ラーテンが帰ってきたのは、空が白み始めた頃だった。
鼻歌交じりの陽気さで、あちらこちらに身体をぶつけながら帰ってきた。
安宿の傷んだ階段をぎっしぎっし鳴らす足取り。
赤ん坊どころか、宿中の人間が起きたっておかしくない程。
闇に紛れて生きるバンパイアが、聞いて呆れてしまう。
ノックもせずに扉が開くのはいつものこと。
鍵をかけていたって、簡単な錠前ならバンパイアは自分で外して入っちゃうんだから意味がない。
意味がないことは、するだけ無駄だからしない。

「今日は随分早いお帰りね?ラーテン」

代わりに、皮肉混じりの言葉を投げかける。

「おぉ、マローラ。起きておったか」
「えぇ。貴方の馬鹿みたいにうるさい足音のおかげでね」
「我が輩の帰りを起きて待つとは殊勝なことだ」

アルコールと、それから香水の匂いをプンプンさせてベッドの端に腰掛けた。
今晩はいつもよりも呑んだのかしら?
暗くてよくわからないが普段よりも表情が緩んでいる気がする。

「わかったから、お願いだから静かにしてラーテン。うるさくして宿から叩き出されたらどうするの」
「追い出されたならば場所を変えればよいではないか」
「そうね。そしてその新しい宿を探すのは私の役目ってわけね?」
「決まっておる」
「私は、貴方の手下になったつもりはないんですけどね」

薄暗い部屋の中、手元の感覚を頼りにランプに火を入れる。
バンパイアであるラーテンには不要な明るさなんでしょうけど、人間である私は明かりがなくては動けない。
ゆらり、薄暗い部屋に明かりが差し込む。
思った通り、ラーテンの顔が赤い。
ラーテンは早々に床に就いてしまうだろうけど、その前に少しでも酔いを覚ましておく必要がありそうだ。
水差しにはまだ水が入っていたかしら?
なければちょっと面倒だ。
この時間から宿の人を起こすのは気が引ける。
私はベッドから降り、テーブルの水差しを確認しようとした。

「どこへ行く?」
「きゃぁっ!」
「我が輩から逃げようとしても無駄だぞ?」
「逃げたりなんてしないわよ!」

強く手を引かれてベッドに引き留められた。
逃げる?
この人、本気で言っているのかしら?
逃げるつもりがあるなら、とっくにそうしている。
貴方はいっつもいっつも夜は酒と女の所に行ってしまうのだから、その間に姿を眩ませてしまえばいいだけの話だ。
朝になって戻ってきたって、私は姿を消していて。
追いかけようにも朝日が私に味方する。
バンパイアの特性も、貴方の癖も私は熟知している。
一日も時間があれば、貴方を撒くことは可能だわ。
そうしないのは、私が貴方を愛しているから。
私が貴方の側に居たいから。
なんて、貴方はきっと私の気持ちなんて気づいていないんでしょうけど。

「ラーテン。貴方いつも以上に酔っぱらっているわ。寝る前に水を飲んでアルコールを薄めて頂戴!」
「バンパイアは酒に酔ったりせん」
「どの口が言うのかしら!」

毎夜毎夜、起き抜けに「頭が割れるように痛い」「吐き気がする」「我が輩はもうダメだ」そんな情けない言葉をあげるのは貴方自身だというのに。
ついでに言うなら、それを介抱するのはこの私よ。
いいわ。
貴方がいいと言うなら私だって構わないわ。

「明日酷い二日酔いに悩まされても私知らないから」
「おい、マローラ。どうしてお前はそう連れないことを言うのだ」
「貴方が言うことを聞いてくれる良い子だったら、もう少し気のある台詞を言ってあげられたんですけどね」
「せっかく土産を持って帰ってやったというのに」
「みやげ?」

ラーテンは懐から綺麗な色の紙包みを取り出した。
ぷぅん、と甘い香りがする。

「菓子を貰った」
「そう。でも私、お菓子でご機嫌取り出きるほど子供じゃないのよ?」

嘘を吐く。
甘い香りにくらりとした。
想像するだけでとろけてしまいそうな香りに生唾が出る。
でも、ここで引いちゃダメ。
ちゃんと怒る時は怒らなきゃ。
私の為じゃない。
苦しむのはラーテン、貴方自身なのよ?
私はいつだってラーテンのことを最優先に考えているわ。
貴方に関係のないことなら、私は口うるさく言ったりしない。
うっとりするほど魅力的な甘い香りに背を向けた。

「ほぅ、そうか」
「そうよ」
「だがな、我が輩からみればお前何ぞただの餓鬼で小娘に過ぎんよ」
「そりゃあ、貴方はバンパイアで?私よりもずっと長く生きて────っ!?」

突然、体制が崩される。
ベッドに体が沈む。
反射的に抵抗を試みた手が絡め取られ、押しつけられる。
叫ぼうとした口が甘い香りと共に、塞がれる。
ギシリ、安いベッドのスプリングが軋んだ。
甘美が、咥内に広がる。
私はあらがうことも出来ずに、いや、せずに、ままを受け入れた。

「・・・・・・っは、男も知らん奴は餓鬼だと言っておるのだ」

解放され、ラーテンの顔が離れる。
口の中で、甘いものがコロンと転がる。
チョコレートだった。
それがラーテンの唇にも付いたのだろう、端が汚れている。
ランプの揺らめく明かりの中では、まるで血のようにも見えてドキリとした。
汚れを舌で舐め取る。
唇を這う舌の紅が、嫌に扇状的に映った。

ようやく、何が起こったのかを理解した。

理解して、動揺する。

(ラーテンの、唇が、私の────)

ダメだ。
冷静になれ。
この人は酔っているだけ。
酔った勢いで、やっただけ。
この人は、私の想いなんて知らない。
きっと、一度眠りに付いてしまえば忘れてしまう。
明日になれば、覚えていない。

(忘れてしまう?)

本当に?
彼の記憶には残らない?
私だけが、彼を覚えていられる?
なら、いっそ──。

「私を、女にしてよ」

ラーテンの服を掴み、今一度引き寄せる。
唇が触れてしまうそうなほど、近くに。

「何?」
「男を知らない私は餓鬼なんでしょう?なら、私に男を教えてよ」
「何をバカなことを言っておる」
「あら?出来ないの?」
「餓鬼は相手にせん」
「餓鬼かどうかは、見てからでも遅くないんじゃないかしら?」

寝間着を、足下に落とす。
肌が、露わになる。

「おい、マローラ。我が輩は相手にせんと・・・・・・」

たじろぐラーテンににじり寄る。
肌を、密着させる。

(忘れてくれるのなら)

一夜の過ちを犯しても、許されるだろうか?

「私はね、ラーテン。貴方を愛しているの。ずっと、ずっと、愛してきた。これからも、貴方だけを愛しているわ」

あぁ、違うわね。
一夜じゃない。
もう、夜は明けたのだったわ。






Oblivion







クレマロと見せかけてマロクレっぽい何か!

二人がどうなったかはご想像にお任せします!

こちらはくもりさんに捧げます。くもりシャンはぴば!!

くもりさんのみお持ち帰り自由です。

2012/04/12




※こちらの背景は clef/ななかまど 様 よりお借りしています。




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