、その本の中じゃ《運命》に十分巻き込まれてんだろ?他人事じゃないんだよ」
「バカ言うなよ!これは、誰かの悪質ないたずらでただの妄想話かもしれないんだぞ!?」
「でも、お兄ちゃんはそうは思ってないんでしょ?一人で闘うつもりなんでしょ?」
その日記の中のお兄ちゃんみたいに、とアニーが悲しそうに呟く。
「私、何も出来ずにただ現状に流されるなんて嫌。《運命》に翻弄されて、みんなが傷ついていくのを見ているだけなんて絶対に嫌!」
「証明してやりたいんだよ。《運命》なんてものの言いなりにはならないってことを」
俺はこいつを裏切らねぇよ。
絶対に。
泣かせるようなこと、絶対してたまるかってんだ。
「だからこそ、お前が《運命》に勝負を挑むその日に、俺たちも闘いたいんだ」
「《運命》になんか負けないって、あなたの思い通りになんかさせやしないって、神様に誓いたいの」
二人の目は真剣そのもので。
冗談の居座る場所なんて、どこにもなかった。
急に、僕は目頭が熱くなって、慌てて顔を伏せた。
泣き顔を見られるなんて恥ずかしくて出来ないよ。
不自然じゃないようにこっそり袖で目元を拭う。
「・・・・・・ばぁか。神様の前で誓うのは、永遠の愛だけにしとけよ」
「そいつは、二番目くらいに誓うさ」
「そんなもの誓わなくったって、私たちは幸せになってみせるわ。絶対に」
笑い掛けた二人の顔は、涙で滲んで上手く見ることが出来なかった。
僕たちは、幸せになるために生まれた
なぁ、見てるか?『僕』。
僕は一人で闘っていくのだとばかり思っていたよ。
お前の書いた夢物語を信じる、哀れな人間となって、バカみたいな空想をたった一人、世に輩出していかなければいけないと思っていたよ。
でも、今ここにお前を信じる人が二人もいるんだ。
『僕』が理想に描いた人数にはほど遠いけど、それでも、お前の支援者は確かにいるんだ。
ここから始めてみせる。
『僕』が出来なかったことを、僕は絶対にやり遂げて見せるよ。
だから、『僕』はそこから二人を見守っていて。
彼らの幸せが途切れることの無いよう、そこで願ってて。
2巻終了後の、作家を目指しているダレンと
その世界線におけるスティアニのお話でした。
ダレンのキャラクターはさ、みんな幸せになるべきだと思う。
幸せにならなきゃいけないと思う。
幸せにして上げたいと思う。
みんな愛しいよ。
このお話は青木雨さんに捧げます。
青木さんのみお持ち帰り自由で煮るなり焼くなり燃やすなりしてくれて構いません。
クレマロありがとうございましたマローラたんぷめぇですmgmg
2012/02/17
※こちらの背景は
Sweety/Honey 様
よりお借りしています。