薄暗い部屋の中。
部屋を照らすのはちらちらと心許なく揺れる蝋燭明かり。
それでも、半バンパイアである自分には十分すぎる明かりだった。
ハンモックに体を預けて雑誌をめくる。
部屋の外から聞こえてくる荒々しい足音には敢えて気が付かない振りをした。
それでも、足音は確実にこの部屋に向かって伸びている。
部屋の前で足音が止まっても、雑誌から目は離さない。
いわば最後の抵抗だった。
扉はノックも無く開かれる。
頭だけ起こしてそちらを見れば予想通り、というか何というか、顔を怒らせたバネズが立っていた。

「コラ、ダリウス。こんなところで何している」
「・・・・・・本・・・読んでるんだけど」

手にした雑誌を振って見せた。
当の昔に光を失ったバネズに対する嫌みのつもりだ。
見えはしなくとも何となく気配は感じ取れたのだろう。
より一層顔を顔をしかめた。

「そうじゃない。稽古を付けてやるから闘技場に来いって言っておいただろう」
「だって、訓練は昨日もしたじゃん」
「昨日はナイフ、今日は棒術だ」

そう言えばそんなことを言っていた気もする。
ちなみに言えば一昨日は徒手、その前は長剣、さらにその前はハンマーだった。
全く、バンパイアって生き物はよくもまぁこんな戦闘にまみれた生き方をするものだ。
それも、こんなアナログな。

「・・・・・・だいたいさ、今日日そんな訓練が役に立つとも思えないんだよね」
「何だと?」
「ガネンとバンチャが必死になって和平条約を結ぼうとしているってのに、一体何と戦うつもりの訓練なのさ?バンパニーズは敵じゃないことくらいバネズだってわかってるだろ?」
「バンパイアってのは元々バンパニーズと戦うことなんか考えてはいなかったさ。お前は『傷あるものの戦い』が始まってからの時代に生まれたからそう思っても仕方がないのかもしれないがな。バンパイアは己と戦うために体を鍛える。肉体を鍛えるとともに、一族に対して恥じることのない崇高な精神を学ぶんだ」
「崇高な精神ねぇ・・・・・・」

意味深に言葉を繰り返した。

「古臭いしきたりにこだわって縛られてるのが『崇高な精神』ってことなら否定はしないけどね」

鼻で笑ってやる。
もうそんな生き方は時代遅れなんだ。
僕らはもっと前衛的にならなきゃいけない岐路に立たされていることを皆気が付くべきなんだ。
戦いなんていらなくなる。
僕らに必要なのは相手をねじ伏せたりできる力じゃない。
相手に歩み寄って、話し合って、根気強く説得するコミュニケーションだ。
和解できるのは何もバンパイアとバンパニーズだけじゃない。
人間とだって、きっと共存できるはずなんだ。
黙って血を奪って恐怖の対象になる時代は、もうすぐ終わるんだ。
終わりにしなくちゃいけないんだ。

「・・・・・・それで俺を挑発したつもりか?」

帰ってきたのは予想外に落ち着き払った声だった。
しかし、その言葉のどこかは確かに何かに怒っていた。
僕ではない何かに、僕ではない誰かに言っているようだった。

「ガキほどそういう台詞を吐くんだ」

苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てた。
だが当たり前だけどこの部屋には僕以外の誰もいない。

「確かに俺たちはこれから変わらなくちゃいけないかもしれないがな、だからってこれまでの生き方の全てが否定されて良いわけがない。全てを変えなくちゃいけない道理もない。変わらなくて良いことも、変えてはいけないこともあるんだ」
「・・・・・・バネズ・・・・・・?」

どこか真に迫った言葉は、バネズ自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
なぜそのようなことをするのかはわからないが、言い返すことすら許さない空気がそこにはあった。
見たこともないバネズの表情。
普段から厳しいことは厳しいけど、今日のバネズはどこかおかしい。

「わかったらさっさと闘技場に行くぞ」
「ぅえっ!?あっ!ちょっと、待ってよ!?自分で歩く!自分で歩くからっ!!」

見えないはずなのに、寸分違わず僕の襟元に手を伸ばし首根っこを掴んで軽々抱え上げる。
足も着かない高さで抱えられれば残念だけど逃げることも敵わない。
というかーーー

「そんな無駄口も叩けないくらい徹底的にしごいてやるから覚悟しておけ」
「わかったから!わかったから降ろしてよ!ちゃんと自分で歩くから!!」

何食わぬ顔で歩いているバネズは何も感じていないのか?
クツクツ、ガハガハ、笑いを堪えるつもりなんてこれっぽっちも無いバンパイア仲間が僕たちのことをおもしろおかしく見ているっていうのに!?
僕を抱えて歩くバネズの姿を見て「またいつもの奴か」とか「ダリウス、今度は何をやらかしたんだ?」とか好き勝手言ってるっていうのに!?
くっそぉぉっ!!恥ずかしいったらないよ!!

「訓練さぼって悪かったって!これからはちゃんとするからっ!だから降ろしてよっ!!!」

じたばたもがく僕の叫び声と、それを見たバンパイア達の
品の無い笑い声は闘技場に着くまで続いた。

そこから先にマウンテンに響いたのは、
───悲鳴としか言いようのない僕の叫び声だけだった。


 □ ■ □


悲鳴が止んで30分後のクレドン・ラートの間。

「くっそ・・・・・・バネズの奴本当に容赦ねぇ・・・・」
「また今日は随分と派手にやられたみたいだな」
「みたい、じゃなくて実際手加減一切無しのタコ殴りだよ」

ぶすっとむくれて、僕はテーブルに突っ伏した。
向かいにはハーキャットが座っている。
運んできたスープを目の前に置いてくれたが、食べる元気も僕には無い。

「怒らせるようなことでもしたのか?」
「・・・・・・・・・わかんない・・・・・・」

多分、怒っていたんだと思う。
でも、何に対して?
僕に対して怒っていたわけでは無い気がする。
バネズは古臭い考えの持ち主だけど、決して八つ当たりをするようなバンパイアではない。
じゃぁやっぱり僕に対して怒っていたのか?
・・・・・・それは違う気がする。
なら、バネズは何に怒った?
考えてもわからない。

「バネズの考えてることなんてまるでわかんないよ」
「そうか?」
「そうだよ。このご時世、ナイフだ棍棒だって戦闘訓練ばっかりしてさ。そんなモノが何の役に立つっていうんだか・・・」
「・・・・・・そういうことか・・・・・・」

ハーキャットが小さく何かを呟いたみたいだけど良く聞こえなかった。
聞き返してもなんでもないと返される。

「で?お前はどうなんだ?」
「・・・何が?」
「お前はバンパイアには何が必要だと思ってるんだ?」
「そんなもの現代技術に決まってんじゃん!」

僕はハーキャットに喜喜として説明した。
それはバネズとの訓練が始まるまで読んでいたあの雑誌の内容だ。
あれはママが「人間としての常識もきちんと勉強しなさい」といって、バンチャを経由して送ってくれたものだ。
社会情勢とかゴシップ記事とか、興味無いものばかりだったけれど、唯一目を引いたもの。
それがコンピューター情報を綴った雑誌。

今の人間社会は情報社会だ。
僕が人間だった頃にもインターネットはあったけれど、あれから数年を経て飛躍的に環境が整い、爆発的に情報量が増えている。
電子情報で世界が繋がる時代が実現したんだ。
インターネットを通じて得られる情報に対する信頼性はとても希薄なモノだけど、代わりにありとあらゆる情報を誰もが得られる利点もある。

「そのインターネットを使えばさ、バンパイアは危険な生き物じゃないって世界中の人に知らせることができるんだ!そりゃぁかなり時間も掛かるだろうし、バンパイアハンターみたいな奴らに見つかれば全く逆の情報を流されるかもしれない。でもバンパイアが人から理解されて、人間社会で当たり前に暮らせる可能性だってあるんだ!試してみない手は無いだろ!?僕たちバンパイアには死ぬほど時間がある。何年、何十年掛かっても、歩み寄ろうと努力し続ければ不可能じゃない!」
「それをバネズに話したのか?」
「話すも何も、無理矢理闘技場に連行されて今に至ってるよ」
「ならどうして今すぐ話に行かない」
「だって・・・・・・バネズ、怒ってるみたいだったし・・・何もかもを変える必要なんて無い、ってはじめっから聞く気ないし・・・・・・」
「言っていることが矛盾しているぞ?何年何十年かかっても歩み寄る努力をすれば不可能はないんだろう?」
「そ・・・れは・・・、そうだけど・・・・・・」

もごもご口ごもると、ハーキャットはしてやったりとでも言うかのようにニヤリと笑う。

「自分の師一人説得出来ないようでは説得力の欠片も無いぞ?」
「わかってるよっ!」
「それに、お前はバネズが怒った理由も知らないままだろう?」
「うっ・・・」
「コミュニケーションというのは、一方通行では成り立たない。聞いて欲しいならお前もバネズの話を聞いてやれ」
「・・・・・・何だよ・・・自分だけ何でもわかってるみたいな口振りで」

突っ伏したまま唇を尖らせた。
バカにされるかと思ったが、ハーキャットは悲しそうに笑うだけだった。

「そうだな・・・もう少し早くに気が付いていれば、結果は違ったかもしれないな・・・」

その言葉の意味を、今の僕はまだ理解することは出来なかった。


 □ ■ □


何度目かの躊躇の後、僕は腹を括ってバネズの部屋の戸を叩いた。

「おう。入れ」
「・・・・・・・・・」
「入るならさっさと入ってこい。いつまでもドアの前でうろちょろするな」
「・・・気づいてたの?」
「当たり前だ。俺はお前の師匠だぞ?」
「・・・・・・」

師匠。
そういうことになっている。
僕に血を注いだ人は死んでしまったから。

一人はパパ、スティーブ・レナード。
バンパニーズの血を流し込んでくれた。
もう一人は僕のおじさん、ダレン・シャン。
おじさんがバンパイアの血を流し込んで、僕の中のバンパニーズの血を相殺してくれた。
そして僕は半バンパイアになった。
でも二人とも死んでしまった。

だからバネズが二人の代わりに僕の師匠になってくれた。
血の繋がらない、形だけの師弟関係。
僕たちはそういう関係だった。

「一人で呑んでたの?」
「ん?あぁ、少しな」
「珍しいね」
「たまには、な」

テーブルの上には中身がだいぶ減った酒瓶と二つのグラス。
一方はバネズのもの。
もう一方は逆さに伏せたまま置かれていた。
口に出さずとも気配は伝わったのだろう。

「あいつらと一杯やりたかったんだがな。どうにも顔向け出来そうになくて注げなかったんだ」
「あいつら?」
「お前の大先輩共さ。あの頃はあいつらのことをばかにしていたもんだが、実際自分が同じ立場になったら笑えんもんだな」

グラスの中身を一息に煽って空にした。
手酌で再びグラスを満たし、思い出したように伏せてあったグラスを手に、僕に向かって突き出す。

「お前も一杯呑むか?」
「うん」

僕はまだ未成年だけど、そんなのは人間の法律であってバンパイアの法律にはない。
勧められるままにグラスを受け取り、ちびりちびり舐めた。

「それで?お前は何しに来たんだ?」
「バネズが・・・怒ってたみたいだから・・・、その、・・・何でかな・・・と思って・・・・・・」
「そんなことをわざわざ聞きに来たのか?」
「悪い?」
「悪かねぇが、・・・・・・あんまり聞かない話だな」

あんぐりと。
バネズの口は優に数秒は開いたままだった。
しばらくしたら声を殺して笑い出す。
まさかそんな理由で来たとは予想だにしていなかったのだろう。
ふんっ!師匠面したとたんに鼻を明かしてやれていい気味だ!

「既成概念に捕らわれたままじゃ未来を開拓なんて出来ないからね」

ハーキャットにそそのかされて、とは言わないでおく。
なけなしのプライドだ。

「・・・・・・怒っていた理由か・・・・・・くだらないと言えばくだらない理由かもしれないな」
「何それ!?あの地獄のような訓練させといてそういうこというわけ!?」
「おっと、先に言っておくが怒っていたことと訓練の内容は関係ないぞ。これまで数多くの訓練生を見てきたがその辺の混同をしたことはないからな」

じゃぁ、あのタコ殴りは通常仕様だっていうのか?
それはそれで恐ろしい話だ。

「お前の話を聞いていたらな・・・バカな奴らのことを思い出しちまったんだ・・・・・・。現状を打破するために、変革を求めて闘って、そして死んでいったバカな奴らのことをな・・・・・・」
「カーダ・・・って人のこと?」
「あいつはその最たる者だが、別にあいつだけじゃない。お前の伯父さん、ダレンだってそうだし、ダレンの師であったラーテンもだ」

どこかで見た色の目をしてバネズはグラスの液体を回す。
寂しそうで、悲しそうで、それでいて懐かしいものでも見る目。
あ、そうか。
さっきのハーキャットと同じなんだ。

「自分の命も省みずに、変革を望んだ奴らだ。本当、バカな奴らだよ。もっと他に方法があっただろうに・・・そんな不器用なやり方でしか進めなかった奴らだ」

本当にバカな奴らだよ、俺より早くに逝っちまいやがって・・・・・・と小さく呟くのを聞いた。

「まるでお前があいつらと同じ道を辿るんじゃないかって不安になる。そんなこと、俺は絶対に許さないからな」
「・・・わかってるよ」
「俺は、誰かが犠牲にならなきゃいけない変革ならいらない。それならこのまま変わらなくていい。ずっとこのまま、変わらずに暮らしたい。誰も死なずに、心痛めずに、そうやって過ごしていければそれでいいんだ・・・・・・」
「バネズ・・・・・・」

そうだ。
バネズは僕の何倍も生きていて、何倍もの人を看取ってきたんだ。
そこには仕方無い死もあっただろう。
でも、それとは比にならないくらいの理不尽な死も見てきたんだ。
バンパイアだからというだけでなく、戦闘指導教官として傷あるものの戦いに、未熟な戦士をそれでも戦場に送らなければならなかった。
死ぬとわかっている者を送り出さなければならなかった痛みをバネズはずっと抱えてきたんだ。

だから臆病になる。
間違いを繰り返さないために。
理不尽な死から逃れるために。
踏まなくていい危険は排除する。

誰がそれを咎められるだろう。
誰がそれを臆病者と罵れるだろうか。
もう十分過ぎるほど苦しんで、悲しんでいるというのに。

「・・・バネズ・・・ごめん・・・」

きっと、僕はバネズを傷つけた。

「ごめんね・・・・・・」
「構うか」
「ごめん・・・・・・ごめんなさい・・・っ、く・・・・っ・・・」

涙が伝って、ぽちゃり、グラスの中に波紋を作った。
消えた頃にまた一つ。
また一つ。
水面は、揺れる。

「・・・・・・俺の代わりに、泣いておけ」
「・・・っ、うん・・・・うん・・・・・」

僕は泣いた。
両の目が潰れ、泣くことも出来ないバネズの代わりに。

望まない。
変革なんて。
このまま、このまま。
息を潜めて、停滞して。
ただ痛みから逃げるように。
隠れるように、留まるように。
誰も傷つかぬよう、平穏を祈る。
傷つきすぎたこの人に、平穏が来るように。
祈る。
祈る。


 □ ■ □


再び、戸が鳴った。
返事も待たずに開かれたドアの向こうから、聞き慣れた声を聞く。

「寝てるのか?」
「あぁ、泣きつかれて寝ちまった。こういうところはいつまでもガキのまんまだ」

テーブルに伏せて眠るダリウスの頭を優しく梳いた。

「お前だろ?ダリウスになんか吹き込んだのは」
「私はバネズの話も聞いてやれと言っただけだ」
「ダリウスをだしに使うな」
「しかし、"私"が謝っても仕方がないからな。私はあくまでもハーキャットであってカーダじゃない」
「いつまでたっても屁理屈こねやがって」
「だが事実だ。それに、上手くいったようじゃないか」
「・・・どうかな・・・そいつばっかりは、よくわからん」
「そういえば、ラーテンも良くそんなことを言っていた。『子供とは良くわからん生き物だ』と」
「・・・子供・・・か。そうだな、そうかもしれないな」

今になれば、ラーテンの気持ちも理解できる。

「俺は死ぬまでこいつに振り回されるんだろうよ」

だが、悪くはない。
むしろひどく心地いい。
例え血の繋がりなんてなかったとしても。

愛おしいと思う気持ちは、変わるわけがなかった。




テンポラリー・メジャーズ





22222打オーバー御礼リク、「バネズとダリウスで捏造師弟」でした。

この二人+ハーキャット(カーダ)の存在は切なすぎて萌たぎる。

あくまでも捏造であって、本当の師弟じゃないってところがポイント!

ダリウスかわいいなぁハァハァ(←!?)

12巻終了後は妄想し放題で楽しい!

リクエストありがとうございました!

2010/10/31





※こちらの背景は clef/ななかまど 様 よりお借りしています。




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