「わっはっはっは!」
「がっはっはっはっは!!」
「……」

けたたましい笑い声が寝不足の頭に響く。
何がそんなに可笑しいのか、二人は何かを話しては笑い声を上げ、時には陽気に歌い出しながらエールビールを煽っていた。
手酌で継ぎ足す液体が容器を満たす度、訳もなく乾杯は繰り返される。
もっと軽い力ですればいいものを、力任せに打ち合わせるものだからエールビールは容器を飛び出し宙を舞う。
壁に掛けられた蝋燭の光がキラキラ反射して綺麗だ──なんて思うと思ったら大間違いだ。
テーブルの上がビチャビチャに濡れている。
そこかしこが酒臭い。
これらは全部、この飲んだくれどもの所業に違いない。

「もう! 何やってんだよあんたたちは!!」

僕の十倍以上も長く生きている奴らに向かって、まるで子供を叱り飛ばすように怒鳴りつける。
怒鳴り声にようやく僕が部屋に入ったことに気がついたらしい二人は、怒鳴られたことなど全く意に介さぬ様子でひらひらと手を振って答えた。

「ダリウス、ようやく帰ったか」
「おう。ごくろーさんだったな」

ご苦労さんと思うのなら、自分で行けよって話だ。
僕がこうして寝不足になっているのはバンチャの仕事を肩代わりして上げたからに他ならない。
バンパイア側とバンパニーズ側の交流。
お互いの理解を勧めるために定期的に互いのアジトを行き来して行われている。
今回はバンパニーズ側のアジトで開催されたのでバンパイア側も誰かが代表として赴かねばならない。
交流と友好を一気に押し進めるため、バンパニーズ側に誠意と本気度を示すため、本来であればバンパイア元帥の一人であるバンチャがその役を担うのが妥当だ。
バンパニーズ側の代表はバンチャの弟であるガネンなのだからその方が何もかもが自然
と言える。
なのにバンチャはことごとく役を他の者に振る。
元帥からの命令なので役を振られた者は断ることも出来ずに役目をまっとうするのだが、それってどうなのだろう。
今回は(何回目になるのかもわからないが)、僕にお鉢が回ってきた。
おかげで僕は遙か彼方にあるバンパニーズのアジトまで夜通し歩き詰め、向こうでは交流会と称した飲み会に一晩、いや一昼中付き合わされ、寝不足のまま復路に着くという強行スケジュールに付き合わされる羽目になった。
しかも帰りは手土産にと持たされた大量の荷物が付属する。
何が入っているのか、もはや確認しようとも思わない。
以前一度確認したらただの石にしか見えない石を渡され、何か貴重なものかと思い持ち帰ったら実際にただの石だったことがある。
新手の嫌がらせかと思ったが、元帥一同は何故か「素晴らしい石だ」などと大絶賛していたからバンパイアの美意識という奴はわからない。
今回も似た類の奴だろう。
一抱えはあろうかという重い荷物をこれ見よがしに音を立ててテーブルに置いてやった。
バンチャは早速袋を開いて中身を改め、僕にはガラクタにしか見えない物を楽しそうに眺めている。

「少しは自分でいきなよ。バンパイアとバンパニーズの和平はあんたたち兄弟が望んだことなんだから」

立ち並ぶ空き瓶の中から中身が残っているものを捜し当て、一息に煽る。
飲み慣れたエールビールの味。
鼻から抜けるアルコールの香り。
寝不足の身体に染み渡り、頭がくらり酩酊感に襲われた。

「和平は望むところだが小難しい話は苦手でな。ガネンに任せた方がよっぽどうまくやってくれる」
「そーやってガネンに何でもかんでも任せるの、どうかと思うけど」

あんたの弟の胃に穴が開いても知らないよ。

「それよりも、何なのさこの現状」

転げ落ちた瓶を爪先で蹴り上げる。
ゴロリと転がったそれは壁に当たって動きを止めた。
床に転がった酒瓶は一本や二本ではすまない。
足の踏み場がないとまでは言わないが、この量、一晩中飲み明かしていたんじゃないだろうか。

「何ってそりゃあ……」
「ぅわぁっ!?」

突如、襲いかかってきたタックルに僕は危うく体制を崩しかけた。
重心の崩れた体制で何とか倒れなかったのは、タックルからそのまま、身体をホールドされたからだ。
僕を見るバンチャの目はにやにやと、それはもう楽しそうに笑っている。
なのでタックルしてきた犯人は一人しか居ないわけで。
腰元にまとわりつくオレンジ色の髪の毛を軽く引っ張った。

「ちょっと、バネズ。危ないじゃん」
「……」
「バネズ、聞いてる? ねぇちょっと」
「……」
「バネズ?」

額を僕のお腹に数度擦り付けはするものの、それ以上の反応は無い。
なんだこれ?
だだこねてむずがってる子供みたいなんですけど。
でも僕をホールドする力は子供のそれではなくて、屈強なバンパイアのものだから油断すると背骨からボッキリ折られそうで内心冷や冷やする。
抱きつかれて変な姿勢になっているからふりほどくことも出来ないし、どうしたらいいのさこれ。
何も答えてくれないバネズにこれ以上問い掛け続けても埒があかず、訳知り顔のバンチャに救いの視線を向けた。

「ダリウスが居なくて意気消沈しているバネズを元気付けるために、元帥自ら酒盛りに付き合ってやってたって訳さ」
「意気消沈?」

僕がバンチャの代わりにバンパニーズのところに赴くなんて今回が初めてのことじゃないし、出掛ける時だって別に何も言ってなかった。
あ、でも思い起こしてみれば帰ってくる度にバネズが酔いつぶれていたような気もする。
そこまでお酒に強いわけじゃないのに浴びるほど飲んで、次の日酷い二日酔いに顔をしかめながらそれでも日々の訓練を休みにすることはなくて僕は内心うんざりしていた。

「なんのかんの言っても、バネズはお前に依存してるってこった。お前がちょっとバンパイアマウンテンから離れただけでこの有様なんだもんなぁ。精々大切にしてやるんだな」

え、じゃあなんだ。
もしかして今までのって、僕のお守りから解放されて息抜きに飲んだくれているのかと思ったけどそうじゃないの?
僕がいない寂しさを紛らわせるために決して強くはないお酒を飲んでごまかしてたってこと?
そう言えばバネズには訓練教官として多くの部下を戦地に見送ってきた過去がある。
確定された死が待つと分かっていながら未熟なバンパイアをそれでも送り出さねばならぬことにどれだけ心を痛めたことだろう。
想像するだけでも心臓がキュウと締め付けられる心地がした。
もしかしたら、今回のように僕を送り出す時、当時のことを思い出してセンチメンタルな気持ちになったりしてたんじゃないだろうか。
出て行ったきり帰らなかったあ訓練兵のように、僕が帰ってこないんじゃないかって不安に駆られたりしたんじゃないだろうか。
そうした感情を全部全部、お酒でどうにかしようとしていたんじゃないだろうか。

(なにそれ……)

ちょっと可愛いかも。
思わず、僕は眼下の頭に笑みを零ぼす。
屈強な、それも両目の潰れたバンパイアに使う表現じゃないことは十分わかっているけれど、バネズにもそういう弱さがあるのだと思うとちょっと可愛く見えてしまう。
普段厳しいことばかり言う師匠だけれど、なんだ可愛いところも有るんじゃないか。
なおも僕を抱き留める手をゆるめようとしないバネズの頭をそっと撫でてやる。
少女マンガだったなら柔らかくてさらりと指通りのする細い髪の感触を楽しむところなんだけど、残念ながらこのバンパイアマウンテンにそんなゆるふわなものなんて無い。
つんつんで、ごわごわで。
まあ、でも。
それが何とも「らしく」って僕たちにはしっくりとはまってしまう。

「バネズ。大丈夫だよ。僕ちゃんと帰ってきたから」

出来る限りおセンチな雰囲気にならないよう、努めて明るく言ってみる。
声に応えるように、バネズは一層ぎゅうっと僕を強く抱きしめた。

「痛いよ、バネズ」

痛い。
バンパイアが手加減も無しに抱いてきたならそりゃあ痛いに決まっている。
だというのに、その痛みがまんざらでもなくって僕はふりほどくことが出来ない。
僕を想ってくれた大きさのようにも思えてなんだか嬉しくなってしまうんだ。

「いやぁ良かったなぁバネズ。早いとこダリウスが帰ってきてくれて。これで──」

ガハガハと。
何とも場にそぐわないがさつな声でバンチャが笑う。
この人は本当空気を読むってことをしないよな。
もっとも、空気を読むバンチャなんて天変地異のあれだからそんなことをし始めた日には世界はよからぬ方向に動きかねないからいいんだけど。
なんて、このときの僕はまだ、暢気にそんなことを考えていた。

「──これで思う存分スパーリング出来るな!」

バンチャの、この一言を聞くまでは。

「へ?」と僕が間抜けな声を上げたのも束の間。
がっちりホールドからポイっと放り出され、危うく地面と熱い口づけを交わすところだった。
倒れる寸でのところで体制を立て直し、何かが猛烈なスピードでもって襲いかかってくる雰囲気を察知して勘で身を捻る。
ヒュォッ!
ほんの一瞬前まで僕の身体が有った空間を爪の先まで固く尖らせた手刀が抉った。
おいおいおいおい。
いくらバンパイアの身体が頑丈に出来てるからって、あんなのが突き刺さってたら僕は一瞬であの世行きだ。
しゃれになってない。
背中を冷たい物がつぅっと伝う。

「バネ……いっ!?」

抗議の声を張り上げようとしたが、次いで繰り出される回し蹴りを避けるのに精一杯でそれどころじゃない。
回し蹴りからの後ろ回し蹴り。
着地と同時に一足飛びに間合いを詰めて強烈なボディーブロー。
避けることは間に合わなかったけれど、バネズならきっとこう動くと予想したのがぴたりと当たり、クリーンヒットだけは免れる。

「……ちっ」

あからさまな舌打ち。
なんで突然こんな理不尽な目に遭わされて、舌打ちまでされなくっちゃならないんだよ!
攻撃を止められたせいか、今度は一層スピードを上げて殴りかかってきた。
冗談じゃない。
さっきまでのしおらしさはどこに行ったんだ。

「ちょ、まっ! まって! まってまってまってまってまって!!!」
「無理だと思うぞ。バネズの野郎、思う存分暴れられる相手が居なくて相当鬱憤溜めてたからな」
「はぁっ!? 僕が居なくて寂しがってたんじゃないのかよ!?」
「誰がいつそんなこと言った? バネズがお前への訓練が出来ず、有り余る体力と闘争心を発散させる場が無くていらついていたから、他の奴らで鬱憤晴らし始める間に酒で潰しただけだぞ」
「んだよそれ!!」
「俺も元帥だからな。気持ちはわからんでもないが、他のバンパイアを守ってやらにゃならんからなぁ」
「だったら! 今すぐ! 僕を守ってよ!! このままじゃバネズに殺されるっ!!」

紙一重のところで攻撃を交わしながら、のほほんと残ったエールビールを煽るバンチャに救いを求める。
が、どう考えても相手が悪かった。

「がはははは。実践さながらの緊張感ほど身につく物はない。精々師匠に鍛えてもらえ」

一挙手一投足が死に直結する攻防を酒の肴にするような奴なのだ。
バンチャ・マーチという男は。

「あぁ! もうっ! クソッ!!」

なんて役に立たないバンパイア元帥だろう。
助け船が望めぬ以上、僕はこの状況を自力で切り抜けるしかない。
役立たずの元帥を視界から閉め出して、迫り来るバネズの攻撃に集中する。
動きを見落とすな。
バネズの視線が、足先が、どこに向かっているかを把握しろ。
次手まで読んで回避しろ。
フェイントに引っかかったらゲームオーバー。
常に最善を選択し続けるんだ。
大丈夫。
出来る。
だって僕はいつもこの人の動きを見てきたんだから。
相手は両目が潰れているとはいっても歴戦の猛者。
真っ向勝負では敵いっこない。
でも勝機が無いわけじゃない。
ただ一人だけに集中し、過去、何百何千と手合わせしてきた動きとすり合わせれば動きを予想することも不可能では無い。
やれるか?
いや、やらなくては。
こんなところで、こんな形で僕の人生を終わりになんて出来ない。
是が非でも生き残る。
決意を固めて、僕は腹の中の空気をフッと吐き全身に力を込めた。

この時、僕の意識はバネズに集中していた。
だから気付かなかった。
きっとこの場をどうにかしてくれるだろう人の来訪を、うっかりすっかり見落としていた。


□■□


決して広くはない部屋の中でバンパイアと半バンパイアが暴れている。
バンパイアが一方的に半バンパイアへと襲いかかり、半バンパイアが辛うじてそれをいなしているといったところか。
半バンパイアの劣性は明らかではあるが、勝負というものはいつどこでどう転ぶか分かったものではない。
ちょっとしたきっかけで形勢が180度ひっくり返る、なんてよくある話だった。
つまり、この状況を楽しげに眺めているバンパイアは、先の確定しない展開が目の前で繰り広げられていることを楽しんでいるのだろう。
実に悪趣味だ。

「何事ですか。これは」
「おぅ。ガネン。お前も戻ったか」
「ダリウスを送り届けねばなりませんから、必然来ざるを得ないんですよ」
「ご苦労なこった」
「誰のせいだと思っているんです兄上」
「さぁ、誰のせいだろうなぁ」
「はぁ……」

溜息の一つもこれ見よがしに吐いて見せるが、この男に意味が伝わることは無いのだろう。
伝わるとも思っていない。
何百年も前から知っている。
この男は、我が兄──バンチャ・マーチとはそういう男だった。

「それで? なんでダリウスは帰還早々に師であるバネズに襲われてるんです」
「違ぇよ。あれは訓練のつもりなんだよ。バネズにとっては」
「訓練、ですか」

どこをどう見たら訓練になるのだろう。
一方的な攻撃の応酬。
両眼の失明というハンデを差し引いたとしても、あまりにも一方的だ。
ダリウスで鬱憤晴らししているようにしか見えない。

「おっと、止めてくれるなよ。心配しなくても、あんなの日常茶飯事なんだ。ダリウスもそう簡単にやられやしねぇよ」
「あれが日常茶飯事?」
「おう。殆ど毎日あんな感じだ。熱くなりすぎてヤバそうな時は俺が止めに入る。問題は無い」
「ですがあんなのを毎日続けていたらダリウスの方が……」

いくらバンパイアが屈強な生き物だとしても、日々の疲労は蓄積していく。
何よりダリウスはまだ半バンパイアだ。
バネズのように出来上がった体も持っていない。
強くなるためには必要かもしれない。
ダリウス自身がそれを望んでいるとしても、実践さながら、もしくはそれ以上の緊張感に毎日晒されているとあっては身体の方が先に限界を迎えてしまう。
兄上はダリウスを壊したいのだろうか。
ダリウスはあの男の忘れ形見。
あの男がしでかした罪の重さは許されるものではないが、子に罪はない。
だから、せめてあの男の代わりに見守っていこうと思っていた。
側についてやれなくとも、成長を垣間見ながら、間違った方向に進みそうなら道を正してやる。
それが自分のすべきことだと思っていた。
ダリウスを甘やかしたいわけではない。
強くなりたいとダリウス自身が望むのならばある程度の無茶は仕方がないだろう。
だが、これはあまりにも行きすぎた行為ではないだろうか。
非難めいた視線で睨みつけると、兄は「馬鹿野郎」と逆に窘められた。

「だから俺の代わりにバンパニーズのアジトに行かせてるんだろうが」
「……は?」
「疲れが溜まってそうな時は外に避難させてるんだよ。バネズは目が潰れてるから外にまで同行することはまず無いからな」

この男はちゃんと見ていたのか。
私が側にいられない代わりに、ダリウスのことを見守っていてくれていたのか。

「……ちゃんと、考えていたんですね」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってる」

ニカリ、屈託のない笑み。

「少々兄上のことを見くびっていたようです」
「今から尊敬し直してくれりゃそれでいい」
「尊敬するのは自分の仕事をまっとうしてくれたら、ですね」
「おいおい。俺が仕事さぼりたいからバンパニーズのアジトに向かわないとでも思っていたのか?」
「違うんです?」
「あったり前だ」

心外だ、とで言いたげに声を荒げる。

「未熟な奴を派遣すれば、お前は見送りせざるを得ないだろう。道中で何かあったら大問題だからな。そうすればお前はバンパイアマウンテンに顔が出しやすくなる。口実が有れば、ダリウスの様子を見に来やすいだろ」
「……」

おちゃらけているようで、この男は本当に周りをよく見ている。
忙しさの中でダリウスの様子を見るためだけにバンパイアマウンテンを訪れるのは確かに難しい。
ダリウス自ら来訪してくれること、来たのが他のバンパイアだったとしても送りがてらにバンパイアマウンテンに行くことで彼の成長を見る機会は格段に増えた。
文句を言いつつも仕事放棄を強くは咎めなかった理由はここにあった。
それもこれも、すべてはこの男の思惑通りだったというわけか。
やられた。
流石は兄上だと言わざるを得ない。

ただ。

「俺にも逢いに来やすくなるしな」

こういうことを臆面もなく言うのは、正直やめて欲しい。
そう思いつつも、確かに私は自らの足で兄上の元に訪れた事実に思い至る。
本来で有ればダリウスを送り届けた段階で私の仕事は終わりで、そのままとんぼ帰りしても何ら問題は無かった。
今ここにこうしているのは、兄上と話しているのは、私が兄上に逢いに来たからに他ならず。
結果、掌の上で転がされていた事実を歯がゆく思いながらも、言い訳の一つも出来ないことをそれ以上に面はゆく感じたのだった。





元帥様の掌の上







ファボくれた人の中からあみだして、当選した人の好きな話を書く奴。

はつねさんリクエストの「傷師弟+ハースト兄弟」なお話でした。

バンチャはなんだかんだで面倒見良さそうだし、人のこともよく見てそうだなって。

そんな感じのお話でした。

お粗末!

2016/9/22




※こちらの背景は November Queen/エリー 様 よりお借りしています。




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