久方ぶりに戻ってきた街で、俺が真っ先に足を向けたのは実家ではなく親友の家だった。
何年経ってもここはかわらねぇな、なんて思いながら俺はおそらく誰よりも鳴らし慣れたであろうチャイムを押した。
一拍の間を置いて、奥から「ハーイ」と女の声が答える。
パタパタ足音が聞こえ、それとは対照的にゆっくりと玄関が開かれた。

「どちら様ですか?今パパとママは出掛けてて……っ!」

息を飲む音。
俺が誰だか、すぐに解ったらしい。
驚きがありありと浮かんだ顔に俺はひょうひょうと片手を上げて応える。

「よぉ、久しぶりだな。アニー」
「スティーブ!!」

まるで体当たりをするかのような勢いでアニーが飛びついてきた。

「いつ帰ってきたの!?」
「今さっき。帰ってきたその足でここに寄ったんだよ」
「帰ってくるなら連絡くれたら良かったのに」
「一応送ったけど、俺の方が先に着いちまったのかもな」

俺は気が向いては国を渡り歩く生活をしていた。
ふらりと旅立ち、数ヶ月、長い時は一年くらいあちこちを放浪して回る旅だ。
行き先は気の向くまま風の向くままに決めているので一貫性はない。
根無し草の旅路は予定外のアクシデントが付き物で、計画なんてあってないようなものだと痛感しているからだ。
今回もふと思い立って数ヶ月ぶりに故郷の街に帰ってきた。
俺の帰りを待っている奴なんて、片手で数える程度もいないのだけど、時折無性に帰りたくなる。
故郷というものは、おそらくそういうものなのだろう。
こんな俺の帰りを待っていてくれる奴というのが親友のダレンであり、その妹のアニーだった。
多くの人間が根無し草の危険な旅をやめさせようとする中、ダレンだけは賛成してくれ、後押しまでしてくれた。
代わりに一つ、俺に約束させた。
『帰ってきたらいの一番に僕に逢いに来い』
ただそれだけの口約束。
血判も何もなく、己の信頼の身の上に成り立つ約束だけを交わした。
俺はそれを守って、今ここに経っているというわけだ。
我ながら律儀に守っているものだと感心してしまう。

「ダレンは?居るんだろ」

抱きついたアニーを引きはがしながら、俺は家の中を覗き見た。

「……居るけど、明け方まで起きてたみたいだからまだ寝てるかも。私ちょっと起こしてくる!」

飛びついてきた勢いをそのまま逆回転させるかのように、アニーは家の中に飛び込んでいった。
パタパタとした可愛らしい足音の代わりに、バタバタ騒々しい足音が響く。
おてんばっぷりは相変わらずのようだ。
一時の静寂。
ただし、すぐさま悲鳴でかき消されることになる。
ドタドタと、一層激しい足音を引き連れて親友のご登場だ。

「よう親友。随分と熱烈な歓迎じゃねぇの?」
「スティーブ!お前いつ帰ってきたんだよ!?」
「今さっき。帰ってきたその足でここに寄ったんだよ」
「帰ってくるなら連絡寄越せってあれほど」
「お兄ちゃん、それもう私が聞いた」

一歩遅れて戻ってきたアニーが後ろで笑っている。

「兄妹そろって同じこと聞いてらぁ」

俺とアニー、二人で苦笑するが、親友にその真意が解るわけもない。
怪訝な顔をしつつ俺の表情を伺っているが、結局解らずに理解する事をあきらめたらしい。

「まぁ、何だ。お帰り」
「お帰りなさい、スティーブ!」
「おぅ、ただいま」

実家でもない場所に、それでも帰りたくなるのは。
こうして俺を迎え入れてくれる誰かが居てくれるからなんだろうな、と俺は少しくすぐったくなる。
ついぞ母親からの愛って奴は理解出来ないままこの年になってしまったが、この二人がいるならそれでもいいかと思ってしまう程度には。


□■□


アニーに引きずられるようにリビングに通されると、着替えてくるからちょっと待ってろ、と言い残しダレンは自室へと消えていった。
このチャンスを逃すまいと、ここぞとばかりにアニーは俺に質問をぶつけてきた。

「今回はどこ回ってきたの?」
「んー、アジアとかそっちの方」
「アジアって、チャイナとかジャパン?」
「そ。でもジャパンは行ってないけどな。陸続きじゃないから行きにくくて」
「そういうもの?」
「大抵ヒッチハイクだから。流石に船や飛行機はヒッチハイクできないだろ?」
「それもそうね」

何せ定職にも着かずにふらふら国を歩き回っている俺だ。
路銀が尽きれば現地でバイトしたりもするが、それも多くは稼げない。
余計な出費は押さえないと生きて行かれない。
そんなわけで、俺の旅の殆どはヒッチハイクか徒歩だった。

「アジア良かったぞー。物異文化感満載で。何より物価が安い」
「もっとロマンチックな推しポイントじゃないのー?」
「物価が安いってのは旅先じゃ重要なことなんだぜ?」
「それはそうかもしれないけど……」
「なんだよ?」
「……だって、そんな場所だったらお金が減らないからなかなか帰って来ないってことでしょ?だから、なんかやだなーって……」

言いにくそうに、でもやや唇を尖らせてそんなことを言ってのけるアニーはなかなかどうして可愛い奴だ。

「別に俺、金が無くなったから帰ってる訳じゃねーよ」
「本当?」
「ホントホント」

あんまり可愛いことを言われると、旅立つのに後ろ髪引かれるようになるじゃねぇか。
親とも思えないあの人のことはどうとも思わないが、お前ら置いて行ってるのは少しは心苦しく思ってるんだからよ。

「次は?いつ出発するかもう決めてるの?」
「まだ決めてない。でも、たまには羽も休めてやらねぇとな」
「そっかぁ。それじゃしばらくはこっちにいるのね」
「そういうこった」
「よかったぁ」

俺の言葉に顔を綻ばせたアニーはいかにも少女然としているように見えて、どこか以前とは違って見える。
それもそうだ。
人は成長する。
アニーだっていつまでも少女ではないのだ。
少女から女へと変貌する。
歳がいくつ下だったか正確には思い出せないが、そういう歳だったはずだ。

「なんかお前、綺麗になったな」
「何?お世辞言っても何も出ないよ?」
「お世辞じゃねーよ。ホントのこと」

少女はもう恋を知っているのだろうか。
誰かを好きになるということを覚えているのだろうか。
考えて、俺は少しだけ恐怖を感じた。

いつかアニーだって恋をして男を知るのだろう。
誰か一人を愛するようになるのだろう。
その時、アニーはこれまでのように俺を待っていてくれる一人で居てくれるだろうか。
最愛の誰かを見つけたその目で、家族でもない俺を、見てくれるのだろうか。
それはアニーに限ったことではなく、ダレンとて同じことだ。
それぞれがこの先家庭というモノを築いた時、彼らの中に俺の居場所は残っているのだろうか。

どうしようもない妄想だ、と一度思考してしまったモノを打ち払えるほど俺は強くはなかった。
第一、俺が放浪の旅をしているのだって似たような理由だ。
誰の目にも映らなくなることが怖かった。
孤高を演じるくせに、独りになるのは怖かった。
だから逃げた。
ひとところに留まってだんだんと人が離れていくのを見たくなかったから。
旅先という刹那の人間関係に安らぎを求めて俺は世界を漂っていた。

しかし思い知らされる。
そんな振る舞いができたのも、ダレンとアニーという宿り木があってくれたから出来たわがままだったのだと。
いつまでも変わらずに向かえてくれると無条件に信じていたモノが無くなるビジョンは、想像上でも随分堪えた。
次というモノがあると信じられることは幸せなことだったのだと、俺は今更に気づかされる。

「なぁ、アニー……」
「なぁに?」

お前、好きな奴とか居るの?
問うことは簡単だ。
問題は、俺がその事実を受け止めきれるかということだ。
情けない話だが、知らない男の名前が出てこようものなら俺は自分を抑えられる気がしない。
かとって知っている名前が出たとしても、それはそれで正気ではいられないのだろう。
面倒くさい男だなぁ、俺は。

「いっそ、お前が俺に根を生やさせてくれたらいいのに」

俺を捕まえていてくれる存在。
そうなるに正当な立ち位置。
端的には、家族というもの。
それを手に入れれば、俺はこの不安から解放されるのだろう。
今の今までそんな単純な結末に至らなかったのは、俺が家庭というモノに対してポジティブなイメージを描けなかったからに違いない。
俺が知っている家庭というのは、あの人との生活だったからだ。
あんなものに肯定的な何かを感じられるはずがないのだから仕方ない。
でも、こいつとなら……。
子供の頃に得られなかったモノが見つけられるような、そんな気がする、というのは勝手すぎるだろうか。

「なぁにスティーブ?」

俺が漏らした言葉は聞き取れなかったらしく、アニーは俺の顔を覗き込んでくる。
少し上目使いな様とか。
少女でも女でも無い中間性だとか。
紛れもなく今俺を見てくれている現実だとか。
そういうモノが全部一緒くたになって俺の中に流れ込む。

「──っ!」

言葉に直すなら、衝動だ。
衝動に駆られた行為だ。
行動と行動の間を繋ぐ明確な意思が無い。
まるで自分の体ではないように、操られるように四肢が動いた。

俺が身体の支配権を衝動から取り戻した時、アニーは俺の眼下にいた。

「スティーブ……?」

覆い被さる俺を見上げる様は、この状況に置いても可愛げを残している。

「どうしたの?」

普通に問いかけるように。
隣に座って、相談にでも乗っているかのように。
当たり前に疑問を口にして首すら傾げている始末。

バカだな、もっと暴れるとかしないとだめだろ。
お前、男に押し倒されてるんだぜ?
こういう状況のあと、どういうことをされるかわかっているのか?

「──これから何されるか、当ててみな?」

無防備にさらけ出された首筋に顔を寄せる。
それでもなお、アニーは拒絶を見せない。
おいおい、少しは危機感持たないとだめだろ。
そんなんじゃ、悪い豹に食われちまうぞ?

歯を立てる。
柔らかな肉を、優しく噛む。
温かい、人の熱を持った身体だ。
すげぇな。
人の身体ってこんなに熱いんだ。
なのになんでか落ち着く。
この熱さに凄く安心する。

家族の愛というものは、こんな熱のことなのかもしれない。

「……アニー、俺は……」
「俺は、何だって?あぁ、スティーブ君よぅ?」

背中に感じる猛烈な視線に、俺は言葉を切らざるを得ない。
……。
俺、完全にこいつのこと忘れてたわ。
綺麗さっぱり忘れてたわ。
にしてもこのトーンはやばいわ。
マジでキレてる時のあれだわ。

どう取り繕ったところで不自然なのだが、それでも俺は出来るだけ不自然でないように身体をずらし、アニーの上から退いた。

「よぉダレン。随分と早かったなぁ?」
「人がちょっと席外している間にお前人の妹に何してくれてんの?え?」

軽口の一つも返さないとかこれダメだわ。
取り付く島もない的なアレだわ。

「いやな?アニーの奴が随分綺麗になってたからよ、変な男に変なことされたりしてないか心配になるわけだ」
「僕には、お前が変なことしようとしてるようにしか見えなかったけど?」
「そりゃあほら、実践風のレクチャーって奴だろ」
「僕には、お前が変なことしようとしてるようにしか見えなかったけど?」
「……」
「僕には、お前が変なことしようとしてるようにしか見えなかったけど?」

三度も言わなくていいだろ!
あぁそうだよ。
今の状況見たら、俺だって俺がアニー襲っているようにしか見えねぇよ!
でもなんかそんな雰囲気だったんだよ!
わかれよお前も男なら!!

「ちょっとスティーブ君とは今度の付き合い方を考えないといけないかもだな」
「おまっ!そこまで言うか!?」
「人の妹とかありえないし」
「このシスコン!」
「何とでも言え。僕の目に適わない奴に大事な妹を預けられるか」
「俺じゃ不服だってのか」
「根無し草野郎なんかにやれるかよ」
「俺だって別に好きで根無し草してるんじゃねぇよバカ!」
「なら」

ダレンが俺に何かを放り投げた。

「さっさと定職見つけてこい」

求人情報誌だった。
いくつか付箋が付けられており、それらは近隣の職場ばかりだった。
給料や条件はそんなに悪くはない。

「何でこんなもの……」
「定職見つけて、そこそこの稼ぎ叩き出して、そんでもって僕のこと『お兄さま』って呼ぶなら認めてやらなくもない」
「ダレン?お前一体なんの話を」
「お前が考えていることなんて、大体わかるんだよ。バカ」

それに、とダレンは続けた。

「シャン家の人間はな、好きでもない奴の帰りを待ったりしないの」

照れくさそうにはにむ。
隣を見れば、アニーも同じ顔で笑っていた。

「スティーブ」

アニーが俺の手を握る。
ダレンが正面から俺とアニーの首に腕を回した。

「家族になろう」

その響きが余りにも優しくて、俺は少しだけ、泣いた。




はじまりの三人





独りになることから逃げてきたスティーブが幸せになる話を書きたかった。

そんなことを考えていたら、どう考えてもシャン家が天使だった。

もうちょっとスティアニがっつりになるかと思ったけど

思ったほどでもなかった。

が、スティアニストの青木さんに捧げる!

青木さんハピバですよー!!

2014/6/19




※こちらの背景は Sweety/Honey 様 よりお借りしています。




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