〜第1章 第1話〜
「お前には我が輩の手下になってもらおう」
少年の望み通り、高らかに己の要求を宣告した。
己の犯した罪のため、大切とのたまう親友のため、『なんでもする』と言ったのは少年自身だ。
にもかかわらず少年はたじろぎ慄く。
「それだけは・・・・・・!ほ、他のことならなんでもするから?」
「ほう。なんでもすると言ったのは嘘か」
「嘘じゃないよ!でも・・・・・・」
なら親友の命は諦めるしかないな。
くるり背を向けてやれば間髪入れずに食い下がってくる。
「お願いだよ!スティーブを助けてよ!」
「助けたところで我が輩に何のメリットも無い。
あまつさえあいつはバンパイアハンターになって我が輩を殺すと言ったのだぞ?
どうして己の身を危険に曝さねばならんのだ」
「・・・・・・見殺しにするの!?」
「シャン君、人聞きの悪い言い方をしないでくれたまえ。見殺しじゃない、正当防衛だ」
確かに罪も無い子供が命の危機に曝されているのなら心も悼もう。
しかし実際はどうだ?
孤独ゆえに故郷も親も親友すらも捨ててバンパイアになろうとするものが果たして罪が無いと言えようか?
例え罪が無いとしても、情も何も無いような子供に何故この我が輩が情をかけてやらねばならんのだ。
そんな義理などあるわけもないし、全くもって道理でもない。
「我が輩の要求が飲めないのなら、貴様になど用はない。さっさと帰るんだな」
フン、とこれ見よがしに鼻を鳴らす。
我が輩にはわかっている。
この少年はきっと帰らない。
いや、帰れない。
直感的な何かが脳内で語りかける。
我が輩の見込み違いで無い限り、少年は必ず要求を飲むはずだ、と。
「ま、まって!!」
(やはり、な・・・・・・)
思わずニヤリと笑った。
「待て、と言うことはその意思有り、ということかね?」
「考えさせてよ・・・・・・・」
「考える余地などあるものか。お前が選べる道は二つに一つ。
我が輩の手下になるか、親友を見殺しにするか、だ」
「スティーブの時は手下なんていらないって言ってたくせにっ!」
「あれから我が輩も考え直したのだ。
確かにバンパイアの手下などいても足手まといになるだけだが、人間の手下を手元に置いておくということなら話は違ってくる、とな」
「どういう・・・・・・こと・・・・・・?」
少年は疑問の色を顔に浮かべた。
こんな話しようがしまいが必ず我が輩の手に落ちてくるという根拠の無い確証がある。
だが事情を知ればそれだけ抜け出しにくくなるのも人間と言う生き物の習性だ。
ダメ押しのつもりで我が輩は説明してやることにした。
「あのスティーブとか言う小僧はバンパイアに詳しいようだったから知っているだろうが、お前はどの程度知っている?」
「・・・・・・・・・」
返事も無く、少年は静かに首を横に振った。
知らない、ということなのだろう。
ならば初めから説明せねばなるまい。
「バンパイアが生きるためには人間の血を飲まねばならん」
「人間の血を!?」
「そう驚くことでもないであろう?
今の時代は『バンパイア伝説』とか言う物語もあるそうではないか。
その中では美女の血を飲むとされていると聞いたぞ?」
「でも・・・・・・あれは物語で・・・・・・」
「火のないところに煙はたたん。そうではないかね?」
「じゃあ、・・・・・・本当なの?」
ゴクリ、つばを飲む音が聞こえてきそうなほど緊張した面持ちで少年が我が輩を伺い見る。
恐怖半分、怖いもの見たさ半分といったところだろうか?
流石はあの小僧の親友と言うだけのことはある。
これくらいで怯え戸惑うようならマダムを盗み取るなんてことを思いつくことすら出来なかったに違いない。
「もっとも総てが本当とも限らないがな」
含みを持たせて言う。
もちろん、それに少年も気づいたようだ。
何も言わず、我が輩が言葉を続けるのを待っている。
「我が輩たちバンパイアが人間一人から貰う血はほんの僅か。
傷も残さんから飲まれた者も自分が飲まれたとは気づかない」
「でも、血を吸われたらバンパイアになっちゃうんでしょう?」
「そんなものは人間が勝手に作り出した迷信だ。
吸われただけではバンパイアになることなどありえない」
「そう・・・・・・なの・・・?」
「第一、本当にそうならいづれ人間がいなくなってしまうではないか。少しは頭を使え」
「・・・・・・悪かったね!」
少年はいささかむっとした様子だ。
小ばかにした言い方が気に入らなかったらしい。
僕がバンパイアの事情なんか知るわけないじゃないか、と小さく反論するのが聞こえた。
「・・・・・・まぁ、お前が知らないのも無理はない。
人間に悟られないように、警戒されないようにひっそりと血を頂いてきたのだからな」
中には姿を見られるようなへまをやらかす仲間もいた。
今現在人間の間でバンパイアの存在が実しやかにささやかれているのは、そういったいくつかの目撃例から捏造されたためだ。
だから本当の部分も有るし、全くの嘘が書かれていることもあるのだ。
「我々は本来ならば夜の闇に紛れ、姿を晒すことなく血を頂く。
そうやって今日まで生き延びてきたんだ。だが・・・・・・」
だが、時代は変わった。
一昔前であれば、夜は闇だった。
月明かりに星明かり。
僅かに外灯でもあれば良い方だった。
それが今はどうだ?
煌々と光るネオン。
休息無く、眠らない街。
明かりに誘われるかのように街にそぞろ歩く人間たち。
人間は夜に眠らなくなった。
むしろ夜にこそ起き出す。
夜が深まれば深まるだけ、人間は活発に行動を開始する。
無論、そうなればバンパイアも今までのように血を頂くことが難しくなってくる。
人間自体の数も爆発的に増え、人目を避けることそのものも困難を極めるようになったのだ。
姿を見られれば『化け物だ!』と騒ぎ立てられその街には居られなくなる。
おかげで一所に長く留まることもできない。
血が飲めなければ我が輩たちの力は衰え、満足に逃げることも出来なくなる。
仕方無しに危険を承知で人間を捉えても、やはり目撃され、追い立てられる。
毎日がいたちごっこの繰り返しで誰もが辟易している。
そこで我が輩は考えたのだ。
「いっそ正体を明かし、血を提供してくれる人間を手元に置いておけばそのようなリスクから解放されるのではないか、とな」
そうすれば血を飲みはぐることも無い。
人間の動向をいちいち気にかける必要も無い。
見つかるかどうかもわからない人間を探しに行く必要も無くなる。
まさに願ったり叶ったりの方法ではないか。
「・・・・・・それが僕ってこと・・・・・・?」
「頭のいい子供は嫌いじゃない」
にやりと笑う。
「・・・っ!何が手下だ!それじゃまるで・・・・・・」
少年は一瞬言葉を詰まらせた。
自分自身の頭で辿りついた結論にすら『まさか!?』と思ったのだろう。
つまりそれは我が輩の言葉が何を意味しているのかを理解しているということだ。
「まるでエサじゃないか!」
声を荒げて少年が叫ぶ。
叫んだところで事実が変わるわけでもないだろうに、なんて無駄な行為。
手下だろうがエサだろうが、そこに一体どれだけの違いがあるというのか。
「そう思いたいなら勝手にすればよい。だが、主の食事を準備するのは手下の役目だ。
それがおまえ自身であったところでなんら話は破綻してはおらん」
大体いくらバンパイアと言えども人間の血だけで生きているわけではない。
毎日飲めれば御の字だが、一週間に一度飲めれば十分だ。
それ以外の時は人間と変わらない食事を必要とする。
普通の食事を摂ることの方が多いのだ。
「それくらいバンパイアは人間の血を確保することに必死と言うことだ」
さぁ、これで我が輩がお前を手下にしたがる理由はわかっただろう?
もうこれ以上返事を待ってやるほど我が輩は暇ではないのだ。
さっさと首を縦に振ってしまえ。
心の中で思いつつも少年自身が決断するのを待つ。
どのような経緯を辿るとしても、この手の内に落ちてくることはわかっているのだ。
今は蜘蛛の様に静かに、張り巡らせた糸の一本一本に意識を集中させる。
堕ちた瞬間を逃さず捕らえるために、手を大きく広げ、構えて待っていればいい。
一分か、二分か、はたまた十分ほど経過したのだろうか?
物音ひとつない沈黙を破ったのは少年だった。
「・・・・・・僕があんたに血をあげれば、スティーブを助けてくれるんだね?」
「あぁ。手下になると言うならば、約束しよう」
「わかった・・・。あんたに僕の血をくれてやるよ!」
おぉ!と言って我が輩は大仰に手を広げて見せた。
「聡明なシャン君ならばきっと決断してくれると思っておったぞ!
よし、ではまずお前に印をつけておくとするか」
「印?」
「・・・・・・お前が我が輩の手下だと言う証拠のようなものだ」
その時何故だか自分でもわからないが、我が輩は嘘をついた。
手下に印をつけるしきたりなどありはしない。
バンパイアの手下であれば血を流し込む過程上、止む無く傷はつくのだが、人間のまま手下にする少年には必要のないものだった。
それでも我が輩はこの子供に刻み付けておきたいと思った。
理由などない。
強いて言うならば、我が輩の魂がそうしろと騒ぎ攻め立てていたからだ。
「手を前に出せ」
命令すれば少年は嫌そうな顔をした。何をされるのか不安でたまらないと言った顔だ。
だが、
「早くしろ」
一言付け足せば、しぶしぶながらも従った。
突き出された両手のうち、右手の手首を取り、グイと我が輩の顔の前まで引き寄せる。
「本来、バンパイアになるためにはお互いの十本の指に傷をつけそこから血を流し込むのが一般的だ。
だがお前には血は流し込まない。手下の証として片手分、五本の指に傷を刻み込む」
なんの躊躇いも無く、目の前の柔らかな指先に鋭い爪をつき立てる。
ぎゃっ!と少年が悲鳴を上げた。
空いている左の手で我が輩を引き剥がそうと抵抗している。
だが、たかだか人間の、それも子供の抵抗など抵抗にもならない。
しきりに腕を叩いてくるのを無視して不必要なほど深く、深く、傷を刻み込む。
「痛いよっ!」
「黙っておれ。すぐに塞いでやる」
ようやく満足して、深々と突き刺さった爪を除けるとドクドク鮮血が流れ出る。
まるで湧き水のように、傷口から滾々と湧く赤。
鮮烈の紅。
ほんの一時、鮮やかな赤に魅了された。
誘われるように、自分の指についている指を舐め取れば想像をはるかに超える甘美な味がする。
「悪くない血だ」
「そんなことより!どうすんのさ、これっ!」
少年が掲げた右手からは、止まることなく湧き出す血がぽたぽたと床に落ちている。
あぁなんともったいない!
慌てて傷口にべろり舌を這わせれば、先ほど味わったものが口いっぱいに広がる。
このまま飲み干してしまいたい衝動にすら駆られた。
今考えれば、まさかバンパニーズでもあるまいし、と思うのだがあの時は本当にそういう心持だった。
少年が物言わぬまま居たら、多分間違いなく殺してしまっていたところだ。
「ちょっと!何すんの!?」
少年の声にはっ!と我を取り戻す。
今我が輩は一体何を考えていた?
何故そんな思考に陥った?
わからない。
こんなにも感情が先走るなんて・・・・・・
とにかく今は少年の傷口を塞ぐことが先決だ。
そもそもの絶対量が少ない子供から大量の血が流れては命に関わる。
これ以上放っておいたら死に至るのも時間の問題だ。
自らを落ち着けるつもりで、一本一本丁寧に唾を刷り込んでいく。
ひとしきり五本の指総てを口に含んだ。
唾の成分で傷の方は塞がったようで今はもう口内に血の味は広がらない。
その頃には我が輩も大分落ち着いていた。
「ホレ。これでもういいぞ」
傷が塞がったことを目でも確認すると、少年の手を乱暴に投げ出す。
少年も少年で、いつの間にか消えた痛みに小首を傾げている。
「・・・・・・あんた、何したの?」
「見て解からんのか。傷を塞いでやったんだ」
「そうじゃなくて!なんでそんなことが出来るんだよ!」
「バンパイアの唾には傷を塞ぐ効果がある。ただそれだけのことだ」
へぇ、便利なんだね、と少年はしきりに感嘆の声を上げた。
どれだけ感心をされたところでバンパイアにとっては当たり前のことだと言っても、他には何が出来るの?としつこく詰め寄る。
やはり子供は五月蝿い。
ひっきりなしの質問攻めだ。
答えを聞く気が有るのか無いのか、答えを言わせる暇さえ与えずまくし立てる。
よくもまぁこんなにも言葉が出てくるものだと感心する一方、煩わしさが段々と勝っていくのが自分でも良くわかった。
自分から言い出す気など無かったが、あまりの五月蝿さに耐え切れず話題を逸らす。
「答えてやってもいいがな、シャン君。
果たしてこんな所で油を売っていていいのかね?」
「え?」
「まさか自分が何のために我が輩の手下になったのかを今の今で忘れたわけではあるまい。
おしゃべりに興じるのは結構だがその前にやらねばならぬことがあるだろう?」
「!スティーブのところに行ってくれるんだね!?」
無言で一つ頷く。
「約束を違われては困るからな。我が輩も約束を守らねばなるまい」
「これでスティーブは助かるんだ!」
少年が歓喜の声を上げた。
「まだ喜ぶのは早いぞ。あの蜘蛛の毒は強力だからな。
いくら血清があるとは言っても毒が全身に回り切っていれば取り返しはつかん」
「そんな!?」
事実を告げれば、まるでこの世の終わりのような叫びを上げる。
あの忌々しい子供のためにわざわざ疲れることをするのは癪だが、大事な手下を失うわけにもいかない。
「あの小僧は今病院だな?」
「う、うん。隣町の大きい病院に移された」
「隣町か・・・・・・歩いていては間に合わんな。仕方ない、フリットするか」
「フリット?」
「いわゆる『翔ぶように駆け去る』というやつだ」
「なんだよそれ?」
「いいから早く我が輩の首に掴まれ。置いていくぞ」
「まってよ!」
少年が恐る恐る手を伸ばす。
そりゃそうだ。
自分の運命を大きく変えた憎い相手に気安くおぶされる奴の方がどうかしている。
「しっかり掴まってるんだぞ。振り落とされたらただではすまん。
まぁ死にたいなら話は別だがな」
一言脅しをかけてやれば辛うじて我が輩のマントを掴んでいただけの手が、ようやくしっかり繋ぎ合わされた。
掴んだと思ったのは、ただのまやかしだと気がつくのはいつか?
※こちらの背景は
Sweety/Honey 様
よりお借りしています。