久しぶりの街。
久しぶりの人間らしい生活。
ママに逢えるということを差し引いてもわくわくする。
思わず弛んでしまった表情を誰にも見られないうちに隠した。
こういうところを見ると「まだまだ子供だな」なんてからかってくる奴が多いから、迂闊に見せるわけにいかないのだ。

(──でも)

やっぱり楽しみなことには変わりなかった。

「大分ご機嫌だな」
「まぁね」

振り返りもせずに、僕は答えた。
どうせバネズには見えていない。
・・・ばれてはいるだろうけど。
だが怒られることはないだろう。
なんたって今僕はこれからの出発に向けて荷造りの真っ最中なのだから。

「だってさ、街に行けるなんて何年ぶりだろ?僕がココに来てからはずっと外に出てなかったから相当久しぶりなんだよね。 ママが本とかいろいろ送ってくれるから、なんとなーくはわかっているんだけどさ、本で見るのと実際に見るのじゃやっぱり違うだろ? 僕街に行ったらやりたいことがいっぱいあるんだ!」

手も止めずに一息に喋る。
対照的に、バネズは重々しい溜め息を一つ吐いた。
実のところ、こんなバネズを見るのは今が初めてではない。
街に行くことを決めて以来、こうして時々深い溜め息をついている。

「・・・・・・なんだよ、バネズ。バネズは街に行きたくないの?」
「そういうわけではないんだがな」

またひとつ、溜め息。

「そういうわけじゃないのなら、辛気臭い溜め息やめなよ。なんかこっちまでテンション下がる」
「そりゃあ悪かった」

全然悪びれた風も無く言った。
・・・・・・直す気が無いなら「悪かった」なんて言わなきゃ良いのに。

「文句があるならはっきり言え」

あ、くそ。また心の中を読まれた。
バネズに言わせれば「場の空気とか、温度とか、気配の流れ。
そういうものを感じ取れば目で見えなくても相手が何を考えているかなんて大抵わかるもんだ」ということらしい。
僕にはさっぱり分からない。一方的に読まれるばっかりだ。

「・・・はっきり言わないのはどっちだよ」

そのくせ都合の悪いところは読まないんだから性質が悪い。

「言っただろう?俺は別にお前が母親に逢うことに反対しているわけでも、街に行くことに反対しているわけでもないんだ」
「ならなんでいつまでも思いつめたように溜め息なんかついてるのさ?」
「・・・気が進まないんだよ。変わり果てた世界を見ることが・・・」
「?」

疑問符を顔に浮かべると、とうとう腹を括ったようにバネズが喋った。

「俺だってな大昔は人間だったんだ。あんまり良い思い出があるわけでもないんだが、それでも、今になって思えばやっぱりかけがえのない時間だったと思う。 俺はバンパイアになってからはいわゆる現代的な人間社会って奴を避けて生きてきた。 一つは、人間とバンパイアは出来る限り接触を避けるべきものだと思っていたから。 それからもう一つ。・・・数少ない思い出が壊れていくのを、見たくなかったからだ」
「・・・よくわからないんだけど・・・?」
「お前も後百年位したら思い知るだろうよ。当たり前だと思っていた世界が一変し、 自分達がしてきたことがとても愚かしいものだったという現実を突きつけられた時の言葉にならない虚脱感ったらない」

説明してくれたのだろうけど、やっぱりいまいち理解できない。

「こういうのはな、教えられるよりも体験した方が早いし理解できる。今は忘れていて構わない」
「うん」

バネズは続ける。

「どうあったって世界は変わっていく。不変なんてないと頭では理解している。 だが、それまで自分の中に構築されていた世界が次々と壊れていく様を見るのは・・・正直気持ちの良いものではない。 俺は、それを見続けていくことに耐え切れなかった。だから、こうして穴倉生活をしていたわけなんだが・・・」

言わんとすることは・・・なんとなく分かったような気がする。
つまり、一種のノスタルジアということなのだろう。
懐古主義と一括りにするのはいささか乱暴な気もする。
誰だって、懐かしい記憶、懐かしい風景というものはあるもので。
もちろん僕にだってある。
十数年、ママと過ごしたあの家。
僕にとっては一番変わって欲しくないものだ。
けれどあの家は古い。
ママが子供の時からずっと住んでいた家だ。
もうそろそろ柱が弱ってきてもおかしくない。
もしもまだあの家が使われているとしたら、後数年のうちにリフォームされて僕の知っている家じゃなくなってしまうのだろう。

きっとバネズはそんな経験を街単位、国単位で見てきたのだ。
自分の知っている風景が少しづつ侵食されていき、代わりに台頭し蔓延る新文明。
故郷を思い出したいだけなのに、それすら許さぬほどに様変わりしていく。
嫌気の一つも差して当然だ。
けれど一つだけ、違っていると思うことがある。

「それってさ、壊れているわけじゃないと思うんだけどね」
「うん?」

壊れるんじゃない。
それらは礎となり、基盤となり、風景の中の奥深くに眠っているだけなのだと。

「過去があったから、今があって、そして未来に繋がるんだ。 例えどんなに後ろ暗い間違いだらけの過去だったとしても、それが間違いだって気付けたら改善するために変わっていける。 でも、どんなに隠そうとしたって、それは無かったことにはならない。・・・そうでしょう?」

例えば、僕のように。
狭い世界で、正しいと思っていた道しるべ。
思い込んでいただけで、本当は間違っていた道しるべ。
騙されていることも知らずに突き進んだその道で、多くの人が死んだ。
おじさんのおかげで僕はやり直すことが出来た。
道を正してもらえた。
全うなバンパイアとして、生きていける。

でも、間違っていたことを無かったことにはできない。

多くの命が失われたあの戦いで、僕が間違わなければ生きていられた命もきっとあると思う。
その過去を、僕は背負わなくちゃいけない。絶対に、無くしたりしちゃいけないと思うんだ。

「人でも、街でも同じだよ。壊れるんじゃない。学んで、同じ過ちを繰り返さないように改善しているだけなんだよ」

ちょっとだけ見た目が変わって、傍目には映らないかもしれないけど、必ずそこには歴史がある。

絶対にだ。

「・・・お前に教えられるってのは、師としてちと情けないな」
「ココだけの秘密にしておいて上げるよ」
「あぁ。・・・そうしておいてくれ・・・」

バネズは押し黙ってしまった。
どこか遠くに想いを馳せているようでもあった。
バネズの過去を、僕は知らない。

いつか話してくれるだろうか?

そんなことを考えながら、僕は荷造りの続きを再開した。





街へ行こう〜郷愁編〜






2011年5月スパコミで無料配布した

「傷師弟と双子の兄妹を広めたいだけの本2」収録話です。

タイトル通り、続きます。

2011/06/24(サイト掲載)




※こちらの背景は clef/ななかまど 様 よりお借りしています。




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