右頬のすぐ側を風が凪いだ。
ビリビリとした痛みを覚えるほどの近距離。
物理的ではない衝撃に体が後退しそうになる。
「ひるむなっ!そのまま突っ込めっ!!」
「っ・・・!」
萎縮しかけた体に鞭打つ声。
勝手なこと言うなよ!と心の中で文句を垂れた。
声に出なかったのは、そんな余裕が微塵もなかったからだ。
余分な空気を吐き出す余力も、暇も無い。
目線一つ、目の前の相手から外すことができない。
そのような隙を見せれば、自分など殴られたことを認識する間もなく地面と熱い口づけを交わすことになる。
「っぁっ!!!」
気合いなのか、ただの呼気なのか、自分にもわからない。
中途半端な音を口から漏らし、無理矢理地面を蹴る。
同時に、自分の握る獲物を前に突き出した。
「!?」
元々間合いの一歩内まで迫っていた距離が一気にゼロ距離に縮まった。
その近距離からの突き。
踏み込みの加速も相まって、回避の暇などあるはずがない。
「っ・・・・・・ぐっ、は・・・・・・っ!?」
獲物が相手の鎖骨下を的確に撃つ。
自分よりも軽く一回りは大きい相手が、面白いように後方にすっ飛んでいった。
「・・・・・・っは!・・・・・・っは!」
突き出した姿勢のまま、僕の体は動かない。
荒い呼吸でわずかに上下する程度だ。
こんなに急速に息を吸い込んでいるのに、全然呼吸が整わない。
指先が酸欠した時のようにピリピリしている。
(・・・・・・違う・・・・・・)
体は限界だというのに、頭の中はひどく冷静だった。
違う。
違う。
これは酸欠なんかじゃない。
(やったんだ・・・・・・)
歓喜だ。
体中の細胞が、興奮しているんだ。
「・・・・・・やった・・・・・・」
吐息のようにぽろり、言葉が漏れ出る。
カラン、握っていた棍棒が手の中からこぼれ落ちた。
「・・・・・・っ、たたた・・・・・・。クソ・・・・・・手加減無くぶち込みやがって・・・・・・」
「あ、ごめん」
慌ててすっ飛んでいった相手に手を伸ばした。
幸い、というかなんというか、致命傷には至っていない。
それもそのはず。
彼はバンパイアだ。
僕とは違う完全なバンパイア。
棍棒の打撃一撃で死ぬような柔な作りはしていない。
「謝る必要があるか」
僕たちの後方から声がかかる。
「バネズ」
バンパイア・マウンテンのゲームズマスターにして僕の師匠でもあるバネズ・ブレーンだ。
随分昔に両目から光を失っているが、まるでちゃんと見えているかのように迷いない足取りでこちらに歩み寄ってくる。
「・・・・・・半バンパイア相手に一撃でやられるとは情けないな」
「そうはいっても、ダリウスの奴確実に強くなってるんですからハンデ有りはきついですよ」
「だからお前の修行にもなるんだろうが」
「ですが・・・・・・」
「文句を言うな。負けたからには訓練追加だ。打ち込み200セットやってこい」
「はいはい。わかりましたよ。ったく、教官は厳しくていけねぇ」
「口答えがあるならプラス100セットでもいいぞ?」
「っ!遠慮しますっ!!」
弾かれたような勢いで、奥の訓練室に行ってしまった。
僕はと言えば、伸ばした手のやり場が無くて無意味に握ったり開いたりをしていた。
「・・・・・・何してるんだ?」
「あ、いや・・・・・・」
恥ずかしくなって手を引っ込める。
別にしたくてしていたわけじゃない。
「それはそうと、よくやったな。ダリウス」
「へ?」
「腑抜けた声を出すな。あいつから一本取れたの初めてだろう?もっと喜べ」
「・・・・・・うん・・・・・・」
未だ指先が興奮を覚えている。
ふつふつと、胸の奥底から歓喜が沸き上がってくるのがわかる。
着実に強くなっている。
それが実感できることが素直に嬉しい。
「流石、俺の弟子だな」
バネズの大きな手が、僕の頭を遠慮無く撫でた。
表現としては『かき回した』という方が正確かもしれないけれど。
わしゃわしゃ、と。
その動きでバネズがどれだけ嬉しく思っているのかがこちらにまで伝わってくる。
自分のことのように喜ぶバネズに、僕はちょっとだけ気恥ずかしくなり、ちょっとだけ誇らしい気持ちになった。
不意に。
いつだったか、同じような気持ちになったことを思い出す。
いつのことだろう。
バネズに手放して誉められた記憶は余り無い。
もっと、ずっと昔だ。
僕が、半バンパイアになる前。
人間だった頃。
・・・・・・いや、半バンパニーズだった頃。
『流石、俺の息子だ』
心底嬉しそうに、僕の頭を撫でる大きな手。
僕が教えを学べば学んだだけ、誉めてくれた。
凄いぞ、偉いぞ、そう言って僕を喜ばせた。
僕が喜ぶことは、パパも喜ぶこと。
その感情を、疑おうなどとは一度たりとも思わなかった。
人間のために戦うパパは誇りだった。
息子であることが誇らしかった。
この人のためなら何でもできる。
そう思った。
パパだから、愛してくれるのだと。
パパだから、愛しているのだと。
そう、思っていた。
けれど、今、僕の記憶の中でパパは醜く笑ってる。
バカな息子を、あざ笑ってる。
使えない奴だと、罵っている。
僕をただの道具としてしか見ていない。
優しく笑ったふりをして、その目は温度を宿していない。
今になればよくわかる。
パパは、僕を騙そうとしている。
都合のいい言葉だけを巧みに選んで僕をどこかに誘導する。
最後の最後で劇的に突き落とすために、行き先は最後まで明かさない。
「とてもいいところだよ」なんて嘘を平気な顔して言ってのける。
その実、絶望に歪む顔が見たいと心の奥底で叫んでいる。
酷いパパ。
冷たいパパ。
同じ年頃の子供を、あっさりと殺した恐ろしいパパ。
きっとあのまま生きていたら、僕も同じように殺されたんだ。
僕は道具。
ダレンおじさんを苦しめるための、ただの道具。
役目が終われば、捨てられるだけの運命。
壊れた玩具をゴミ箱に投げ入れるような気軽さで、僕の命を簡単に奪うんだ。
「・・・・・・ダリウス・・・・・・?」
この人も?
この人もそうなの?
僕を、道具としか見ていないの?
その笑顔の下で、僕のことをバカにしているの?
いつか、僕を裏切るの?
「・・・・・・やめてよ・・・・・・」
「ん?」
「・・・・・・子供じゃないんだから、いちいち頭なんか撫でないでよ!」
「お、おぉ。悪いな」
頭の上の手が退けられた。
目頭が熱い。
堪えているものが、溢れだしてしまいそうだ。
「今日はもう訓練終わりでいいでしょ」
「あ〜、そうだな。今日はこれくらいにしておくか」
「じゃ、僕疲れたから部屋に戻るね」
零れる前にバネズの前を離れたかった。
盲目の癖して察しがいいんだ。
呼び止められる前に、僕は駆けだした。
「お!おい!?ダリウスっ!?」
呼ぶ声は、もう遠い。
振り返らずに僕は走る。
イヤだ、いやだ、聞きたくない。
信じたくない。
期待したくない。
傷つくだけなのだから。
もっと多くの人を、傷つけるだけなのだから。
心を許しちゃいけないんだ。
優しさを、鵜呑みになんてしちゃいけないんだ。
わかってる。
わかってるつもり。
なのに。
『よくやったな。ダリウス』
頭の上の暖かな温度を、僕は確かに覚えていた。
reminder
複雑心境のダリウス。
スティーブの過去の所業がダリウスを苦しめているんだぜ。
バネズは完全にとばっちりですwww
こちらはついったで提供していただいたネタを元にしています。
揚羽さんネタ提供ありがとうございます!
(ネタ→頭撫でられると嬉しいけどスティのこと思い出して
複雑な表情になっちゃうダリウス、でした)
2011/02/01
※こちらの背景は
NEO HIMEISM/雪姫 様
よりお借りしています。