深い深い眠りの底から無理矢理に引きずり出されるような。
そんな感覚。
放っておいてくれたらいいのに、どうしてかそれを許してもらえない。
仕方ないので眠ることを放棄する。
接着剤で張り付けられたのかと思うくらい、瞼はがっちりくっついて、こじ開けるのに相当な労力を要したことだけわかった。
ようやく光が射し込む。
ぼんやりとした視界。
目に映ったのは天井だ。
チカチカと点滅する目障りな照明が眼に痛い。
折角開いた目を閉じると、また同じだけの労力を必要とされるのだろうと朧気に思考し、目元を手で覆い隠すことで光を追い出した。

「───テ・・・・・・ラ・・・・・・ン!ラーテンったら!」

遠くで誰かが呼んでいる。

「ラーテン!起きたなら返事して!?ねぇ!?」

声の主は少女だろうか?
ヒステリーを起こした女のようなキーキー声で喚いている。

(うるさい、静かにしろ)

心の中で念じるが、心の中の声など人には聞こえない。
我々ならまだしも・・・・・・。

はて?
我々とは何だったか。
頭の芯のあたりがふわふわして考えが上手くまとまらない。

「ねぇラーテン!お願いだから何か言ってよ!ねぇ!ねぇってばっ!」

そもそもこの子は誰だっただろうか。
姿を確認するために、我が輩は覆っていた目元を再度光の元に晒す。
暗闇の代わりに映ったのは、人の姿。
短い黒髪。
薄汚れた肌。
まるで少年のような姿をしているが、身なりを整えたらさぞ見栄えする少女になることを予感させた。
しかし、そんな少女の瞳には、いっぱいの涙が滲んでいる。

「ラ、・・・・・・テン・・・・・・?」

心配そうに、不安げに。
弱々しい声で我が輩の名前を零ぼす。

「・・・・・・なんて顔をしておる・・・・・・」
「だって・・・・・・ラーテン、急にうなされて・・・・・・熱だって下がらないままで・・・・・・顔色だっていつもの10倍はヒドいのよ・・・・・・?」

少女は言葉を詰まらせる。

「わた、し・・・・・・もう、本当にダメかと思ったんだから・・・・・・っ!ラーテンのバカ!・・・・・・バカ・・・・・・っ!」

力無い拳で、何度も我が輩を叩く。
痛くはなかった。
体中の感覚が麻痺しているようで、少女の体温も感じられない。
それを残念だと思いながら、落ち着くまで少女の好きにさせることにした。
時間にしてみれば1・2分。
呼吸を整え、涙を拭った少女は顔を上げた。

「・・・・・・何か胃に入れる・・・・・・?丸1日眠ってたからお腹空いたでしょ?」
「・・・・・・いや、要らん」
「でも、食べないと体力戻らないわ。食欲がないなら、飲み物だけでもいいから・・・・・・」
「要らんと言っておる」

きっぱりと言い放つ我が輩に、少女はなおも食い下がる。

さっきホテルの人に勧められたの。
ミルクにチョコレートを溶かした飲み物があるんですって。
甘くて、あったかくて、すごく美味しいって評判なんですって。
ね?それなら飲めそうでしょ?

少女は必死で食い下がる。

「ねぇ、ラーテン・・・・・・」
「我が輩は・・・・・・そんなモノを必要とせん」

それは、人間の食べ物だ。

「・・・・・・今は臭いも味も感じん。飲み食いするだけ無駄だ。お前が飲みたいなら勝手に飲んでこい。我が輩は要らん。」
「私が飲んだって仕方ないじゃない!」
「そんなことはない」

我が輩は。

「バンパイアが欲するのは・・・・・・血だ」

食い下がる少女の首筋に爪を立てる。
血は、バンパイアの重要な食料だ。
飢えを癒し。
渇きを癒す。
味などわからなくても。
臭いなど感じられなくとも。
魂がそれを欲する。

「ソレが、お前の血となるなら十分意味はある」

本能が、理性に勝ろうとしている。
若い少女の首筋にプツリと爪が食い込んだ。
少女は顔を歪める。
ツ、と一筋血が流れ落ちた。

「・・・・・・いいわ、ラーテン。好きなだけ飲めばいいわ」

少女は一切の抵抗をしなかった。

「それで貴方が元気になるなら、私はそれで構わない」

少女は短い髪を更にかきあげ、飲みやすいように首筋を電灯の元に晒す。
細く流れ落ちる綺麗な紅。
本能に逆らえず、口を這わす。
一度、少女の体がビクンと跳ねたが、それからは微動だにせず吸われるに任せていた。

「・・・・・・甘いな・・・・・・」

甘美な、味がした。

今の今まで人間の生命に守られていた温もりがした。

思わず飲み干してしまいたくなるほどの魅惑的な香りがした。

「お前の言っていた飲み物も、こんな味がするんだろうな」

想像する。

それはなんて───



「今は臭いも味もわからないって、貴方が言ったんじゃない」
「バカを言うな」

わからないわけがない。
どれだけの血が、我が輩の中に流れてると思っている。
どれだけの血を、我が輩に捧げたと思っている。



「お前の味は、我が輩の魂が覚えておるよ」



流感ごときで見失うわけがなかろう。
我が輩を誰だと思っている。

飲み続けたくなる衝動を振り切り、少女に刻んだ傷口に唾を塗り込む。
爪の間に入り込んだ血液からは、未だ香り立ち我が輩を誘惑した。
近くに転がっていた汚れたタオルに擦り付け、部屋の隅に投げて隠した。

「・・・・・・我が輩は寝る。お前は食事にでも行ってこい」

つっけんどんに突き放し、ベッドから蹴り落とす。
しかしそれしきで少女は引き下がらない。

「いやっ!ここにいる!」

またうなされたらどうするの?
一人の時に襲われたらどうするの?
今の貴方じゃ太刀打ちできない。
少女はまくし立てる。

「だから、だ。バカもん」

グシャグシャになったシーツに頭まで引き上げる。

「もしもの時にお前が動けなければ我が輩はどうなる?いつもより多めに飲んだから、食事はちゃんと摂って血を補充しておけ」
「でも・・・・・・」
「あぁ、それから・・・・・・」
「?」
「お前の言う飲み物がどんな味か確かめたくなった。我が輩の流感が治った暁にはお前に作ってもらうから、お前はしっかり味を覚えておくんだぞ?」

言わんとすることは、これで伝わっただろうか?
頭まで被ったシーツのため少女の表情はわからないが、幾分穏やかなトーンで返事が返ってくる。

「・・・・・・ん。わかった・・・・・・」
「わかったらさっさと行け」
「すぐ戻ってくるからね?ソレまで無事でいてよ?お酒なんか間違っても飲んじゃダメよ?いいわね、ラーテン?」
「わかったわかった。ホレ、さっさと行け。我が輩を寝かせろ」
「・・・・・・おやすみ、ラーテン」

二拍ほど置いて、安い作りの扉がギィとなった。
薄い壁の向こうから、少女が階段を降りていくリズミカルな音がトントンと響く。
ソレと呼応するかのように、我が輩の意識もトントンと落ちていった。



□■□



ふと、何かが鼻先を掠めた気がした。
緩やかに意識が戻る。
眼を開ける。
見慣れた天井が目に入った。

「あ、目が覚めた?」
「・・・・・・我が輩は寝ていた、のか?」
「うん。揺すっても何しても起きないからどうしようかと思ったよ」

言う割に、慌ててる様子は見られない。
暢気にマグカップの中身をかき回している。

「そうか・・・・・・」

予想外に深い眠りについていたようだ。
自分で気づいていないだけで、疲れでも溜まっていたのだろうか?

「ショーは休むって伝えといたけど、ソレでいいよね?というか、もう殆ど終わりの時間だし。今からじゃ出番もないんだけど」
「あぁ、済まない」
「何か、夢でも見てたの?」

うなされてたよ、と。
やはり、心配している風でもなく言う。

「昔のことを、少し・・・・・・な」
「ふぅん」

重たい体を引き起こし、棺に腰掛けた。
ソレに習ってか、少年も隣に腰を下ろす。

「・・・・・・飲む?」
「なんだこれは」

両手に持っていたマグカップの片方を差し出す。
中は茶色い液体で満たされていた。
ふんわり、チョコレートの香りが鼻をくすぐった。
いつかどこかで。
少女が口にしていた飲み物を思い出す。
そういえば名前を聞かなかったな。
結局、少女が我が輩のために作る機会はついぞ訪れなかったから味も解らずしまいだ。

「ホットチョコレート。体暖まるよ」
「・・・・・・甘いのか?」
「うん。クレプスリーのためにゲロ甘にしておいた」
「ほぉ、いい度胸じゃないか」
「っていうのは冗談。フツーに作った奴だよ」

少年はコクリ一口啜った。
ゆっくりと飲み下し、ホゥと幸せそうな吐息をつく。

「どういう風の吹き回しだ?お前がわざわざこんなものを作って寄越すなど」
「別に。ただ、なんか・・・・・・」
「なんか?」
「前に、クレプスリーにホットチョコ作って上げるって約束したことがあった気がして・・・・・・」
「・・・・・・」
「気のせいだっけ?」
「・・・・・・いや」

そんな約束をした気もするよ。
昔のことすぎて、忘れてしまったがな。

「昔のことが思い出せないとか・・・・・・・・・え?何、クレプスリーまさか認知症の・・・・・・・・・」
「バカなことを抜かすな」

少年の頭を小突いてから、我が輩もカップに口を付ける。
甘くて。
温かくて。
優しい香りが広がった。

(あぁ、この味は───)

間違いない。
忘れるはずもない。
あの時に飲んだ味だ。

「・・・・・・甘いな・・・・・・」

甘美な、味を思い出した。

今の今まで人間の生命に守られていた温もりを思い出した。

思わず飲み干してしまいたくなるほどの魅惑的な香りを思い出した。

「そりゃ、チョコレートだからね」

少年は満足げな顔をして、残りを口に含む。
心に浮かんだ言葉があったが、口に出すの何となくははばかられて、我が輩は心の中で思うに留まる。

(やはり、お前と同じ味がしたよ)

懐かしい少女の味を思い出しながら、我が輩はもう一度カップに口を付けた。





愛しいという感情の味







クレマロってことにしておいてくれ。

バレンタインネタのつもりで書いていたけど、

別にこれバレンタインじゃなくても何ら問題ない気がして撃沈!



ちょっとだけ補足。

というか私的な考えについて。

マローラたんの血が甘い表現したことについてです。

『悪意ある血は独特の甘い味』と伝説1巻でシーバーが語ったけど、

マローラたんはラーテンの為ならたやすく悪にも成れてしまう人間なんだよ。

すべてラーテンを中心に考えてしまうんだよ。

ここで言う『悪意』というものが「何にとっての悪意」であるかは定かではないけれど

マローラたんの存在は生き物として危険すぎる。

生命物としては悪意の固まりであると(自己の存続を優先できない)思うわけです。

そんなとこからマローラたんの血は甘いんじゃないかと思った次第です。

補足でした。

こちらのお話はくもりさんに捧げます。

くもりさんのみお持ち帰り自由です。煮るなり焼くなりどうぞお好きに!

2012/02/14





※こちらの背景は 空に咲く花/なつる 様< よりお借りしています。




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