〜第1章 第5話〜
「逃げずにいるとは感心だな」
ちょうど1週間後の夜。
開け放したままにしておいた窓から断りも無く僕の部屋に侵入してきたのはラーテン・クレプスリーだ。
「約束、だからね」
苦々しく吐き捨てる。
反故できるならそうしたかったよ。
付け加えるとクレプスリーは満足そうに嗤う。
「だがお前はそうしなかった。
逃げようと思えば逃げられたはずだ。
なんせ1週間もの時間があったのだからな」
「・・・・・・」
「いやはや、やはり我が輩の目に狂いは無かったようだ」
「そりゃあよかったね」
もちろん皮肉だ。
皮肉の一つも言ってやらなけりゃやってられない。
「それで?別れはきちんと済ませたのか?」
「・・・・・・別れは告げてない。書置きだけして出て行く」
既に机の上には『さようなら。僕のことは探さないでください』とだけ記した紙が置かれている。
荷物もほとんど無い。
思い出はあればあるだけ悲しみが増すからできる限り持たないことにした。
ショルダーバックに入っているのはほんの少しの着替えと、小さい頃から書き続けた日記帳、それから家族の集合写真を一枚だけ。
「別れを言わなかったことを後で後悔するなよ」
「言ったら離れられなくなるから・・・・・・」
後悔なら、もう今の段階で十分してるよ。
これから先の後悔なんて考えたくもない。
「ふむ、お前がそれでいいなら構わんがな」
右の頬にある、縦に長く伸びた傷をさすりながら、さして興味もなさそうに言った。
「ならばさっさと行くとするか。
今夜は新月とはいえ、人に見られては何かと厄介だからな」
「・・・・・・うん・・・・・」
バックを肩に掛ける。
軽い。
なんて軽さだ。
僕がこの部屋で過ごしてきた思い出がたったこれっぽっちになってしまうなんて。
やるせなくて泣いてしまうそうだった。
これが最後だ、そんな心持で部屋をぐるり一周見回す。
小さい頃から使い続けたベット。
パパのお下がりで貰った書斎机。
毎年身長を刻み付けたクローゼット。
壁一面に張られた蜘蛛のコレクション。
どれもこれも一言では語りつくせないくらいの思い出がいっぱい詰まっている。
これからもずっとずっと思い出が積み重なっていくはずだった。
「さよなら・・・・・・」
誰にも告げることが出来なかった言葉を、僕は初めて言った。
口を持たぬ彼らは静かに僕を見送ってくれた。
まさか玄関から堂々と家を出るわけにも行かないから、あの日と同じようにクレプスリーの首根っこに捕まって二階の窓から地面へと飛び降りた。
この間も思ったことだが、不思議なことにクレプスリーが地面に足をついてもその衝撃が伝わってこない。
フリットという走り方といい、バンパイアにはいろいろな秘密があるようだ。
「このまま少しフリットするぞ。早いとこ街を出てしまった方がいいだろう」
「うん」
捕まる腕に力を込めた。
空気を切る感覚も、走る感覚も無いのに景色だけが後方にものすごいスピードで流れていこうとした。
「まてっ!」
ぴくっとクレプスリーの体が揺れ、景色は変わることの無いまま制止していた。
誰かに声を掛けられた。
しまった、誰かに見られてしまったか?
これは厄介だ、さてどうしたものか。
考えのまとまらない考えを頭の中でグルグルと回す。
クレプスリーは黙ったまま、声のした方向をじっと見つめている。
新月のため闇が濃く見えにくいのだ。
ガサガサと植木を掻き分ける音がする。
現れたのは一人の少年だった。
僕のよく知った、親友の姿。
「・・・スティーブ・・・」
なんでお前がここに。
今日いなくなることは誰にも言ってないのに・・・・・・。
「よぉダレン。こんな時間に散歩か?」
そうでは無いことはわかっていて聞いている。
「・・・・・・どうして・・・・・」
「俺がお前の隠し事に気がつかないとでも思ったのか?」
俺も舐められたもんだな、なんて嘯く。
「目ぇ見りゃぁお前が何考えてんのか位大体わかるんだよ馬鹿ダレン」
「スティーブ・・・・・・」
「さぁて、詳しい話を聞かせてもらおうか?
ラーテン・クレプスリー。それともバー・ホーストンって呼んだ方がいいか?」
「どちらでも構わんよ。どちらも我が輩の名前に変わりないからな」
小さい声で背中から降りるように命令された。
「てめぇ、ダレンをどこに連れて行くつもりだ?」
「我が輩が自分の手下を連れてどこに行こうと我が輩の勝手のはずだが?」
「ダレンがてめぇの手下だと・・・・・・?」
「そうだとも。お前が何故瀕死の状態から助かったかわかるか?
このシャン君が自らを省みず我が輩の交換条件を飲んでくれたからだ」
「・・・・・・本当なのか・・・・・・」
問われれば僕は頷くしかない。
「馬鹿な真似しやがって・・・・・・」
「だってそうでもしなけりゃお前は死んでたかも知れないんだぞ!?
他にどんな選択肢があるって言うんだよ!」
「俺なんか見捨てりゃ良かったんだ!」
「・・・・・・っばかっ!!」
馬鹿はどっちだ!お前の方じゃないか!
「お前を見捨てるなんてこと、できるわけないだろ!?」
大切な親友が僕のせいで命を落とすだなんて、そんなの耐えられない。
声を荒げたことをクレプスリーに窘められた。
人が集まってきたらどうするつもりだ、少しは考えて行動しろ、なんて言われて慌てて周囲を確認する。
・・・・・・どうやら誰かが声を聞きつけてきた、ということはなさそうだ。
ほっ、と胸を撫で下ろす。
しかしスティーブの方はそうはいかない。
人が集まってくれた方が好都合なのだから、ますます声を張り上げる。
「バンパイア野郎がっ!ダレンに何を吹き込みやがった!」
「心外だな。まるで我が輩が悪者のような言い回しだ」
「悪者以外の何者だってんだよ!」
「シャン君は自分が犯した罪の償いをしたに過ぎん。
お前がとやかく言うことではない。
それとも何か?
自分は断られたのにシャン君がバンパイアの手下になったことが許せないのか?」
「ふざけんじゃねぇよ!あんたの手下だなんてこっちから願い下げだ!」
ダレンを返しやがれ!
恐ろしい剣幕で、今にもクレプスリーに掴みかかりそうな勢いのスティーブがまくし立てる。
これ以上騒がれることを恐れ、僕は二人の間に割って入った。
「いいんだ、スティーブ」
「・・・ダレン・・・・・・」
「クレプスリーの言うとおり、僕のせいでお前の命を危険に晒した。
僕はその責任を取らなくちゃいけない」
「・・・・・・・・・」
「僕の身一つでお前が助かるなら安い買い物さ」
わざと強がって見せる。
「もう何も言わず、このまま行かせてくれ・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・クレプスリー、行こう・・・・・・」
「・・・あぁ」
押し黙ったスティーブをそのままに、僕はクレプスリーの首元に手を伸ばした。
大分声を上げてしまった。
声を聞きつけ人が集まる前にどうにか街を抜け出さなくちゃならない。
初めの予定通り、クレプスリーにフリットしてもらうしかない。
「・・・・・バイバイ、スティーブ・・・・・・」
もうお前に逢うことなんてできないだろうけど、死ぬまでお前は僕の一番の親友だ。
その事実が変わることは無い。
クレプスリーが足を踏み出す。
後数歩も歩かないうちに景色は光速で流れ出す。
スティーブの目にはきっと幻か何かのように映るに違いない。
後三歩。
二歩。
一歩。
僕はもう振り返らない。
これ以上引きずるのはきつ過ぎる。
また一層離れがたいものになってしまう。
本当は誰にも告げたくは無かった。
悲しませるだけだとわかっていたから。
なんて、そんなことはただの建前。
僕がみんなの悲しむ姿を見たくないだけだ。
最後までなんて身勝手なんだろう。
本当に自分自身に嫌気が差す。
こんな僕のこと、皆一日も早く忘れてくれ。
忘れて、何も無かったかのように平和に幸せに生きてくれ。
ソレが僕のたった一つの願いだ。
視界が切り替わる間際の瞬間、スティーブは絶叫とも聞こえるような声を張り上げた。
「クレプスリーっ!お前、覚えてろよ!
俺は絶対バンパイアハンターになってお前のことを殺してやる!
絶対お前からダレンを取り返してやるからなっ!!」
振り返った時にはもうスティーブの姿は見えなくなっていた。
だけれども僕の耳にはあいつの声がいつまでも、いつまでも響いていた。
僕たちの姿は、夜の闇に溶けるように消えていった。
ハッピーエンドなんて言葉、僕は知らない
《第一章 完》
※こちらの背景は
Sweety/Honey 様
よりお借りしています。