大切な人を守れるくらい、強くなりたかった。
大事なものを手にし続けられるくらい、強くなりたかった。
私の大切な人は一人だけ。
私の大事なものはただ一つだけ。
誰にも譲らない。
それが私の根幹となり、意志となり、行動の原理となる。
なんて───そんなの嘘。
私はただ、恐怖から逃げたかっただけだ。
強くなって、貴方の側にいる理由が欲しかっただけ。
強くなって、貴方の隣にいる免罪符が欲しかっただけ。
私はいつだって、弱くて惨めな小娘というレッテルを自分に張り続けていた。
□■□
両親が私を手放した日のことは、あまり覚えていない。
というよりも、彼女の元に来るより前のことはぼんやりとしている。
生命を守るために、脳が勝手に記憶を拒絶したのかもしれない。
晴れていたのか雨が降っていたのか。
家のすぐそばだったか、どこか遠くに出掛けた時のことだったか。
それすら思えていない。
唯一覚えているのは、強く握っていた手からスルリと抜け落ちていく温かな体温だった。
離れたくなくて手を伸ばしたら、ピシャリと手を打たれた。
ジンジン痛む手を自分で抱えながら、小さくなっていく両親の背中を黙って見送ることしかできなかった。
私が自我も芽生えていない幼子だったならどんなによかっただろう。
残念ながら、私の海馬はその温度だけを鮮烈にインプットしてしまったらしい。
今なおその記憶は私を苛む。
掴んだ温度を離す時、私は猛烈な恐怖に襲われる。
熱が冷えていくことに、私は強烈な畏怖を覚える。
これをトラウマと呼ばずに、なんと呼べばよいのだろう。
他人との関わりは、私にとって恐怖でしかなかった。
役に立たない私はいつかまた捨てられる。
そんな思いが深層から私を覗き見る。
誰かの役に立つことは、私にとっての存在意義も同じだった。
私がそこに存在してもいい理由だった。
私を引き取った彼女は、人の心を読んだり未来を見通せる人だった。
彼女の側は生きやすかった。
生きる意味として仕事を与えてくれたし、生きる方法として知識を与えてくれた。
私には才があると言ってくれたけれど、そんなものに私は興味がなかった。
花咲くかどうか解らないものに時間を割くのは無駄だと思えた。
すると、彼女は私に『退屈』を与えるようになった。
彼女が私を彼女の元から去らせようとしているのを感覚的に悟った。
こんなことなら素直に自分の才と向き合うべきだったと半ば後悔した。
悔やんでも、彼女は私の手を再度掴もうとはしてくれなかった。
だんだんと彼女の熱が私の手から引いていく。
怖かった。
怖かった。
世界に一人になってしまったかのように錯覚すらした。
そんな時だ。
私が彼に出会ったのは。
相手は誰でも良かった。
私の手を掴んでくれる人なら、誰でも。
彼は彼女に逢いに来たお客さんだったけれど、もう彼にすがるしかなかった。
彼の次に来るお客さんなど、一体何年後になるかわからない。
彼女の熱が完全になくなる前に、私には『誰か』が必要だった。
□■□
髪を短く切った。
旅をするのに邪魔になるだけだったから、何の躊躇もいらなかった。
服装も出来るだけ地味で野暮ったいものを着た。
女というだけで甘く見られるのが面倒だった。
何をさしおいても、優先すべきは彼のことだった。
それが私の存在理由なのだから、何の問題もなかった。
私は、彼の為に存在していた。
けれど、決して彼は私の為に存在してはいなかった。
それで良かった。
それで良かった。
彼がこの手を離さないという、ただそれだけで私は満たされる。
この温もりに触れていられるという、ただそれだけで私は報われる。
だから、思いもしなかった。
私から手を離す日が来るなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。
貴方に伸ばす手が、冷たくなる。
貴方に触れる手が、死臭を帯びていく。
私はずっと自分が不幸だと思っていた。
自分ばかりが惨めだと思って、思い込んで、そうすることで自分を保っていた。
けれど、違った。
私はきっと、幸せだった。
たとえ、心の奥底から湧き上がる強迫観念から貴方を選んだのだとしても。
私が今抱くこの感情は本物だと思うから。
貴方に尽くすことを、免罪符ではなく純粋な私の意志だと思うことが出来たから。
だから、私はきっと幸せだった。
貴方が触れる手はいつだって炎のように熱かった。
私はその熱を忘れない。
死してなお、その熱をこの手に抱き続けることを。
最後に貴方の熱を感じながら逝けることを。
私は、幸せだと思うから。
だからどうか、どうか、どうか。
死よ、私からこの熱を奪うことなかれ
マローラたんの人生が不憫すぎて。
でも最後には幸せであったと思って欲しくて。
いろいろ考えた結果こういうことになった。
マローラたんを幸せにし隊。
2012/03/23
※こちらの背景は
RAINBOW/椿 春吉 様
よりお借りしています。