「あら、綺麗な色つやしているわねぇ。あんたならこれ、似合うんじゃないかしら?」

旅の備品を買い足しに寄った街で掛けられるいつもの言葉。
急ぎ足で通り過ぎるだけだったはずの道で足を止める。
声を掛けられた者の礼儀として視線を向けると、髪を綺麗に結い上げた女の人が手招きをしてた。
頭部を彩る装飾品が煌めき、おいでおいでと呼びかける。
闇に紛れて生きる旅ではなかなかお目に掛からない類のそれに、私はつい心引かれて足を向けてしまった。
綺麗。
艶やかな装飾が施された櫛や、ガラス細工で作った髪飾り。
見慣れない輝きに目がくらくらしてしまう。
店頭に並ぶそれらを食い入るような目で見ていた自分の姿が鏡に写って、私は我に返った。

「あ、いえ。私、この街には食料を買い出しに来ただけなので……」

荷物を片手手抱え、空いた手を体の前で手を振る。
財布には幾ばくかの余裕はあるが、長い旅の途中だ。
いつ何時どれだけのお金が必要になるか解らない。
今はある程度定期的に稼ぎを作ることも出来るが、それが期待できなくなるか解らない。
無駄に使って良いお金など、鐚一文だって無いのだ。
だが、視界の端には色とりどりの輝きがちらちらと映り込んで気持ちを揺らす。
そういったものに心揺れ動くのは、女に生まれた本能的なものなのだろうか。

「ほらほら。年頃の女の子が櫛も通さないなんていけないわ。ちょっと寄っていきなさいな。お金取ったりしないから」

ふわりと微笑んだ柔らかさとは対照的に、有無を言わせぬ力強さで私を店内に引き込んだ。
店頭には様々な装飾品が隙間を埋め尽くすように並べられていたが、奥はゆったりとしたスペースが設けられていた。
おそらくは試着や髪結いを行うための場所なのだろう。
クッションの利いたスツールに腰を掛けさせられた。
目の前には三面鏡。
ぼさぼさ頭の自分の顔が映り込む。

「あのっ!私ほんとにそういうのは……っ!」
「こんな仕事をしているとね、大切に扱って貰えない髪が可哀想になってしまうのよ。おばさんのお節介だと思って櫛だけでも通させて頂戴」
「はぁ」

鏡越しに微笑む女主人に気圧されて、私はつい曖昧な返事を返してしまった。
承諾の言葉と受け取ったのか、女主人はいくつかのブラシを使い分けて毛先から丁寧に髪を解していく。
まともに櫛を入れるのはいつぶりだろう。
この前街に立ち寄ったのが一週間前で、ホテルに泊まったのは十日以上前だから……。
旅程を指折り考える途中で思考を放棄する。
随分前のこと、それだけ解れば十分だった。

「あなた本当にもったいないわ。こんなに綺麗な髪なのに」

ほら、と女主人は解かした髪の一房を持ち上げて見せた。
確かにその部分だけが見違えるような色つやになっている。

「別に、私、見てくれとか気にしていないので……」
「だめよそんなんじゃぁ。女の子なんですもの。綺麗にしてお洒落しなきゃ」
「……」
「旅の途中だと、思うようにお洒落をすることなんて出来ないかもしれないけれど、そう言う気持ちは忘れてはいけないわ。だって、見てご覧なさい。こんなに綺麗なんですもの、磨いて上げなくちゃ勿体ないわ」

俯きかけた顔をクイと持ち上げられ、鏡の中の自分と対面させられる。
そこにはぼさぼさ頭の自分はいなかった。
すっかり解かし終えた髪の毛は肩の上からさらりと流れて胸元へと落ちている。
艶を取り戻した髪に、日焼けの少ない顔が映える。

「髪を解かしただけでもこんなに綺麗。それに旅をしている割に、日焼けも殆どしていないし……焼けにくい体質なのかしら?白い肌に良く映えるいい色をしているわね。うらやましいわ」

日焼けをしていないのは、日のある時間帯に外を歩けないあの人に生活のリズムを合わせているからに過ぎない。

「ほら、さっきから道行く人があなたのことを見ているわ。皆あなたの美しさの虜になっているのよ」

三面鏡の端っこに、店先からこちらを覗いている若い男の姿が見える。
店先の商品を眺めているふりをしているのだろうが、その割にはちらちらと視線が落ち着かない。
私のことを見ている?
まさか。
視線には気付かない振りをして、目を伏せた。

「誰もが美しさを兼ね備えて生まれてくるわけじゃないの。だからこそ、美しさを持った人がそれを磨くことは義務なのよ」

冗談じゃない。
そんなことをして何になる。
私は名前も知らないどこかの誰かに好意を寄せられたいんじゃない。
私は、私が好きなのは、ただ一人。
私のことを好きになって欲しい人は、ただ一人。
それ以外のために自分を磨くなんて、何の意味もない。
あの人のためでない行為なんて、何の価値もない。

「……そんな義務、クソくらえね」
「え?」

私は髪をうっとりと眺めていた女主人の手を振り払い立ち上がる。
腰に差した護身用の小さなナイフを抜くと、ひっと悲鳴が響いた。
誰もあなたなんか手に掛けたりしないわ、とせせら笑って私は自らの髪をひとまとめにして掴み上げる。

こんなもの、今の私には必要ない。
今の私には邪魔なだけ。
いつかはあなたに愛されたいけれど、それは今じゃないから。
要らないものは捨て去ろう。
あの人のためだけにあるこの身体はどこまでも身軽であるべきだ。
余計な視線を断ち切って。
余計な思惑を打ちやって。
女であることなど今は忘れよう。
ただ、あの人のためだけの存在であれば私はそれでいい。

掴んだ髪におもむろにナイフを当て、一思いに横に引く。
切れ味の大して良くないナイフでは綺麗に切れず、一部が切り離されただけだった。
するりと手の中から滑り落ちた束と鏡の中の自分を見比べて自嘲する。
まるで私の未練そのものじゃない。

切り離す。
切り離す。
女でありたい自分を、切り離す。
私に女は必要ない。
あの人の隣に立つ理由に女である必要性は無い。
私の感情など、今は必要無い。

無心でナイフを振るった。
何度も何度も、ナイフを振るった。
気付いた時には足下は毛の海となっていた。
背中の真ん中に届くくらいには長かった髪が、肩口で無惨に切り落とされている。
不格好なそれに、私は満足していた。
これでいい。
未練は全部、ここに置いていこう。
切った髪の分だけ身軽になった気分だった。
自分の中に巣くっていた浅ましい想いを脱ぎ捨てた心地がした。
自分の所業に満足してナイフを納めると、短い悲鳴が聞こえて、あぁそういえばここは店先だったっけと思い出す。
ポケットから銅貨を一枚取り出して床に転がした。

「お店を汚したお詫びです。それから、女だからとかそういうの、私どうでもいいんです。誰のどう見られようと関係ありませんから」

にっこりと微笑んで、私は吐き捨てた。


□■□


「お前、どうしたんだその髪……」
「切ったの。邪魔だったから」

宿に戻った頃には日もだいぶ傾いていて、既にラーテンは目を覚ましていた。
腹が減った何か用意しろ、と召使いよろしく言いつけようとしたようだが、言葉は別のものにすり替わってしまったようだった。

「旅をするのに長い髪って邪魔だったのよね。女ってだけでカモ扱いされるのもゴメンだし。短い方が断然便利だわ」
「だからといってそんなザンバラがあるか。ちょっとこっちに来い」

呼ばれるまま、窓際の椅子に腰掛けさせられた。
ラーテンはそのすぐ後ろに立ち、優に一分は私の頭を眺めていた。
一体なんだというの?やらなきゃいけないことはいっぱいあるんだからふざけるのなら後にして。
そんな文句の一つも言おうとしたら「動くなよ」と小さく一声。
え、と声を漏らす暇もなくラーテンの手刀が舞った。

「まぁこんなところか」

足下にははらはらと舞う髪の毛。
ラーテンの満足気な表情に、髪に手を伸ばせばつい先ほどまでザンバラだった髪の毛が綺麗に切り揃えられてた。

「あんなザンバラが手下とあってはバンパイアの沽券に関わるからな」
「それはどうも」
「まったく。折角の髪をそんなにしおってから……」
「何よ。長い方が良かったっていうの?」
「当たり前だ。髪は女の命と言うだろうが」
「気が向いたら、また伸ばすわよ」

私も、ラーテンに女として見て貰えていたのだろうか。
真意を確かめる勇気は無くて、私は切り揃えられた髪をしきりに気にする振りをした。

いつかまた、髪を伸ばしてみよう。
そうね。
ラーテンが私の気持ちに気付いてくれたらが良いわ。
それまで私は女であることを忘れよう。
今はまだ、邪魔なだけの感情だから。

そして、いつか私の髪が腰に届くくらい長くなったその時には。
この想いを打ち明けるから、覚悟していなさいよ。




今はまだ、要らないものだと切り捨てて






ラーテンのために髪を切ってしまったまろらたんの話。

2014/5/28




※こちらの背景は ミントblue/あおい 様 よりお借りしています。




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