日の暮れ出す頃。
ゆっくりと、アンタは目を覚ました。
習慣なのか何なのか、アンタは起き抜けに時計を探す。
そして「なんだまだこんな時間か」とでも言いたげに眉間に皺を寄せた。
「……おはよう」
僕はそれを横目に見ながら簡素に呼びかけ。
アンタもアンタで。
「……あぁ」
なんて返事ともつかない返事を返す。
交わす言葉はそれだけだ。
昔は「朝食の用意はできているのか」とか「我が輩が寝ている間に粗相はしなかっただろうな?」とかそりゃぁもう口うるさく言ってきたけど、最近はめっきりそんなこともなくなった。
何でかって?
そりゃぁ僕が優秀な手下だからさ。
言われるまでもなく朝食(僕にとっては夕飯)は準備してあるし、いちいち行動を心配されるような年齢でもない。
だからアンタは何も言わなくなった。
(いや、言えなくなったの間違いかもしれないな……)
ぼんやりと僕は、顔を洗いにシャワールームに消えていったアンタの背中を見ながらそんな風に思った。
いつの間に、僕たちの関係は変わってしまったのだろうか。
そもそも、本当に変わってしまったのだろうか。
口うるささは確かに減ったとは思う。
だが、僕たちの間にあった会話などはじめからこんな感じだったような気もするし、そうじゃなかったような気もする。
(昔って、どんなだったっけ)
考えてみるが答えは出そうになかった。
そもそも、アンタとの旅が始まってどれくらいの月日がたったんだったっけ?
それすら定かでない。
まだホンの数日のような気もするし、もう何年もこうしているような気もする。
考えてもわからないことをいつまでも考えていたって仕方がない。
思考を放棄して、僕は客室備え付けの簡易キッチンへと足を向ける。
アンタが戻ってきたら朝食だ。
作っておいたスープはきっと冷えてしまっている。
せっかく作ったんだもの。
美味しく食べたいし、美味しく食べて欲しいと思う。
コンロに火を入れてクツクツ煮立つのを待つ。
意味もなくお玉で何度も何度もスープをかき混ぜながら、アンタが戻るのを待つ。
向こうの方でシャワーが流れる音が聞こえた。
クソ。
顔洗うだけじゃないのかよ。
滅多にシャワーなんて浴びないくせに、どうしてこういう時に限ってシャワーなんて浴びるんだよ。
あー、絶対に火入れするの早すぎたよ。
でも今から火を止めて、アンタが出てきそうな時間を見計らって暖め直すのとか面倒くさいし……。
「ていうか!なんで僕はこんなにもあんた中心に物事を考えなくちゃいけないんだよっ!?」
なんだかんだで頭の中にいつもいるのはアンタだ。
アンタは僕の人生の中に転機を与えた存在。
そういう意味では、多分、特別な存在だ。
それがいい意味でか、悪い意味でかは別にして、だけど。
でも。
ここ最近ではアンタに頭の中を支配されてるように思う。
気付けばアンタのことを目で追って。
気付けばアンタのことで頭を悩ませている。
……なんだか無性に腹立たしさがこみ上げてきた。
「あーもうっ!クレプスリーのバカやろーっ!!」
腹いせに壁をガンッ!と一回強く蹴り飛ばした。
力をセーブするだけの冷静さは、どうにか僕の中に残っていてくれたらしい。
幸いなことに壁はほんの少しひびが入っただけで済んだ。
* * *
「……なんだ?」
濡れたオレンジ色の髪の毛を撫で付けるようにかき上げるアンタを睨んでいたら不審顔をされた。
「……何でもないよ」
プイと顔を背けながら、カップに注いだスープを乱雑に突き出す。
勢いで中身がテーブルにこぼれたが知らんぷり。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「だから、何でも無いってばっ!」
続いて、作っておいたサンドウィッチも同様にしてテーブルに置いた。
耳を切り落とすだけの状態で準備しておいたのだが、いらだたしさが勝ってそのまま出してやった。
何か言いたそうに口を開きかけていたが、返事が返ってこないだろうと見当がついたのか、アンタは何も言わずにサンドウィッチをかじる。
口に含んだ代物の味を確かめ、少なくとも僕が機嫌を損ねたのが食事の準備をした後だと見当を付けたようだった。
「……」
そして、見当は付いても原因には思い当たるとことは無いらしく渋い顔でサンドウィッチを無言でかじり続けた。
無言の食卓。
もそもそとパンを頬張る音と、時折スープを啜る音。
それ以外には何もない。
会話はもちろん、視線の一つも交わさない。
テレビでも付ければ少しは間が持つのかもしれないが、何となくそれは負けたような気がして付けられなかった。
誰に対して、何に対してなのかも判然としないが、とにかく負けたような気がするから付けなかった。
美味しく作れたであろう料理の味は良くわからない。
少なくとも、必要エネルギーの摂取という役割は果たしただろう。
最低限それが出来ていれば十分だ。
アンタの食事が終わるのも待たず、僕は食器を乱暴にまとめて流しに片付けた。
洗うのは後でいい。
どうせアンタのが後から追加されるんだ。
洗うなら一度で済ませたい。
「おやすみっ!」
食器を流しに運ぶやいなや、余計な言葉を聞くより早く、僕はベッドに潜り込む。
食べてすぐに寝るなんて、本当はしたくない。
けど、こうでもしないと血を飲みに無理矢理連れていかれる。
それが嫌だから、眠くもないけど、無理矢理眠ったふりをする。
これ見よがしに寝息をすーすー立てているふりをする。
「ダレン」
食事が終わったのか、アンタが呼び掛けてきた。
布団越しに聞いているためか、アンタの声はいつもよりもくぐもった音に聞こえる。
だがもちろん、聞こえていないふりをする。
何度も何度も、アンタが僕の名前を呼ぶ。
全部全部、聞こえているけど聞こえていないふりをする。
バサッと、何かを翻したような音が聞こえた。
人間だったら布団越しには聞こえないだろうけど、僕は半バンパイアだから聞こえた。
これはアンタがコートを羽織った音だ。
そろそろアンタは出掛けるのだろう。
「ダレン」
アンタはもう一度僕を呼んだ。
けれど、やっぱり僕は答えなかった。
そうしたらアンタは布団越しにグシャリと頭を撫でた。
「うまかったぞ」
一瞬、何のことかわからなかった。
寝たふりのことだろうかとも思ったがそんなことあるはずがない。
すぐにそれが料理のことだと思い至った。
そうか、美味しかったのか。
それもそうだ。
だって僕が作ったんだもの。
なんて思うのは、自画自賛ていうのかな?
「我が輩は少し外に出てくる。寝るなら、電気は消しておけ」
始め乱暴だった手つきは次第に優しくなっていき、そして離れていく。
言いしれぬ喪失感を覚え大慌てで布団を跳ね上げた時には、部屋の中にはもう僕しかいなくて。
キィとかすかに鳴き声を上げる押し開きのガラス戸が夜風に揺れるだけだった。
「……バカ」
弱々しく罵倒する声に、答えは返ってこない。
返ってこないものをいつまでも待っていても仕方がない。
僕はベッドからスルリと抜け出した。
起きてしまったついでだ。
食器洗いをしてしまおう。
大体、まだ本当に眠るつもりなんて無かった。
バンパイアでなくとも健全な青少年が眠りにつくにはまだ早すぎる時間だ。
まだまだ夜は長い。
食器を洗ったら何をして時間を潰そう。
つらつら考えながら簡易キッチンの前に立つ。
「あ」
立ったはいいが、小さなシンクには何も残っていなかった。
代わりに、まだ水で濡れているお皿とカップが網棚に伏せて置いてある。
「……今まで洗ったことなんて無かったくせに……」
ぶわっと感情が吹き出すのを感じた。
嬉しいような、悔しいような。
どっちつかずな感情だ。
最終的には嬉しさよりも腹立たしさの方が先に立ち、僕はやっぱり壁を一発蹴り飛ばしていた。
今度はヒビが入らない程度に力をセーブすることが出来た。
だが腹の虫はそれでは治まってくれない。
ムシャクシャした感情を吐き散らすように、僕はクレプスリーのベッドにダイブした。
ベッドメイクを乱すように、グシャグシャにシーツを体に巻き付ける。
全身ぐるぐる巻きになったところで大きく息を吸い込んだ。
清潔な糊の香りが鼻腔いっぱいに広がった。
「……アンタの匂いって、どんなだったっけ……」
思い出そうとするけれど、思い出せる気がしない。
そもそも僕は、アンタの匂いを知ってるんだろうか。
匂いだけじゃない。
アンタって、どんな風に喋ってたっけ。
どんな風に僕を見ていたっけ。
なんだか、思い出せない。
適当にやっていた気もする。
明確な意図を持って接していた気もする。
僕たちは今までにどんなことを話したんだっけ。
どんなことをしてきたんだっけ。
僕はアンタとどうなりたいんだっけ。
アンタは僕とどうなりたいんだっけ。
なんだっけ。
なんだっけ。
思考と記憶が薄煙に包まれる。
全部が全部曖昧で、もやがかっていて。
何一つはっきりとはしない。
おぼろげな輪郭はわかるのに、決して細部は見ることが出来ない。
不意に、笑いがこみ上げてきた。
奇しくも薄煙のそれが、僕たちの微妙な関係を的確に表しているように思えたからだ。
僕はシーツから抜け出した。
ぐちゃぐちゃに荒らしたベッドをそのままに、僕は自分のベッドに潜り直す。
思い出せないことは思い出せないままに。
かといって後で答えを探そうという気にもなれず。
僕はよい子ですら眠らない時間帯に、さっさと眠りにつくことにした。
不明瞭なdistance
久方ぶりに赤師弟。
なんですが、書いている最中にクレダレが降臨してきたため、
赤師弟ともクレダレとも取れるような
煮え切らない感じの「未満」な2人の話、でした。
大遅刻だけどこちらのお話は和ぷさんに捧げます!お持ち帰りも和ぷさんのみご自由に。
お誕生日(10/27)おめでとう!!でした!
2013/11/21
※こちらの背景は
ミントblue/あおい 様
よりお借りしています。