〜第1章 第4話〜



その夜、気がついたときには僕は自分の家の玄関の前に立っていた。
まるで今までのことは全部夢だったのではないかと思うくらいの速さであの男は姿を消した。
夢だったら良かった。
家族を捨てるなんて、そんなこと絶対にしたくない。
それでも右手に刻まれた傷跡が、あの男との約束は決して夢などではないことを明確に物語る。

「・・・・・・1週間・・・・・・」

男はそう言った。
1週間後、僕はこの家を立ち去らなければいけない。
冗談じゃない。
めちゃくちゃすぎる。

最低の悪夢を見せられた気分だった。


次の日。
昼過ぎになって僕は再びスティーブの病室を訪ねた。

「よぉ!ダレン!」

昨日までの生死の境を彷徨っていたスティーブはもうそこにはいなかった。
あの男の言った通り、完全に復活したようだ。

「もう大丈夫なの?」
「あぁ。この通りピンピン。
 なんで治ったのかわからねぇって医者のやつらも首傾げてたぜ」
「流石スティーブ。悪運だけは強いね」

そんなもののせいじゃないことは僕自身が一番わかっていたけれど、他になんて声を掛けたらいいのかわからない。
隠していることを悟られないよう、気丈に振舞うのが今の僕に出来る精一杯だ。
ふいにスティーブが声を潜めた。

「あの蜘蛛はどうした?」
「籠に閉じ込めてある。本当にどうにもならない時はあいつが必要になると思ったから」
「そうか……」
「でもお前が助かった今あいつに用は無いよ。帰ったらすぐにでも殺してやる」
「馬鹿言うなよ。無茶やらかして盗んできた蜘蛛じゃねぇか。大事にしろよ」
「お前の命を奪おうとしたんだぞ?」
「でも助かった」
「そりゃそうだけど」

許せるわけ無いじゃないか。
なんでそんな風にあっけらかんと笑っていられるんだ。
あいつのせいでお前は命の危機に瀕し、僕は家族を、お前を捨てて闇の世界に行かなくちゃならないんだぞ?
なのになんで・・・・・・お前はそれでもいいって言うのか?
僕がいなくなっても大丈夫なのか?

「スティーブは・・・・・・もしも僕がいなくなっちゃったらどうする?」
「?」
「例えばの話だよ。
 もしも蜘蛛に刺されたのが僕で、本当に死んじゃうことになったとしたら」
「絶対に許さねぇ」

ふっ、とスティーブは目を細める。
まるで僕のことを睨みつけるように見据えた。

「何があったってお前だけは俺の親友だ。
 俺を置いていくなんて、絶対許さねぇ。
 俺を置いていくお前も、そうさせる誰かも、絶対に許さねぇよ」

ドキリ、心臓が跳ねた。
そうさせる誰か。
まさかスティーブは昨日の僕たちの話を聞いていたのか?
見えなくなる瞬間、目が合ったように感じたのは気のせいなんかじゃなかったのか?

「た、例えばっていってるだろ。そんな怖い顔するなよ」
「わかってるよ」

でもよ。
目線を外して、窓の方を見やって言う。
昨日僕たちが侵入し、そして出て行った窓だ。

「昨日の夜にさ、お前を見た気がするんだ」

・・・・・・気のせいなんかじゃない。

「お前だけじゃない。
 あいつも・・・・・・ラーテン・クレプスリーも一緒だった。
 あいつがお前を抱えてそこの窓から消えていったんだ・・・・・・
 お前をどっかに連れて行かれるんじゃないかって、すっげー不安だった。」

スティーブは僕たちをしっかり見ていた。

「・・・・・・なんて、そんなことあるわけないのにな!毒のせいで夢でも見たんだろうな」

ただ蜘蛛の毒が回っていたから夢か現実かはっきりと区別がついていない。
それがせめてもの救いだ。

「当たり前だろ?第一シルク・ド・フリークはもうとっくにこの街を離れてるんだ。
 あいつだけ残ってるわけ無いよ」

僕は笑った。
本当にそうだったならどれだけ良かっただろう。
夢だったら良かった。ただの悪夢だったら良かった。

でもこれは夢なんかじゃない。
現実だ。
泣きたい位に、非情な位に、取り返しのつかない現実なんだ。
スティーブに気づかれないように僕はそっと右手を体の後に隠した。
スティーブはバンパイアになりたがっていた。
この傷を見ればその意味にすぐ気がついてしまうだろう。
スティーブにだけは絶対に見られちゃいけない。

「なんにせよお前が助かって良かったよ。
 危うく僕はこの齢にして殺人犯になるところだった」
「お前を置いてそう簡単に死ねるかよ」
「学校はいつから来る?」
「折角だし1週間くらい休みてーよ」
「今ならゲームもお菓子も腐るほどあるもんな」
「ははっ!たまには死に掛けるのも悪くないかもしれないな」

そんな冗談を言い合った。

「じゃあ、学校で待ってるから」
「おぅ!1週間後な」

本当のことなんて言えやしなかった。
1週間後、僕がいるのは闇の世界だ。
学校には僕はいない。

ごめん

心の中でスティーブに謝る。
伝わらなければ意味なんて無いなのだけれど、伝えるだけの勇気が無い。
肝心なことは何も言えないまま僕は病室を後にした。

あの男の言いなりになるのは癪だ。
だけど男は、クレプスリーは本当にスティーブのことを助けてくれた。
命乞いのようにいろいろ理由を考えても見たりしたが、約束は守らなくちゃいけない。
守ってくれた以上、僕も守らないといけない。
たとえそれがどれだけ理不尽なものだとしても、僕自身がイエスと答えてしまったこと。
自業自得なんだ。
これは馬鹿なことを考えた僕に架せられた罰。
罰は自分で償うものだ。
自分に責任が取れないほど子供じゃない。

自宅までの道程の間、僕は慣れ親しんだ街を、友達を、家族を、総てを捨てる決心をした。





捨てるのは、果たして僕か、それともお前か







※こちらの背景は Sweety/Honey 様 よりお借りしています。




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